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2009/08/09

■節子への挽歌707:楽しそうで、「希望」が見えます

昨日の写真を見た、お会いしたことのない読者の田淵さんからコメントをもらいました。
そのコメントの「楽しそうで、「希望」が見えます」という言葉に、涙がドッと出てきてしまいました。
田淵さんが書いてくださったように、節子はいつも私たちに「希望」を与え続けてくれていました。
しかも、それは決して偽りの演出ではなかったのです。
本人自身、その希望を確信し続けていたのです。
ほんとうは、希望を与えてやらなければいけないのは私のほうでした。
にもかかわらず、実際には私たちが節子から希望をもらっていたのです。
どんな時も、節子は明るく前向きでした。
そしてなによりも、やさしかったのです。

最後の長旅は、福井の芦原温泉でした。
姉夫婦との旅行でしたが、宿泊した旅館の温泉に行った後、となりの旅館の温泉にも行こうかという話になったのですが、その時も一番疲れているはずの節子が率先して行こうといいだしました。
愚かな私は、とてもうれしくなり、こんなに元気だったら必ず良くなると思ってしまったのです。
いつもそうでした。
節子は、決して私に心配させなかったのです。
いまから考えると看病されていたのは、私だったのです。
節子と話していると、いえ、一緒にいるだけで、希望が見えてくるのです。
だからこそ、私にとっては、節子は「生きる意味」だったのです。

写真を撮った伊香保温泉への旅行の頃には、節子はもう20キロ近く体重は減っていました。
お風呂に一緒に入ると、節子はこんなに痩せ細って、自分の身体が可哀相だと言っていました。
思い切り抱き締めたくても、抱きしめたら壊れてしまいそうでした。
しかし、そんな痩せ細った節子も、心は決して痩せ細ることはありませんでした。
節子は、人生を誠実に、そして真剣に生きました。
それを一番良く知っているのは、私です。
だから涙が出て止まりません。

なぜ私ではなく、節子が選ばれたのか。
天を恨みたくなります。

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