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2009/08/07

■節子への挽歌705:伴侶こそ人生の羅針盤

節子
昨日、10年前に会社を辞めて起業したNさんといろいろ話しました。
節子を元気にするために、気が高まるエッセンシャルオイルをプレゼントしてくれたNさんです。
昨日は新しい事業展開の相談の予定だったのですが、予定していたもう一人の人が急に来られなくなったので、個人的な話になりました。

Nさんのお父さんは55歳で亡くなりました。
がんでした。
まだ20代前半だったNさんは、毎日のように入院先の築地のがんセンターに通ったそうです。
その体験がNさんの死生観を育て、人生の有限性を心に刻んだようです。
Nさんに会った最初から、うまく言い表せない不思議な雰囲気を感じていたのですが、その理由がわかったような気がしました。
Nさんは、今も毎月1回、静岡のあるお寺に行って、住職と話をしながら自分を見直す時間を持っているそうです。
寺で静かに座禅しているNさんの姿が目に浮かびます。

私は、仕事であろうと仕事でなかろうと、私の生活のすべてを節子に話していました。
節子もまた、すべてを私に話していました。
お互いに、話しながら自分の生き方や考え方を育ててきたのかもしれません。
Nさんは、それとは対照的に、奥さんには仕事の話は一切しないそうです。
しかし、時々、奥さんの何気ない一言やアドバイスが、自分の行動を軌道修正してくれると言います。
話すか話さないかの違いはありますが、その点では私とNさんは同じかもしれません。
伴侶が自分の行動の、ある意味での羅針盤の役割を果たしてくれているわけです。
それに一緒に暮らしていれば、話そうと話をしなかろうと、お互いに分かりあっているものです。
話がないほうが、むしろ心情が伝わっているということもあります。

話すことの効用は、もうひとつあります。
自分の心の不満や未練を放出する効用です。
日常的に放出していれば、心身にはよどみはできません。
日常生活の中で、みんな小さな不満や未練をかかえこみます。
一つひとつはとても小さく、意識することもないかもしれませんが、それを溜め込んでいるといつか大きな不満や悩みになりかねません。
そうならないために、日常的にそうした小さな不満や未練を口に出すことが大事です。
ほとんどのことは、誰かに聞いてもらえるだけで解消します。
いや、聞いてもらえなくても、口に出すだけでいいのです。
口に出せば、少なくともお天道様が聴いてくれるでしょうから。
Nさんは、時々、独り言をするといいます。
独り言するくらいなら奥さんに話をした方がいいと思いますが、それもまた人それぞれです。

Nさんが会社を辞めて10年間、起業家としてがんばってこられたのは、間違いなく奥さんのおかげです。
私もそうでした。
起業家としての生活と会社に雇われた生活とは、それこそ雲泥の差です。
サラリーマンは気楽な稼業といいますが、その気楽さの大きさは、辞めてみて初めてわかります。
昨今のサラリーマンは気楽ではないといわれますが、私には相変わらず気楽にみえます。
そういう人たちには、一人で仕事に取り組んでいる人たちの大変さはわからないでしょう。

私が節子にこれほど執着しているのは、もしかしたら会社を辞めて自分で企業経営をしていたからなのかもしれません。
節子は生活の伴侶でもあり、仕事の相談相手でもあったからです。
そしてなによりも、苦労を分かち合った仲間だったのです。
節子は、私には最高の友でした。

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