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2009年9月

2009/09/30

■節子への挽歌759:私はこんなに生きようとしているのに、何で死のうと思う人がいるのかしら

昨日の続きです。

メールの送り手の***さんは、健康と経済面での困難さを抱えて、少し前に相談に来ました。
その話をしたら節子が、それはお金が必要だったのよ、と教えてくれました。
しかしお金を提供しても問題を先延ばしするだけだと節子に言ったら、理屈ではなく必要なのよ、というのです。
それでほんのわずかばかりのお金を彼の口座に振り込みました。
すぐ御礼のメールが来ました。
理由もなくお金を振り込んだ私は「罪の意識」を感じていたのですが、救われた気分がしました。
それからしばらくして、先のメールが来たのです。

その時は、節子の症状が急変した直後でした。
こんな時期にと、いささか怒りを感じましたが、本人はそれどころではなかったのでしょう。
節子にはとても言えませんでした。
以前、節子と自殺の話題が出たことがありましたが、その時に節子がぽつんと言ったことを思い出したからです。
私はこんなに生きようとしているのに、何で死のうと思う人がいるのかしら。
口調は静かでしたが、そこからは怒りのような思いが伝わってきました。
私も同感でした。
死に向かわされている人は、決して死のうなどとは思わないでしょう。

昨日、天ヶ瀬ダムにご一緒した東尋坊の茂さんは、これまで200人以上の自殺志願者を思いとどまらせていますが、その中には「余命何年」とか「難病」の人は一人もいなかったそうです。
新潟水俣病関係のシンポジウムに参加した金田さんから、新潟水俣病で苦しんでいる人たちに自殺した人は一人もいないそうだというお話もお聞きしました、

生きようという思いからは「死」は決して生まれません、
どんなに辛くても、死に向かっている人を支えているのは「生きることへの思い」です。
生きるのがどんなに辛くても、死とのつながりを感じていれば、決して死のうなどとは思わないはずです。
イラクでもアフガンでも、おそらく自殺は起こらないでしょう。

では「死のう」という思いはどこから生まれるのか。
実は、どこからも生まれないのではないのか。
「死」から最も遠いところにいる人だけが思いつくのではないかという気がします。
その人にとっては、「死」は現実概念ではないのかもしれません。
自殺してしまう人も、本当は「死のう」などとは思っていないのではないか。
そんな気がして仕方ありません。

10月24日に、自殺多発現場とされているところで自殺防止に取り組んでいる人たちを中心にした公開サミット会議を開催します。
よかったらご参加ください。
CWSコモンズのお知らせのコーナーに予告案内があります。
開催準備のためのスタッフも不足しています。
手伝ってもらえる人がいたら、ご連絡ください。
とても助かります。

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■「待て」と「お手」

わが家にはチャッピーという老犬がいます。人間にたとえたらおそらく70過ぎの老犬で、散歩に行ってもちょっと長くなるとくたくたになって自宅にたどり着くのがやっとです。
まあ老人の私といい勝負ですが。

そのチャッピーが、いまなお守っていることがあります。
ご飯やおやつの時に、「待て」というと待っていることです。
あるいは手を出すとお手をしてくることです。
その姿を見ていて、最近、何だか自分を見ているような気がしてきたのです。
いえ、正直に言えば、自分というよりも、多くの日本人というべきでしょう。
私もその仲間だと思うのはかなり辛いことではありますが、認めざるを得ないでしょう。

チャッピーに「お手」を教えた記憶はあるのですが、「待て」はあまり教えたことがありません。
もしかしたら、チャッピーがわが家の養子に来る前にしつけられていたのかもしれません。
それにしても、そのあまりの従順さに哀れさを感じます。
なぜ哀れさを感ずるのだろうかと不思議に思って気がついたのが、自分たちの生き方との類似性だったのです。

私たちはどこで誰に「待て」とか「お手」とか教えられたのでしょうか。
私はあまり記憶にありません。
でも周りを見ているとみんな本当に忠実です。
偉そうなことをいっている私も、かなり忠実です。
私の人生は、かなりわがままそうに見えても、所詮は「待て」と「お手」の人生でした。

「待て」と「お手」を身につけた人が、たぶん大人なのかもしれませんが、最近はどうもかなり若い世代まで、その躾が進んでいるような気がします。
一見、勝手気ままにやっているようで、所詮は家畜のような生き方をしています。
先日、渋谷や原宿を歩いた時の光景を思い出しました。
みんなよく飼いならされています。
そういえば、原宿では家畜が餌を求めるように、餌場のようなお店の前はいつも行列です。
わが家のチャッピーよりも「お行儀」はかなり悪いですが。

さて私もその一員なのでしょうが、小賢しい学びよりも、チャッピーに学ぶべきかもしれません。
そういえば、チャッピーは一見待っているような振りをして、時々、飼い主の目をごまかします。
見習わなければいけません。

人生すべて師ですね。はい。

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2009/09/29

■政治家と政党

自民党総裁選の結果を見て、青木・森体制はまだ健在だと思いました。
組織の生まれ変わりは難しい課題です。

そもそも政党とは何なのか。
私は前にも書いたように、政党政治は20世紀モデルだと思っていますが、政党は権力維持のコスト削減とエネルギー縮減のための仕組みです。
その視点から考えると、今回の自民党総裁選の結果はとても納得できるものです。

政治家は、そのミッションの故に権力(社会への影響力)を追求する存在ですが、それを効果的に展開するための仕組みが政党だといっていいでしょう。
田中真紀子さんが、政党に属しなければ何もできないといったのは、まさにその通りです。
河野太郎さんが、あそこまで森体制を批判しても、そこから抜け出られないのは、政党政治の呪縛のためでしょう。
渡辺喜美さんも政党政治の呪縛から解放されていなかったが故に、行動が中途半端でした。
要するに、みんな20世紀型政治家なのです。

基礎自治体の選挙にまで、政党が顔を出してきています。
政党に身を置く政治家は、住民発想にはなりにくいでしょう。
政党に身を置くようにした地方政治家は一切応援しないのが私の基本姿勢ですが、なぜかみんな政党に依存しがちです。
こうした「地方分権型自治」も20世紀型モデルです。
住民主役や地域主権とは似て非なるものです。
そんな政治家は、私には全く関心がありません。

これまでの政党と政治家に共通するのは、競争の原理です。
いいかえれば権力志向であり、影響力拡大志向です。
これはいささか整理しないと危険ですが、自らが信ずる志を実現し、社会をよりよいものにするためには、権力を高める必要があります。
しかし、社会をよりよいものにするための方法や考え方は一つではありません。
いろいろとあるはずです。
ですから、さまざまな価値観が多様な政治家や政党を生み出していくわけです。
そしてその政党、あるいは政治家の間で「競争」が発生します。
切磋琢磨する競い合い、多様な視点で熟議し共創する競い合いであれば、あまり問題は起きないのですが、多くの場合、相手を潰すための競争が覆いだします。
生き残るためには組織化が効果的になります。
そして気づいてみると、みんなその組織の呪縛に囚われてしまっているのです。
そうした人たちの志など、とるに足りません。

でも社会の片隅で、どんなに素晴らしいことを提案していても、そのメッセージが社会の多くの人々に届かなければ社会は変わらないではないかと思うかもしれません。
たしかにそうでしょう。
しかし、社会は「変えられる存在」ではなく、「変わっていく存在」なのです。
そういう視点で、最近の社会の動きを見ることが大切なのかもしれません。

この1か月の政治の動きは、いろいろな問題を可視化してくれたように思います。

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■節子への挽歌758:もはや万策尽きました

昨日は自殺防止で効果を挙げている天ヶ瀬ダムに行ってきましたが、なぜ人は自殺するのでしょうか。

節子が辛い闘病に入った頃、若い友人からメールが来ました。

もはや万策尽きました。
お借りしたお金も返せなくなりました。ごめんなさい。
嫌な予感がしました。
すぐにメールをしました。
電話は通じませんでしたから。
昨年秋、私たち夫婦は「希望」を失っていました。
医師からは極めて厳しい宣告を受けていたからです。
しかし、年末に、「希望」を持つことの大切さに気づきました。
そうはいってもなかなか意識は変えられませんでしたが、
希望を意識しだしてから3か月くらいたって、
漸くすこしずつ先を考える余裕が出来てきました。
そして、ともかく前に進みだすことが出来ました。
大きな問題は何一つ解決していませんが、
生き方は変わりましたし、覚悟も出来ました。
その結果、本当に少しずつですが、事態が好転しだしています。
いやそう思って、前に進み続けているというのが正直なところですが。
***さんとは事情が全く違うといわれそうですが、
そうではないかもしれません。

***さんの仕事探しに協力しようと思っていた矢先です。
万策尽きたということですが、
まだ早くはないですか。
いずれにしろ、私たちに比べれば、
***さんにはずっと大きな「希望」があるように思います。
万策尽きたと思い込まずに、ぜひ前に進んでいってほしいと思います。

返事が来ました。
朝の万策尽きたというメールは、お詫びのメールです。
その後、包丁で自殺するためだったので。
遺書も書きました。
しかし、地震と心臓で死にかけた人間には、まして借金を残したままの人間には、なかなか死ぬことが許されないらしいのです。
人間とは不思議なもので、刃物を強くあてても、
最後の一突きで、筋肉が硬化して押し戻すのです。
衝撃的なメールです。
しかし、このメールを読んで、大丈夫だなと思いました。

彼はその後、自己破産をして郷里に戻りました。
生活を立て直したら連絡をしてくれるそうです。
連絡を待ち望んでいます。
人は、死んではいけません。

明日また、続きを書きます。

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2009/09/28

■節子への挽歌757:死が感じてからの節子の生き方

節子
今日は京都の宇治にある天ヶ瀬ダムに行ってきました。
自殺のない社会づくりネットワークの立ち上げのために、各地の、いわゆる自殺多発場所をみんなで手分けして回っていますが、ここはとても積極的な取り組みをしていると東尋坊の茂さんに聞いていましたので、ぜひ実際に見てみたいと思ったのです。
久しぶりの宇治です。
天ヶ瀬ダムは宇治平等院のすぐ近くです。
時間があったので平等院に寄ろうと思えば寄れたのですが、やはりどうも立ち寄る気が起きず、結局、寄りませんでした。
節子との思い出のあるところには、寄りたいのに寄れないのです。

ダムといえば、奥只見湖ダムに節子といったことを思い出します。
あの時も中国から日本に働きにきている若者たちのグループと仲良くなりました。
一緒に写真をとり、また東京に戻ったらオフィスに遊びに来るよと言うことになりました。
彼らのために何かできることがあるはずだと、私たちは思ったのです。
しかし、残念ながら、その後の交流は始まりませんでした。
まあこうしたことはよくありました。

旅先で出会った人との交流を楽しむのは節子の文化でした。
自然と話しかけて、そこに入っていくのです。
でもこれは、節子のもともとの文化ではありませんでしたし、私の文化でもなかったのです。
いつから、そういう文化が生まれたのか。
もしかしたら節子が病気になってからかもしれません。
思い出してみるとそんな気がします。
もちろんその前も、そういう傾向はなかったわけではないのですが、病気になり、一時回復に向かってからの節子は、人とのふれあいをいっそう大切にするようになりました。
出会った人に声をかけ、音信がなくなっていた人に手紙を出し、旧友とも会いに遠出をするようになりました。
旅先で会った人との一期一会も大切にしたのです。
病気を一時期、克服するかに見えた節子の生き方は見事なほどに積極的でした。
そして何よりも、人が好きになったような気がします。

節子は自らの生の証をできるだけ多くの人たちに刻み込んでおきたかったのかもしれません。
私の目線は節子だけに向けられていましたが、節子の目線はすべての人に向けられていたのです。
そのことに気づいていたら、もっともっと節子が喜んでくれるような場をつくれたのですが、私はいつも気がつくのが遅いのです。

節子の闘病時代は輝いていたのだ、そう思うと少し心がやすまります。

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2009/09/27

■ソクラテスは毒を飲みたかったのです

今日、地元の友人たちの集まりからの帰りに歩いていて、突然思いついたのですが、ソクラテスが逃げることなく「悪法もまた法だ」と言って、毒杯を飲んで死を選んだ理由がわかりました。
これまでいろいろと考えたことはあるのですが、なかなか理解できませんでした。
その気になれば逃げられたのに、なぜ自ら死を選んだのか。
ソクラテスの警告に関して、書いたことがありますが、その時も実は「逃げるべきだったのではないか」と思っていました。
なぜソクラテスは逃げなかったのか。
中学校以来のその謎が解けたのです。

理由はただ「飲みたかった」のです。
難しく考えることはない、ただ飲みたかったのです。
なぜか、その気分が急にわかったのです。
もし私が同じ立場だったら、やはり飲むだろうなと思いました。
3年前であれば、飲まずに逃げましたが。

50年考え続けてきた謎が解けたのですから、私には大発見です。
まじめに読んでくださっている人には怒られそうですが、私もとても真面目に書いています。
人生が変わってしまうほどの大発見なのです。私にとっては。

ソクラテスの毒杯問題だけではありません。
最近、子どもの頃からの難問が次々と解け出したのです。
小気味よいほどに社会が見えてきたのです。
少し危ないのではないかと思うほどです。

今日、友人の武田さんから電話がありました。
武田さんは私の「脳機能」をけっこう高く評価してくれています。
ところが最近、佐藤さんの脳はどこか配線がおかしいのではないかと言い出しました。
たしかにおかしいでしょう。
論理が大きく飛躍してしまっていて説得力がないのでしょう。
しかし、見えてしまうと論理など瑣末なのです。
なにしろ「見える」のですから。

世界が見えてくると、「もういいか」という気になってきます。
なにしろ見えてしまうのですから、もういいかとしか言いようがない。
人は、こうして毒を飲む準備を進めていくのだと気づいたのです。

ソクラテスは幸せだったに違いありません。
最近、自らの不幸さを嘆きたくなります。
わけのわからないものになってしまいましたが、まあそのうちきっと、皆さんも「見えてきます」。
もう見えている人もいるかもしれませんが。

明日はもう少しまともな記事を書きます。
見えるものに目をつぶりながら。

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■節子への挽歌756:「むすびびと」と「おくりびと」

節子
一条真也さんが「むすびびと」という本を編者として出版しました。
人と人、一条さん的にいえば、魂と魂を結ぶ仕事をしている、いわゆるウェディングプランナーと呼ばれる人たちの体験した感動的なエピソードを集めた本です。
「むすびびと」は一条さんの造語ですが、一条さんは「結婚」も「結魂」と捉えており、「結魂論」という著書も書いています。
一条さんには節子は会ったことはありませんが、節子が闘病中に元気になるようにと韓国のお寺からお守りを送ってきてくれたこともあります。
節子は最後まで、そのお守りを大事にしていました。

一条さんは、映画で話題になった「おくりびと」に触発されて、きっとこの本を思い立ったのでしょう。
一条さんからは以前から「おくりびと」も薦められているのですが、まだとても観る気にはなれません。

一昨日、久しぶりに人と情報の研究所の北村さんが湯島に来てくれました。
たまたま先日、朝日ニュースターのテレビに出ていた私を見て、私が活動を再開したことを知って、やってきてくれたのです。
そこで、たまたま「おくりびと」の原作である「納棺夫日記」の著者の青木新門さんのことが話題になりました。
青木新門さんは北村さんのお知り合いなのです。
「むすびびと」を読んだ翌日だったので、なにかとても縁を感じてしまい、北村さんにも「むすびびと」の本を紹介させてもらいました。

「むすびびと」と「おくりびと」。
私は「おくりびと」も「納棺夫日記」も、その内容は知らないのですが、そういえば、一条さんの葬送論を読んでいないことに気づきました。
結婚を「結魂」と捉えた一条さんであれば、おそらく魂に関わる形で葬送を語ってくれそうです。
もう15年ほど昔になりますが、私が一条さんに興味を持ったのは、一条さんの対談集「魂をデザインする」という本だったことを思い出しました。
もしかしたら、いま読み直すと、全く違ったメッセージを読み出せるかもしれません。
この15年間で、おそらく私の感受性や生命観は変わっているはずです。
改めて読み直してみたくなりました。
いまはまだ「葬儀」という文字を見るだけで心が緊張してしまうのですが、一度挑戦してみようと思います。

節子を見送った意味、今の節子にとっての私の意味、など、いろいろと気づくことがあるかもしれません。
あるいは、抽象的な退屈な対談に感ずるようになっているかもしれません。
それを読んだ上で、いつかまた最新の一条さんの葬送論を聴きたいと思っています。

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2009/09/26

■新しい頼母子講「みんなの貯金箱」の提案

頼母子講の話の続きです。
頼母子講がダメになりそうであれば、ますますやる価値があります。

たとえばこんなのはどうでしょうか。
毎月1万円ずつを2年間出資する仲間を募ります。
24人集まると毎月24万円集まります。
出資した人は2年間に1回だけ、そのお金を購入する権利を持ちます。
そして毎月集まった24万円の買い手を募ります。
おかしな言い方ですが、24万円をいくらで買うかの入札をします。
一番安い価格で購入する申し出をした人が購入します。
但し、一度、購入した人は以後購入権を履行できません。
つまり、2年間で24万円出資した分を2年間に1回だけ取り戻せるというわけです。

急いでまとまったお金が欲しい人は、1万円の出資で24万円近いお金を入手できます。
但しその後、毎月、1万円ずつ返却することになります。
24万円を買う時の対価は24万円以下になりますが、その差額はいわゆる手形割引のようなものです。
もし買う人がいない時はどうするか。
これはさまざまな仕組みが考えられます。
2年後の満期時にはどうするか。
これもいろいろ考えられるでしょう。

こんな仕組みをぜひ実現したいと思っています。
興味のある方はご連絡ください。
信頼関係がないといささか不安がありますので、発足は1年後です。
1年間、付き合えば信頼関係は育つでしょうから。
毎月の出資額や参加人員数によって、金額規模は変わります。
困った時の、みんなの貯金箱のような話です。
どうですか、やってみませんか。

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■ものわかりのよすぎる国民

先日開催した「支え合いサロン」でお呼びした方が、以前、頼母子講を検討していたのでそれがどうなったかにとても興味がありました。
ところが、法制度的にこれからは難しくなりそうだということで止めてしまったということでした。
とても残念です。

共済制度ですら存続が難しくなってきています。
この30年くらいで、「通貨」の意味が大きく変質しましたので、通貨が中心にある仕組みは軒並み影響を受けています。
ですから、その世界から自らを抜け出させないといけません。
その試みの一つが、もう一つの通貨である「地域通貨」です。

期待していた頼母子講の動きが、実施の前で中止になったのは私にはとても意外でした。
なぜなら、法制度の世界から抜け出ようというのが住民の活動ではないかと思っているからです。
無茶な議論に聞えるかもしれませんが、法制度を絶対視する必要はありません。
所詮は人間がつくったものです。
であればこそ、おかしな法制度には抗って行動しなければいけません。
住民の支え合いの文化は、そうした表の経済とは違った文化を志向しなければ、単なるサブシステムに終わります。
ですから規模などは別にして、志向においては法制度を利用するという姿勢が大切で、法制度に従ってはいけないというのが、私の考えです。

たとえば、私が裁判員制度に指名されたら、私は拒否します。
拒否が受け容れられずにやることになったら、私が知ったことは私の判断で公開します。
法制度で罰せられたらそれは仕方がありません。
私もこの社会のおかげで平安を維持できているのですから、罰は受けねばなりません。

さて頼母子講の話です。
私たちは少し「ものわかり」がよすぎるのではないかと感じました。
お上が頼母子講がダメだと考えているようなので、頼母子講は止めよう、といっていたらなにもできなくなりはしないか。
共済制度の関係者の動きを見ていると、どうも法制度を前提に動いているように見えます。そこから自由になって、まずは自分たちが取り組んでいることの価値を自信を持って世に問うことです。
ロビー活動で社会が変わる時代はもう終わりにしなければいけません。
そんな気がします。
自分たちの独自の仕組みを考え出す時期かもしれません。

具体的な頼母子講の提案は項を改めます。

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■節子への挽歌755:嵐のような1日

節子
今日は疲れた1日でした。
このブログでも書きましたが、今日は手づくり散歩市の1日目でした。
工房にもお客様がありましたが、それ以上に、思ってもいなかった人たちがやってきました。
節子が会ったことのない、初めての人が2人いました。
それも2人とも、並みの人ではない人です。

まずは daxさん(彼から実名は書くなと前に言われているのです)。
CWSコモンズのほうには時々登場しますが、任侠の人です。
まさかdaxさんが来るとは思ってもいませんでしたが、考えてみると予想すべきでした。
daxさんはこの挽歌を読んでいますし、それにコーヒーが好きなのです。
コーヒーを飲みに来ませんか、と書いたらやってくるでしょうね。
実際、daxさんは開口一番「コーヒーをのみに来たよ」と言って入ってきました。
ちょうど佐々木さんと話していたところでしたが、佐々木さんも実はdaxさんのブログまで読んでいましたので、面識はなくとも親しみをもっていました。
それに、佐々木さんとdaxさんは根本的なところで通ずるところがありますので、話は弾みました。
ただ、daxさんは話し出したらとまらないので、2時間以上、まるで彼の独演会でした。
疲労困憊です。
daxさんに節子を守っている大日如来をお引き合わせしました。
彼は僧籍も持っていますが、とてもいいとほめてくれました。
俺は不動明王に似ていると言われるんだとdaxさんは言いましたが、彼は地蔵菩薩の雰囲気です。
もちろん外観だけではなく、心身ともに地蔵菩薩なのです。
その愛すべき地蔵菩薩に拝んでもらって、とてもうれしい気分です。

みんなが帰って、今日は疲れたなあ、と娘たちと話していたら、電話がありました。
なんと福山さんからの電話で、いまわが家の近くにいるというのです。
いやはや、一難去ってまた一難、という気分ですね。
福山さんは、自殺のない社会づくりネットワーク準備会の事務局長をお願いしているのですが、これまた尋常の人ではないのです。
daxと同じで、話しだしたらとまりません。
福山さんのエネルギーの大きさは、台風を思わせるほどです。
娘たちも圧倒されていました。
真紅のバラとつくばブランドのバラを持ってきてくれました。
わが家の大日如来にも、そして献花台にもバラを供えてくれました。
きっと節子も驚いたことでしょう。
節子以上に、「天然」の人なのです。天然のタイプがちょっと違いますが。
福山さんはスペインタイルも気にいってくれ、工房を案内したら、そこから出てこないので、私は30分以上、手持ち無沙汰させられました。
それにしても福山さんの嵐にわが家は翻弄されてしまったわけです。

というわけで、今日は節子の知らない2人の人が節子にお参りしてくださったわけです。
節子も少し戸惑ったことでしょう。
でも安心してください。
もう一人お参りしてくれた佐々木さんのような人との付き合いもあるのです。
いえ、その佐々木さんも考えてみると決して尋常な人ではないですね。
どうも私の周りには、尋常らしからぬ人が多いようです。
今日は本当に疲れました。

節子
まあこんなわけで、活動再開の余波は、わが家にまで届きだしています。

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2009/09/25

■節子への挽歌754:私が先に逝ったら節子はどうしただろうか

節子
昨夜、恒例の支え合いサロンを開きました。
支え合いながら暮らす生き方を取り戻したいという、コムケア活動の一環で、毎月やっているサロンです。
今回は、高崎市で「ゆいの家」を主催している高石さんをゲストにお呼びしました。
まさに私たちが目指している「結い」を掲げて活動されている人です。
その地道な活動に共感しています。

実は高石さんの伴侶も節子と同じくがんでした。
節子とほとんど同じような形で、がんと付き合い、同じように伴侶を残して先に旅立ってしまいました。
昨年12月のことです。
このことは、挽歌502:「父ちゃんが逝って1か月がたちました」で書きました。

高石さんを支えたのは、もしかしたら「ゆいの家」の活動だったのかもしれません。
久しぶりにお会いした高石さんは元気そうでした。
「父ちゃん」がいるときは、生活費の心配はすることなく社会活動ができたけれど、今度は少し自分で生活費を獲得しなければいけないというわけで、活動を少し見直そうとしています。
たしかに生活基盤がしっかりあっての活動と生活基盤を含めての活動では違ってきます。

私が先に逝ったら節子はどうしただろうかと、ふと思いました。
借金はもうそれほどありませんが、私がいなくなると収入はゼロ。
節子の年金は3万円程度でしたから、やってはいけません。
そう考えると女性たちの社会活動は男性の労働に支えられていることがよくわかります。
これはまたいつか時評編でしっかりと書きたいと思いますが、私が先に逝ったら、節子は路頭に迷ったかもしれないと一瞬思いました。
しかし、そんなことはないでしょうね。
女性の生活力は男性とは大違いですから。
でも、節子一人を残して先に行くとなったら、私としては、心配で心配で仕方がないでしょうね。
私のいない節子は、私には全く想像できないのです。
節子は本当に頼りない人でしたから。

と考えてきて、これはもしかしたら節子の思いだったのではないかと気づきました。
頼りない私を残して、先に逝った節子の不安が痛いほどよくわかります。
がんばらなければいけません。
女性の強さには勝てませんが、それなりにがんばって、節子を安心させなければいけません。
まあ安心はしないでしょうが。

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2009/09/24

■生きた言葉のパワー

民主党政権の閣僚の発言は、生きているような気がします。
それに比べると、これまでの政治家の言葉は、みんな生きていませんでした。
たとえば、自民党の河野太郎さんの発言に対して、町村さんは「「固有名詞を出して、いろいろと批判するのはいかがなものか」と言ったそうです。
「いかがなものか」は、麻生前首相の口から何回も出た言葉ですが、生きている言葉とはいえません。
もっとはっきり自分の考えを直裁に言ってほしいものです。

「自殺のない社会づくりネットワーク準備会」の事務局スタッフである私のところに、会ったことのない人から何回かメールが届いていますが、彼は「言葉は大切です」と3回も言ってきました。
おそらく「言葉」に裏切られたことのある人です。
ですからその人とのメールのやり取りは緊張します。
私自身、その人への言葉に一度間違いをしてしまいました。
危うく私への不信感をもたれそうなところまでいきました。
その後、幸いに信頼関係を回復しましたが、誤解を与えるような言葉は、何を引き起こすかわからないからです。
言葉のパワーは思った以上に大きいです。

あるプロジェクトに一緒に取り組んでいる人から、私の言葉が頭を混乱させるといわれました。
軽い気持ちで話したことが相手にダメッジを与えることに注意しなければいけません。
その人からは、佐藤さんの言葉遣いは普通とは違うと注意されました。
もちろんあまりよくないと指摘されたのです。
反省しなければいけません。
私の言葉にはあまり悪意はないのですが、かなりきついのかもしれません。
まさに言葉のハラスメントです。
注意しようと思っています。
これまで付き合ってきた友人たちにも不快感を与えてきたのかもしれません。
思い当たることは、多々あります。
言葉のパワーは、本当に大きいです。

民主党政権の閣僚の言葉に戻ります。
彼らの言葉は新鮮ではつらつとしています。
私が政策的に大嫌いな前原さんの発言も聞いていて気持ちがいいです。
それに比べて、八ッ場ダム界隈の住民代表たちの言葉は、私には死んでいるように聞こえます。
彼らは、私の感覚では住民ではありません。
言葉を聴けば、その人の世界が見えてきます。
ああいう住民たちが政治を私物化してきたとさえ思います。
もちろん彼らが政治に翻弄されてきたことはわかりますが、死んだ言葉を語る人には共感をもてません。

自民党総裁選はどうでしょうか、
河野さんの言葉は大きく跳んでしまっていますが、生きているように思います。
まあ総裁選では負けるでしょうが、政治への影響はあるでしょう。
自分が発した言葉によって河野さん自身が影響されるでしょう。
しかし、それはきっと彼を豊かにするでしょう。
政治にも生きた言葉が活躍しだしたことは、実にうれしいことです。

鳩山首相が、まずは「信頼関係」と言っているのは、とても共感できます。
政治は言葉の世界の話ですが、基本に信頼がなければ、言葉は生きてきませんから。

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■節子への挽歌753:閉じられた世界

節子
最近ちょっとまた気が下がっています。
どうも生き生きした現場との接点がなくなってきており、充実感がないのです。
節子が持っていた現場感覚がとても懐かしいです。

気が萎えてくると、それが実によくわかります。
軽い「うつ」かもしれません。
しかし、こればかりはいくら自覚しても対応はできないのです。

原因はなんだろうかと考えました。
答は簡単でした。
心で話す時間が少なくなっているのです。
節子がいた頃は、いつも心で話をしていました。
頭で、ではありません。
その話の多くは、ライブな心身につながる生活情報であり現場情報でした。
その話し相手が自宅にいないのが一番の原因だろうと思います。
最近私が話している内容は、どちらかといえば、頭や知識の情報です。
おもしろいのですが、どこかに虚しさがあります。
その世界だけだと、とても疲れるのです。
憩いがないのかもしれません。

節子と話していた多くのことは、極めて個人的で感情的な世界の、それも無意味な話でした。
ただ思うがままに反応しあう世界。
しかし、そこは顔の見える人が織り成す世界でした。
それも、自分が生きている足元につながっている話です。
気候変動の話でも、八ッ場ダムの話でもありません。
いわゆる「茶飲み話」です。
最近どうもそれがないような気がしています。
そういえば節子は私のよく声をかけてくれました。
「修さん、お茶でも飲まない」
節子を通して開かれていた世界が、どうも最近閉じてしまっている。
節子とお茶を飲む時間が、私にとっては大きな意味を持っていたようです。

どうも何かのバランスが崩れてきている。
さてさてどうしたものでしょうか。

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2009/09/23

■住民とはだれか

八ッ場ダム建設中止に関しては、前原大臣の現地視察にもかかわらす、「住民側が出席しないことになった」と報道されています。
国政に翻弄されてきた住民の怒りはよくわかります。
しかし、ここでちょっと気になるのは、「住民」とはだれなのか、です。

私が「住民参加」に違和感があるのは、だれを選ぶかによって「住民」の実体はどうにでもなるからです。
概念としての住民参加はありますが、現実としての住民参加は多様な意味を持つものであり、実際にはありえないものだと思っているわけです。

ところで、今回の八ッ場ダム問題での「住民」とは誰なのでしょうか、
テレビでは、ともかく住民は建設中止に反対しているといいますが、本当でしょうか。
そもそも「反対」の内容は何なのでしょうか。
そうしたことに全く触れられることなく、テレビは建設中止を決めた政権を批判し続ける影像を流しています。

数年前の諫早湾の事件を思い出します。
この問題に関わっていた友人から聞いた話ですが、地元の漁民の多くは反対だったにも関わらず、公式の場での反対集会にはわずか3人しか参加しなかったそうです。
せまい地域共同体社会では、大きな流れに従っていかないと暮らしてはいけないのでしょうか。
自治体の首長や建設推進組織の人の背景に、本当に生活者としての住民がいるのか、とても疑問があります。
大切なのは、ダムを造るとか止めるとかいう話ではなく、生活をどうするかという話のはずです。
ダム建設中止を前提としている限り話し合わないというのは考えてみればおかしな話です。
問題設定が間違っているのです。
それに民主党政権は、ダム建設中止をマニフェストに掲げて政権を得たわけです。
テレビで憤りを語っている現場「住民代表者」たちはそうしたことが全くわかっていないのです。
そうしたことが、おそらくこれまでの八ッ場ダム建設にまつわる歴史の根底にあるような気がします。
そうした社会構造をこそ変革していかねばいけません。

八ッ場ダム周辺の住民たちを批判しているのではありません。
それは決して、彼らだけの話ではないからです。
私たちの周りにも、同じような問題があるのではないか。
そんな気がします。

問題の設定を間違えると、すべてが無駄になるような気がします。

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2009/09/22

■節子への挽歌751:世界の広さ

昨日、挽歌を書いていて、思い出したことがあります。
ある女性の方が、「男の人は会社を辞めると意外と友人が少ないから」と言いました。
また、別の機会ですが、企業の経営幹部のみなさんと話していて、女性と男性の違いが話題になりました。
全員男性でしたが、「女性のほうが、世界が広い」というのです。
反対ではないのか、と異論を唱えましたが、だれも賛成しませんでした。

男性中心に動いている工業社会では、男性の方が行動範囲も人との接点の広がりも大きい。
したがって、男性の生活世界のほうが広く、視野も広い。
これがしばらく前までの常識だったような気がします。
いつから変わってしまったのでしょうか。
男性自らが、自分たちの世界の狭さを認め始めたのです。
これは私には大きな発見でした。
私もかなり時代から取り残されてしまってきたのかもしれません。

私は節子よりも世界は広く友人知人も多いと思っていました。
なにしろ年賀状は節子の10倍は届いていましたし、声をかければ集まってくれる友人も世代を超えて多かったからです。
節子でさえ、私の交流の範囲の広さには感心していました。
ところが、節子がいなくなってから、節子のほうが友人が多いことに気がついたのです。

年賀状が多ければ友人が多いわけではありません。
葬儀に来てくれる人が多ければ、友人が多いわけでもないでしょう。
私の葬儀にはたくさんの人が来てくれるかもしれませんが、3回忌に来る人はいないでしょう。
節子はたくさんの友人たちに囲まれていたことがよくわかります。
それはおそらく「世界の広さ」にもつながっています。

私は節子よりも「知識」や「情報」はたくさん持っていました。
しかしそうしたことは、世界の広さにつながっているでしょうか。
中途半端な知識があると、人はついつい「知ったかぶり」をします。
私は、まさにその典型で、家族からは評判がとても悪いのです。
「知識」や「情報」があると、本当の現場の世界との付き合いを阻害することもあります。
知っていると思っているが故に、現実が見えなくなってしまうのです。
私は時々、節子からそれとなく注意されました。
情報は現実を見えやすくもしますが、見えにくくもするのです。

知識や情報で世界をみるのではなく、自らの心身で世界を感ずる。
節子がいなくなってしまった今、そのことに心がけているのですが、話し合う節子の不在はやはり私の世界を狭くしてきているような気がします。
困ったものです。

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■裁判員制度が好評ですって?

今日は「私憤」をこめて。

19日に朝日ニュースターのテレビ番組での体験なのですが、キャスターのばばさんが「裁判員制度も始まるまでは反対者が多かったのに、始まったら好評ですね、日本人の習性ですね」という話をして、裁判員制度を推進してきた小林元弁護士に話をふりました。
小林さんも、始まる前は半分以上が反対でしたと答えました。
裁判員制度に大反対の私は心中穏やかならずにムッとしていましたが、その話の後、突然にばばさんは私に別の話題で話を向けてきました。
正直、とても不愉快な気分でした。
もちろん、ばばさんも小林さんも私が裁判員制度反対なのを知っているはずです。
裁判員制度が始まる前に、この番組でも私は批判したことがありますし。

まあそれだけの話なので、こんなところに書くつもりはなかったのですが、昨日、八ッ場ダム問題を例にして報道の偏りについて書きましたので、もう一つの例として、裁判員制度を書くことにします。
まあ、いささか「うっぷんばらし」でもあるのですが。

最近の新聞は、裁判員制度を既成事実として肯定し、その普及啓発活動に移っていますが、マスコミの報道しないところでは、「裁判員制度はいらない!大運動」も起こっています。
http://no-saiban-in.org/
各地での抗議運動も始まっていますが、あまりマスコミでは取り上げられないでしょう。
民主党政権になって変化があるかもしれませんが、いまの段階では話題にはされていません。
それにどうも千葉景子法相はいまの裁判員制度に(私が知る限り)反対ではないようです。

マスコミの報道だけで思考しているとばばさんや小林さんのような発想になるのでしょう。
見たいものしか見えなくなるというわけです。
お上に飼いならされることだけは注意しないとまた80年前の繰り返しになりかねません。

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2009/09/21

■報道の偏りへの自衛、たとえば八ッ場ダム問題

民主党政権発足以来、再びテレビ報道を見るようになったのですが、やはりどうも違和感があります。
政権は変わってもマスコミは変わっておらず、まだ旧来の延長で発想しています。
情報の出所もおそらく同じなのでしょう。

たとえば、八ッ場あしたの会という組織があります。
私の知人も何人か関わっていますが、2006年から活動を続けています。
もし八ッ場ダムの中止に疑問をお持ちの方がいたら、ぜひその会のサイトを読んでください

八ッ場ダムについて流されている情報の誤りについて」が、この連休前に掲載されました。
そこでは、次の6つのことがしっかりと説明されています。
○八ッ場ダムを中止した方が高くつくという話の誤り
○八ッ場ダムはすでに7割もできているという話の誤りについて
○八ッ場ダムの暫定水利権がダム中止に伴って失われるという話の誤り
○大渇水到来のために八ッ場ダムが必要だという話の誤り
○八ッ場ダムは利根川の治水対策として重要という話の誤り
○ダム予定地の生活再建と地域の再生について

ここで書かれていることがすべて正しいとは言いませんが、最近のマスコミの報道の偏りはいかにもと言う気がします。
ともかく建設が中止になったら大変だという方向での映像が繰り返し放映されるのは世論の誘導と言われても仕方がありません。
テレビでは、メッセージよりも「絵になる」ものが優先されるのかもしれません。

これはほんの一例です。
たとえば、鳩山首相や民主党に関して、私たちのイメージはどうだったでしょうか。
政権党になり、首相になってからの報道で、イメージはかなり変わったはずです。
つまり、私たちが持っているさまざまな評価は、そのほとんどがマスコミによってつくりだされているのです。
言い換えれば、私たちは「ほんとうは何も知らない」のです。
周りの人の評論を聞いていると、ほとんどがマスコミや有名人の言葉をなぞっているだけです。
自分の考えなどなく、誰かの言葉をなぞっているうちに、それが自分の言葉になってしまっているのです。

もうひとつ、たとえばですが、予算策定に関して、管さんと藤井さんとにそんなにずれがあるでしょうか。
私には全くと言っていいほど感じません。
企業のスタッフを経験した人なら、違和感は全くないはずです。
新政権に対して「悪意」をもっている人が、無理やりつくりだしているように思います。

そろそろ私たちは気づくべきです。
外から届く情報には、すべて発信者の意図があることを。
もちろん、この時評もまさにそのものなのですが。
情報に振り回されないためには、自分の視座と複数からの情報が大切です。

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■メールをやっていないのに名刺にアドレスをかくのはやめましょう

前にも書いたことがあるような気がしますが、もらった名刺にメールアドレスが書かれているので、メールを出しても、なんの音沙汰もない人がいます。
以前はそういう人が多かったのですが、最近は少なくなってきました。
それでも今もなおそういう人がいます。
一番不快なのは地元の行政の職員にも、そういう人がいることです。
ある人に今年の初めから2回メールをしましたが、何の連絡もありません。
まあ忙しいのかもしれないと見過ごしていましたが、昨日、久しぶりにテレビに出て、そんな話が出たこともあって、やはりおかしいことは見過ごしてはいけないと思い、当の本人と上司に指摘することにしました。
そのうえ、さらにこのブログにまで書くことにしました。

いろいろのところと接点を持つと、そこの良さと悪さがよく見えてきます。
それを自分だけで留めていいのかどうか、迷うところです。
よく言われるのは良い情報はなかなか伝わらないが、悪い情報は急速に伝わるそうです。

一昨日、地元のグループの集まりをやりました。
ある人が私の近くの行政が絡んでいる産直センターのことで怒りまくっていました。
そして参加者みんなに、そのことを周りの人に教えてほしいというのです。
私もかねてからそのセンターには違和感を持っていましたので、ほとんど使わないのですが、その話を聞いたので今日、立ち寄ってみました。
一昨日聞いた話を立証する証拠はありませんが、さもありなんという感じでした。

こういう身近にある「おかしなこと」を指摘しだしたら身が持ちません。
それに場合によっては、いわゆる「近隣関係」にまで発展しかねません。
どうしたらいいでしょうか。

政治を変えるにはかなりのトラブルを覚悟しなければいけないという人が多いです。
同じように、生活を変えるのもトラブルはつきものです。
それを逃げていては、政権交代についていけないでしょう。
政権交代に期待するのであれば、私たちも言動を見直しましょう。

さて心を鬼にして、メールの返信のない職員にクレームをつけることにしようと思います。
でもまあ、メールは発信してしまうと取り返しが付きません。
友人を失うことにもなりかねませんし、私の評判を落とすことにもなりかねません。
こんな小さなことですらそうですから、民主党閣僚や河野太郎さんの勇気は見上げたものなのです。
彼らに比べると自分の小賢しさが恥ずかしくなります。

でもまあ、メールは明日にしましょう。
気弱な小市民は度し難いものなのです。
いやはや。

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■節子への挽歌750:「人」とは「相互支援の形」

節子
今年はシルバーウィークというのがあります。
秋の5連休です。
節子がいたら箱根に行っていたでしょう。
今年はむすめたちと行こうと話してはいましたが、誰も結局は具体的に動かず、そのうちにそれぞれいろいろと用事が入ってきてしまい、行けなくなってしまいました。
父親に付き合いたいと思うような娘はいるはずもありませんので、期待したのは私の甘えだったわけです。

節子がいなくなってから、私の行動力は大きく鈍ってきています。
いかに節子が私にとってのエンジンだったかがわかります。
伴侶がいなくなると、人の活動量は大きく変わりますが、その方向は増加もあれば減少もあるようです。
私の場合は、大きく減少しています。
一人になって身軽になる人も多いでしょうが、私はどうも心身が重くなりました。
これまでも何回かそう書いてきましたが、実際に重くなるのです。

概して女性よりも男性の方が行動量は「減少する」ようです。
「人」という文字は2本の棒が支えあっている形ですが、左が男性、右が女性と、よく言われます。
右の棒が左の棒を支えているわけですが、右の棒がなくなると左の棒はバタンと倒れて動かなくなるのに対し、左の棒がなくなると右の棒は抑えていたものがなくなり自由に伸びだすわけです。
そういわれると、そんな気もしてきます。

先日会った人からは、動きが鈍ったのは自立していなかったことの結果だよといわれました。
たしかにそうかもしれません。
しかし、私が言うのもなんですが、節子もあまり自立していませんでした。
節子も、私のようになかなか立ち直れずにいるでしょうか。
こればかりは何とも言えませんが、必ずしもソウとは思えません。
決して「自立」の問題ではないのです。

人という文字に戻れば、こうもいえます。
右の棒の支えがあればこそ、左の棒はしっかりと伸びられた。
左の棒の押さえがあればこそ、右の棒はしっかりと大地に根づくことができた。
つまり「人」とは「相互支援の形」なのです。

節子と私は相互支援の夫婦でした。
相互支援の関係になれた節子と出会えたことを、とても幸せに思っています。
節子がいなくなったいまも、生を続けなければいけないのはけっこう辛いことですが。

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2009/09/20

■節子への挽歌749:この週末、わが家の庭にコーヒーを飲みに来ませんか

節子
気持ちのいい秋晴です。
予定されていた集まりが延期になったので、今日は在宅しています。
窓から空を見ていると、3年前の千畳敷カールの青空を思い出します。
今日の空はあまりきれいではありませんが、あの日の空はきれいでした。

こういう日は、いつも節子は庭で花の手入れをしていました。
狭い庭であればこそ、そこを活かす工夫をいろいろとしていたのです。
私は整然とした庭ではなく、多少ごちゃごちゃした庭が好きでした。
ともかく多様な草花や樹木が絡み合うように育っているのが好きなのです。
節子はむしろ整然としたスタイルが好きでした。
しかし、幸いなことに、わが家の庭は狭いので、結果的にはごちゃごちゃした庭になってしまっています。
それに節子は、植えるところもないの、どこかで気にいったものがあるとすぐ買ってきたりもらってきたりしてしまうのです。
節子は私以上に無計画で先のことを考えないタイプでした。
ですからわが家の庭花は種類だけは実に豊富なのです。
むすめのジュンの手入れのおかげで、それはいまも持続しています。
それが私にはとても気にいっています。

次の土日(26日、27日)は我孫子で恒例の手づくり散歩市があります。
今年もわが家の庭にある娘のスペインタイル工房が参加します。
体験教室もあります。
節子の意志を継いで、その日は私がコーヒーを入れる役です。
コーヒーは庭で飲んでいただく予定ですが、その近くに献花台もあります。
きっと節子も一緒に楽しんでくれるでしょう。
去年、このコーヒーを飲んでくれたMさんが演奏に来てくれるという話もあります。
スペインタイルに興味のない人でも歓迎です。
近くの手賀沼散策もまあ捨てたものでもありません。
もしお時間があれば、どうぞお立ち寄りください。
どなたでも大歓迎です。

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■自民党総裁選での河野太郎の勇気

次々と物事を明確に語りだした民主党閣僚の発言は、政治が大きく変わりだす期待を膨らませます。
最近は新聞を見るのが楽しみになりました。
今日は障害者自立支援法廃止や八ツ場ダム自治体負担金返還などが報道されています。
いずれも明快で、方向にも共感できます。
ようやく日本にも政治が戻ってきた感じです。

その政治がおかしくなってきたのはいつからでしょうか。
私は一挙に曲がりだしたのは、森政権からだと思っています。
小渕さんが急死した後の森政権の成立はとても不明朗でした。
青木幹夫さんと野中広務さんと森さんの密室の談合で成り立ったような印象を持っています。
そこから日本の政治はおかしくなってきました。
その後の政治も、この3人が大きな役割を果たしました。

自民党総裁選での河野さんの発言は、民主党閣僚の発言と同じく、驚きました。
ここでもはっきりと問題を指摘する人が出てきたからです。
昨日の総裁選討論会での河野さんの発言は明快でした。
青木幹夫さんや森さんを名指しで批判し、「あしき体質を引きずっている人はベンチに入れるべきではない」といい、そうした体質を引き継いでのし上がってきた町村さんには「派閥の親分でありながら、小選挙区で当選されず比例代表で上がった方は、比例の議席を次の順番の若い世代に譲って頂きたい」と挑発したそうです。
さらに「町村さんが私の推薦人に電話し、河野太郎の推薦人になるなとやった」と暴露したというのですから、見事というほかありません。
河野さんはすでに離党を決意しているのでしょう。

それにしても、西村さんのような人までも惑わしてしまう自民党の文化はおどろおどろしい気がします。
個人が生き生きとしていない限り、組織の健全性は維持できません。
健全でない組織を維持するためには、お金が基本になります。
それは経済の流れにもつながっていきました。

河野さんの発言は小泉さんを思わせると記事に書かれていましたが、全く違います。
河野さんはリスクをとっていますが、小泉さんは自分ではリスクをとらなかったように思います。
常に自らを「いたみ」の及ばない場に置いていました。
理屈で闘うのは簡単ですが、実名で闘うのはよほどの勇気と信念が必要です。
自民党にも、身を捨てて立ち上がる政治家が戻ってきたように思います。
久しぶりに、ちょっとさわやかな気分になりました。

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2009/09/19

■オードリーの「春日」のファンです

オードリーというお笑いコンビがありますが、私はその一人の春日のファンです。私はあんまりお笑いコンビが好きではないのですが、春日は最初見た時からなんとなくホッとする感じになったのです。
その理由がわかったのは、しばらくたってからです。
春日さんは生まれてこの方、怒ったことがないというのです。
怒りやすい私としては、驚嘆しますが、たぶん「怒ったことのない人生」のなかで育ってきたオーラが、私を引き寄せたのでしょう。

もうひとり、おそらく怒ったことがない人がいることに気づきました。
娘の友人のSMさんです。
この人も怒ったことがないようです。
娘によれば、あまりに「天然」なので怒るということを知らないのだそうです。
しかし、これまた娘によれば、だから周りの人は大変で怒りたくなってしまうのだそうです。
もしそれが事実なら、いうまでもなく怒りたくなる周りの人が悪いです。

天然であるかどうかはともかく、「怒ること」を知らない人というのは凄いです。
そういう人ばかりだと、世界は平和になるでしょうね。
私もこれまで何回か、「怒るのをやめよう」と決意したことがあります。
しかしせいぜい1週間しか続きませんでした。
人間ができていないというか、自信がないというか、ともかく思うようにならないと怒ってしまうのです。
その理由は、後で考えると実に瑣末なことです。
他の人がそんなことで怒っていることをしったら何とまあ未熟な人だと笑いたくなるようなことが原因で怒ってしまっているのです。
春日さんをみて、学ばなければいけません。

そういえば、鳩山新首相ももしかしたら「怒る」ことをあまり知らないのかもしれませんね。
そんなオーラを感じます。
もしそうであれば、私たちはいい人を首相に選んだと思います。

蛇足ですが、オードリーの芸は私にはあんまり面白くありません。
ただ春日から出ているオーラが好きなのです。
ああいう人が近くにいると元気が出るでしょうね。
もっとも娘は、元気が吸い取られているようですが。
テレビで見ているのがいいのかもしれません。

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■節子への挽歌748:Mourning

対象喪失によって起こる一連の心理過程を「モーニング」というそうです。
morning(朝)ではなく、mourningと表記するのですが、辞書によれば「悲嘆」とか「喪中」とあります。
精神分析の世界では、悲嘆を克服していく過程をモーニングと呼ぶようです。
つまり「喪に服す」ことと言ってもいいでしょう。

昨日、引用した「希望のケア学」で読んだのですが、モーニングのあいだ、人はさまざまな悲しみや苦痛を体験し、やがて現実の受容にいたるのだそうです。
その期間は人によってさまざまだそうです。
モーニングのあいだ、「悲しみ」「さみしさ」「怒り」「落胆」といったマイナスの感情が波のように押し寄せてきて、失われた対象が何度も脳裏をよぎり、そのたびに苦痛が心を支配する、と書かれていました。
そして、現実を受容できるようになると、モーニングが終わる、つまり喪があけるというわけです。
納得できるようで、どこかに違和感があります。
私の場合は喪があけることなどないという思いがあるからです。
それに、現実は受け容れていながら受け容れていないのです。

その本の紹介では、モーニングには4つの段階があるのだそうです。
第1期はショックで頭が真っ白になってしまい感情がなくなってしまう状態。
第2期は必死になって失った対象を取り戻そうとする抗議の段階。そこでの感情は「怒り」だそうです。
第3期は絶望と抑うつの段階で、あきらめからの「悲しみ」「空しさ」「落胆」といったマイナスの感情が支配的になるのだそうです。
そして第4期は対象からの「離脱の段階」。新しい対象に興味がうつり、活力や陽性の感情が支配するようになり、「もう気持ちの整理がついた」「前向きに考えていこう」と思えるようになるのだそうです。
これらは必ずしも一直線ではなく、行ったり来たりしながら進行すると書かれていました。

これもそう言われればそんな気もします。
私も節子を送った直後は、現実を理解できずに異常に冷静でしたが、感情は希薄化していました。
しかし、その後、抗議の段階や絶望の段階の実感はありません。
この挽歌を読み直すと、もしかしたらそうした感情が読み取れるのかもしれませんが、怒りや落胆とはちょっと違うような気がします。
ましてや「離脱」など考えられません。
自分の気持ちを整理してみると、むしろ「混乱」「理解」「正当化」「同一化」といった4段階を感じます。
そして「同一化」により、心身の平安が得られるのです。

喪をあけなくとも「平安」は訪れます。
逆に言えば、「喪はあけることはない」のです。
「もう気持ちの整理がついた」「前向きに考えていこう」などというのは、私にとっては、なんら意味のあることではなく、目指すことでもありません。
そこがたぶん周りの人にはわかってもらえないような気がします。
一生喪に服していることこそ、心身の平安をもたらしてくれるのです。
きっとそういう人は少なくないでしょう。
そのことに気づいたら、とても生きやすくなったような気がします。

精神分析の本は退屈です。

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2009/09/18

■節子への挽歌747:節子は孤独だったのでしょうか

節子
死や看病などの本を読んでいて、とても違和感を持つことがあるのですが、それは私の感受性の欠如かと思うことも少なくありません。
しかし、そう思えないこともまた、少なくないのです。

「希望のケア学」(渡辺俊之)という本を読みました。
そこにこんな文章が出てきました。

死には恐怖感がともないます。死にゆく人は計り知れない喪失感を抱えています。死は孤独です。死には痛みもともないます。死は恐ろしく、死は運命です。
節子もそうした喪失感や恐怖感を持っていたのでしょうか。
その文章に続いて著者はこう書いています。
死にゆく人をケアするのはたやすいことではありません。死にゆく人と、生き残る人のあいだには大きな溝があります。死にゆく人の心に近づこうと思っても、彼らには生き残る人へ向けた羨望や怒りが生じます。激しい恐怖や悲しみが彼らを圧倒しています。
節子のことを思い出すと、とてもこの文章はうなづけないのです。
私たち家族と節子のあいだに大きな溝はなかった。
節子は私たちに対して、決して羨望や怒りの念などなかった。
節子が恐怖を感じていたとは、私にはとうてい思えません。
私の思い上がりかもしれませんが、節子は決して「孤独」ではなかった。
私は節子を見送ることで、死に対する恐怖感を完全に払拭できたように思います。
節子は、私に「生き方」を教えてくれた。
その見事さが、見送った後の私の立ち直りを遅らせているのかもしれません。
その見事さを直接の言葉で褒めてやれないのが、ほんとうに残念です。

最後の最後まで、節子は私たちの家族の一人でした。
それも、必ずまた元気になる家族としてしか考えられなかったのです。
ケアとは、相手を自分の仲間として接することではないかと私は思っています。
溝などあれば、ケアしようがない。
自分の体験から発想するのは危険ですが、ケアに関する著作は、具体的な話になるとどうも違和感が生まれてくるのです。

節子は決して孤独ではなかった、ともかくそう思いたいのかもしれません。
節子
実際のところどうだったのでしょうか。
最近、その思いがしばしば頭をよぎります。

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■国とは何か

政権交代で八ッ場ダムの建設中止が打ち出されました。
これに対して、地元の人が「私たちの反対を押し切ってダムを作り出した国が、一転して中止するのは勝手過ぎる」と怒りをあらわにしていました。
その気持ちはよくわかります。

そのテレビを観ていて、「国とは何なのか」と思いました。
昨日、自殺のない社会づくりネットワーク準備会の交流会をやりました。
どうしたら自殺を減らせるのかと言う話し合いの中で、「自分たちの活動では限界がある、国に取り組んでもらわないといけない」とある人がいいました。
いつもの悪い癖が出て、「国って何ですか」と口を挟んでしまいました。
そのことを思い出したのです。

国が自殺対策に取り組んでどのくらいたつでしょうか。
その間、自殺は減ったのか。
減っていません。
国が悪いのでしょうか。
そしてそもそも国とは何なのか。

国は、つまるところ私たちそのものではないのか。
主権在民とは。その意識を持つことではないのか。

問題が起こると誰かのせいにするのは人の常ですが、それで問題が解決するわけではありません。
問題の解決はすべてが自分から始まります。
会社員が、問題を会社のせいにするのと、国民が問題を国のせいにするのとは同じ構造です。

沖縄をめぐる密約がないと言明していたのは、国家ではありません。
具体的な名前をもった政治家と官僚です。
国家のせいにして責任を逃れることはできません。
嘘をついたことがもし明確になれば、彼らは断罪されるべきです。
そうしたことがなければ国家の秩序は保たれません。
韓国のように前の大統領に死刑を言い渡すことは極端だとしても、政治に関わるとはそれくらいの覚悟があってしかるべきだと思います。

新政権の閣僚の厳しさにさわやかさを感じます。
それにしても厚生労働省の官僚の態度には笑えました。
悲しい集団です。

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2009/09/17

■節子への挽歌746:節子がいなくなってから、帰宅時間は早くなりました

昨日のことに少しつながるのですが、節子がいなくなってから、私の帰宅時間は早くなりました。
帰宅時間だけではなく、在宅時間が長くなったといってもいいでしょう。
考えてみると不思議なことです。

私を待っている節子がいればこそ、早く帰りたいと思うはずですが、実は逆なのです。
遅くなっても家には節子が待っていると思えばこそ、帰宅時間が遅くなっても大丈夫だったのだと、節子がいなくなってから気づきました。

私の小学校の時の同級生で、私よりも少し早く伴侶を見送った友人がいます。
私のことを知って電話をくれました。
彼女は、夫のいなくなった自宅にいるのが苦痛で、その後、外部でボランティア活動を始めたというのです。
当時私はほぼ自宅に引きこもっていましたが、それが彼女には理解できなかったようです。
男女の違いかもしれませんし、個人の違いかもしれません。
ただ私は、節子がいなくなってから、自宅にいる時間が圧倒的に増えました。
節子がいなくても、自宅にいるとなんとなく心がやすまるのです。

当初は、夜は自宅で過ごさないと不安でしたので、夜の集まりやお付き合いはほとんどお断りしたくらいです。
今も夜はできれば自宅で過ごしたい気分です。

待っている人がいないのに、早く自宅に帰りたくなる気分。
これは私自身にとっても不思議でした。
節子がいた頃に早く帰宅していなかった罪悪感の成せる業でしょうか。

今日は夜に集まりがありますので、帰宅は遅くなりますが、そんな時はとても気が重いのです。
いつになったらこうした気持ちから解放されるのでしょうか。

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2009/09/16

■自らは何ができるかを考えることから社会は変わります

民主党政権が発足しました。
今日は以前から予定を入れないようにしていたので、自宅で過ごすことができました。
それで国会での総理指名投票から鳩山新首相の記者会見までほぼすべての報道をテレビで見ていました。
いろいろと気づくことが少なくありません。
いろいろのことを感じましたが、テレビの前にほぼ4時間半いて最後に到達したのは、「競争」を原理とする社会ではない、「共創」を原理とする社会の可能性です。
もっとも、テレビを見ていて感じたのは、ほとんどの解説者の人たちは「競争」の原理で語っていることです。
「共創」を口にするのは、鳩山さんだけかもしれません。
だからこそ、「共創」を原理とする社会の可能性を感じたのです。

いまの日本の社会はどうみても健全とは言い難いです。
その社会をよくしていくために、それぞれ自らは何ができるかを考えるべきだと、いろいろな人の話を聞きながら、改めて思いました。
ケネディが大統領に就任した時に、「国家に何をしてもらうかではなく、国家に何ができるのかを考えよう」と国民に呼びかけたスピーチを思い出しました。
鳩山さんは、そういう言い方はしていませんが、鳩山さんの言動と表情からはそういうメッセージが聞えてくるような気がします。

もうすでにテレビ人たちは鳩山さんの足を引っ張り出していますが、いま大切なのは、自分に何ができるかを真剣に考えるべきです。
そして行動を起こすことです。

さて私に何が出来るのか。
いま取り組んでいることは本当に意味があることなのか。
政権が交代するのを観察するだけではなく、自らの生き方も見直そうと思います。
そうしなければ、鳩山政権の公約は良いけれど本当にできるのか、などと他人事に批判している人と同じく、結果的に申請件の足を引っ張る存在に成り下がってしまうでしょう。
良いと思ったら、その実現に向けて、自分でもできることを果たさなければいけません。
「できる」と確信することも、必ず実現へのエールになるはずです。

今日の4時間半は、私には決して無駄にはなりませんでした。
さてまた少しがんばりましょう。

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■節子への挽歌745:一人でいるよりも気楽な同伴者に恵まれたことの幸せ

節子
最近の異常な疲労感はどこからくるのでしょうか。
心身的な疲労感というよりも、脳の疲労という感じで、考える力が萎えているのです。
もっと正確にいうと、考える気にさえならないのです。
昨日、一人で浴槽につかりながら、なぜだろうかと考えるでもなく考えていました。

先々週の節子の3回忌から疲労感を感じていますが、
無事3回忌を超えたことが原因なのでしょうか。
先週、節子の生家の法事に行って、疲労感がまた高まりました。
さまざまな思いがどっと心身を襲ってきたのが原因でしょうか。
そうしたこと以外に、あまり理由が思いつきません。

この2週間、節子の友人知人さらには親戚の人たちとたくさん話しました。
節子がいないのに、節子の分まで考え話さなければいけない。
会話するのは私ですが、考えているのは(頭の中で内話しているのは)節子と私の2人なのです。
つまり私は、外と内とで同時に話しているわけです。
しかもその間、彼岸の節子につながっているわけですが、彼岸につながるのはかなりのエネルギーが必要なのです。

一人で生きるよりも、同伴者がいることのほうが、疲れません。
この疲れは、節子がいないせいであることは間違いありません。
一人のほうが気楽で、自分のペースで生きられるから疲れないという人がいるかもしれませんが、同伴者のための苦労は疲れても、疲れがいのある疲れです。
それに同伴者とシェアできるのです。
少なくとも私の場合は、節子が隣にいる方が気楽でした。
一人でいるよりも気楽な同伴者に恵まれたことの幸せに感謝しなければいけません。

気楽に生きるための支えだった節子がいなくなったので、私の人生は疲れるものになったのかもしれません。
同伴者の節子がいなくても疲れない生き方。
早くそれを見つけなければいけません。

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2009/09/15

■節子への挽歌744:メダカと沢蟹

節子
湯島のオフィスにメダカを連れていきました。
バラはすべて枯れてしまい、花類は難しいので、今度は観葉植物の挿し木を持参しました。
もう一度、湯島を気持ちのいい空間にしたいと思っていますが、どうも私だけでは花は枯らしてしまいがちで、殺風景な状況を克服するのは難しいです。
やはり空間は、その住人によって変わるものです。
ベランダには、節子が残していった植物が5つ、まだ元気です。
というか、手をかけずに元気を維持できるものしか残らなかったということですが。

今日は、本郷のコムケアセンターのオフィスにも行きましたが、入り口に、節子が持っていった植木がいまも元気に残っていました。
あまり手入れをしないでも大丈夫なものを、節子は選んでくれたのです。
節子の思い出はコムケアセンターにまで残っています。

節子は生き物が好きでした。
節子が元気だった頃は、いつも、植物がベランダにも室内にもありました。
それだけで、私の気分は和みました。
節子がベランダで観葉植物の植え替えをやっていた姿を思い出します。
節子は土が好きだったのです。
私は、土いじりをしている節子が好きでした。

その節子がいなくなって、枯れるものは枯れてしまいました。
それでもわずかばかりの緑が残っているので、心がやすまります。

ところで、このメダカは敦賀のある人が育てていた日本メダカです。
それを先日、義兄にわざわざ自宅まで運んでもらったのですが、自宅で安定したのでオフィスで育てることにしました。
2匹です。
その動きを見ていると飽きることがありません。

私は自然の中の生き物が好きなのです。
生き物がいそうなところを見ると、探したくなるのです。
あまりほめられたことではないのですが、心身が動くのです。
そのことを節子はよく知っていてくれていました。
ですから還暦祝いは、わが家の狭い庭にビオトープをつくってくれたのです。
そのうえ、何度か沢蟹さがしにまで付き合ってくれました。
そんな女房はほかにいるでしょうか。
まあ、いるでしょうね。
しかし私の気持ちを理解してくれていたのは節子くらいでしょう。
ことほど左様に、節子は私のことをすべて知っていました。
だから節子といると心が和んだのです。

節子は、このメダカを見ているでしょうか。
そういえば、庭に放した沢蟹も、先日、石の下に潜んでいました。
これも節子がしっかりと敦賀の姉に伝えていてくれたので、敦賀の姉夫婦が捕まえてもって来てくれたのです。

私には越前ガニよりも、山の沢蟹がずっとうれしいのです。
庭に沢蟹がいる生活が実現できたのは、節子のおかげです。

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■温室効果ガス25%削減で家計負担36万円増?

温室効果ガス25%削減が話題になっていますが、これによる家計負担が36万円などという数字までが話題になっています。
誰が出した数字でしょうか。
こうした各論的な数字の操作で世論を誘導するのは最も悪質な情報操作です。

温室効果ガスの排出を削減することは、経済成長の質的転換をはかるか、あるいはこれまでのような経済成長路線を見直せば実現できるはずですが、それはおそらく家計負担も軽減することになるだろうと私は思います。
要は、過剰な工業依存をやめるということですから、これまでのような意味での経済成長路線は見直されるべきです。
これまでのやりかたを続けながら、持続可能な社会づくりなどできないのです。
それに気づくかどうかの岐路に、いま私たちはいます。
「環境規制は、技術革新をもたらし、生産性向上にも寄与する」という、ハーバード大学のポーター教授の主張です。
事実、それによって日本の自動車メーカーは世界の勝者になりました。
しかし、技術革新は実現しましたが、経営革新は実現できませんでした。
ポーターが言っているのは、正確には「適切に設計された環境規制こそが産業を進化させる」ということですが、「進化」はできなかったのです。
いえ、その意志がなかったというべきでしょうか。

環境を考えるということは、私たちの生活を見直すということです。
単に産業を見直すことではないはずです。
これまでの産業の枠組みから抜け出ようとせずに、環境問題までをも市場化しようとしている財界人の発想からはとても出てこない発想です。

この時評編でも度々書いていますが、お金基準の生活をやめるだけで、温室ガスは削減できるでしょう。
でもそれでは企業活動は拡大していかないわけです。
しかし、言うまでもなく、企業は生活あってのものです。
生活を壊すようになった企業の経営者たちの意見に惑わされてはいけません。
ましてやその寄生者たちがつくりあげた「36万円負担増」などという無意味な数字に驚かされてはいけません。
みなさんの金銭出資を1割抑えて、自らの汗をかき、あるいは我慢すれば、その目標はそう遠い先のものではないように思います。
それに健康にもいいので、メタボ症候群などというおかしなレッテルもはられないですむかもしれません。

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2009/09/14

■法事の風景

先週、滋賀の湖北にある妻の実家の法事にいったのですが、そこでとても面白い話を聞きました、
お葬式に声をかけるところは、必ずしも血縁関係にあるところではないのだそうです。
昔からのしきたりだそうで、隣関係と言うわけでもないのです。
お互いになぜ声を掛け合うのか、今ではわからなくなっているところも少なくないようです。
結婚式とはまた違って、法事だけのことなのだそうです。
4つくらいの近在の集落の人たちの話でしたが、いずれも同じようです。
ちなみにみんな浄土真宗です。

私は40年ほど前に妻と結婚してからはじめてその地域の法事に参加しました。
妻の父は早く亡くなったのですが、その葬儀はとても印象的でした。
まだ土葬でしたが、親戚や近隣の人たちが集まり、2~3日かけての葬儀でした。
雪の日に白装束でお墓まで行列を成して葬送しました。
孫のわが娘が先導役だったような気がします。
ちょうど通りがかった人がさかんに写真を撮っていたのが記憶に残っています。

葬儀の読経が迫力がありました。
10畳の部屋を2つつなげた部屋やその周りの廊下などに集まった人たちが、僧侶と一緒に読経するのです。
私には初めての体験でしたので感動しました。
葬送の後、女性たちがつくった料理が山のように出され、次から次へと酒が出てきました。
下戸の私にとっては辛い宴会が続きました。
亡くなった人のために、それこそトポラッチのように、無駄な消尽が行われていたような気がします。
若い世代の人たちが、もっと無駄をなくして合理化しなければと話していたのも記憶に残っています。

それから何回も法事に出ましたが、年々大きく変化してきています。
土葬から火葬へと変わり、葬送の行列もなくなりました。
料理も次第に仕出し屋のものになってきました。
先日の法事は4時間ほどで終わりました。
消尽する雰囲気はなくなっていました。

変わっていないことが少なくとも一つありました。
みんなご仏前とは別に、品物を参加者分だけ持ち寄るのです。
そして、それをみんなで分け合って持ち帰るのです。
このスタイルは残っていました。

参加者は激減していました。
そこで冒頭の話が出てきたのです。
代替わりを契機に、声を掛け合うことをお互いに自重しだしているようです。
法事でしか付き合うことのないところは、徐々に呼びかけあうことをしなくなっているようです。
たくさんの家に声をかけるということは、たくさんの家の法事に行かなければいけないということです、
そうなれば、年中、法事に出なければいけなくなり、会社に勤めだすとそんなことはできなくなります。
つまり、いまの時代の生活にはあわないわけです。

長々と書いてしまいましたが、いつもとてもいろんなことを考えさせられるのです。
都会での生活と違って、地方にはまだまだ文化があります。

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■節子への挽歌743:かかってこなかった電話

節子
今日はちょっと緊張してオフィスに出てきました。
1時から2時の間に、私に電話がかかってくることになっていたからです。
電話の主は、どんな人か全くわかりません。
「自殺のない社会づくりネットワーク準備会」の事務局としての私に、これまで何回かメールをくれた人ですが、電話で話したいといわれたのです。
これまでは短いメールばかりですので、どんな人か全くわかりませんが、何しろテーマが「自殺」なのでおろそかに対応はできません。
ただ最初の頃は、自殺の講座はありますかとかいうメールで、冷やかしメールではないかという感じでした。
自分のことは一切明かさずの短いメールですので、嫌がらせのメールと思ったこともあります。
メールをもらうたびに、心が重くなりました。

ネットの世界ではそうめずらしいことではありません。
さすがにこの「挽歌」ブログには嫌がらせメールは来ませんが(迷惑メールは来ます)、時評編には時々来ます。
メールをやり取りしているうちに、電話で話したいといってきました。
躊躇しましたが、結局、受けることにしました。
ただ私の個人電話ではなく、オフィスの電話を使うことにしました。
以前一度、真夜中にまでかかってくる経験をしたからです。
しかも、節子の看病中でした。
それを思い出して、今回は日時も指定し、オフィスの電話を連絡しました。
待っていましたが、電話がありません。
やはりいたずらかとがっかりしましたが、メールが届きました。
私が教えたオフィスの電話番号が間違っていたのです。
とんでもないことでした。
その人は、「都会の人はこうしてだますのですね、だから自殺したくなります」というようなことをメールで書いてきました。
どうも私には慎重さがありません。
節子からいつも注意されていたことですが。

お詫びして正しい電話番号を伝え、時間を指定しました。
不安があったので、私が教えた電話番号で間違いないかどうか、自分の携帯電話から電話してみました、
大丈夫でした。
そういう事情があったので、今日は緊張して出かけてきたのです。
20分前からスタンバイしていました。
ところがまた電話がないのです。

メールをチェックしてみました。
「体が悪いから、電話しないです。また宜しくお願いします」
こういうメールが入っていました。
肩から力が抜けました。

節子
昔もこうしたことは時々ありましたが、節子が支えてくれました。
しかし今は誰も支えてくれる人がいません。
ですからすごく疲れます。

私が福祉関係の世界に無防備に入り込めたのは、今から思うと節子の存在があったからです。
あまり論理的ではないのですが、この頃、つくづくそう思うのです。
人の人生に一人でかかわっていくことは大変なエネルギーが求められます。
私の背負っていた重荷を、いつも節子は分かちあっていてくれたのでしょう。
本当に苦労をかけてしまっていたのだろうなと、最近悔やまれてなりません。
私も節子も、それが当然のことだと思っていて、負担などとは思っていなかったのですが、一人になるとその負担の大きさがよくわかります。

電話は今度はいつかかってくるでしょうか。
今日はこの1件だけで、十分に疲れてしまいました。
困ったものです。

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■補正予算の未執行分を回収するということ

総額15兆円規模の経済対策を盛り込んだ09年度補正予算のうち、5割を超える8兆3千億円分が「未執行」であることが10日分かった。民主党は補正の一部を新規事業の財源とする方針。党内には地方自治体に渡った資金は「回収が難しい」との声が強まっており、この未執行分の回収を急ぐ。
これは数日前に出た朝日新聞の記事です。 何回読んでも、その意味がわかりません。

まず緊急経済対策だったはずの補正予算がまだ半分も執行されていなかったことの不思議です。
次に、一度、国会で決まったものを回収することの不思議です。
さらに、未執行のものを回収できないという不思議です。

個人の問題に置き換えて考えてみましょう。
①困っている人がいるのでお金を用意したが、半分しか貸さずに様子を見ている。
②貸したものについても、その後、考えが変わったので返してもらうようにした。
③しかし相手はなかなか返してくれなさそうだ。

①が起こるのは、相手を信用していないか、貸すことが相手のためにならないかのいずれかですが、要は「貸すことの効果」に確信がないということです。
緊急経済対策としての補正予算の本質が見えてきます。

②は賃貸関係の当事者の権力関係を示しています。
その権力関係は「お金」に支えられています。
個人間の場合はいいのですが、国家政府と地方政府の場合はどうでしょうか。
そもそもそのお金は国民の税金です。
ここに「地方分権」の本質が見えてきます。

③は国家の本質に関わることです。
国家の場合、返してくれない人に対して強制的に取り立てることができます。
個人間の場合はそれをやると「犯罪」になりますが、国家がやれば犯罪にはなりません。
まさに「国家」の本質が見えてきます。

昨日も書きましたが、いろいろなことが見えてきています。
それに基づいて、いろいろなことを見直していく、とても良い機会なのかもしれません。
もちろん政府の話ではなく、私たちの生き方のことなのですが。

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2009/09/13

■節子への挽歌742:鮒寿し

滋賀から戻ってきたら、滋賀から「鮒寿し」と「鯖寿司」が届いていました。
今回は時間がなくて、立ち寄らなかったのですが、滋賀の魚助の松井さんからです。
松井さんは節子の遠縁で、しばらく付き合いが途切れていましたが、節子のことを知って、自己治癒力を高めるという鮒寿しを節子に送ってきてくれたのです。
今回はまだ鯖寿司の旬の季節ではないのですが、命日から遠くなってもということで送ってきてくれたのです。
松井さんの鯖寿司はとてもおいしくて、節子は大好きでしたが、胃を摘出したためにほんの一口しか食べられずにいたのを思い出します。
鮒寿しは節子も私もダメなのですが、松井さんは鮒寿しを食べやすくしようと努力してきましたので、松井さんの鮒寿しだけは大丈夫でした。
松井さんは「栄養と料理」の「食の達人」シリーズで取り上げられていますので、ファンも多いのです。
松井さんのブログもよかったら読んでやってください。

節子と結婚したおかげで、私は滋賀で豊かに暮らしている人たちの暮らしに少しだけ触れさせてもらいました。
もちろんそれは今も続いています。
そこには、都会とは全く違う生活文化があります。
時代と共に少しずつ変化してきていますが、まだまだしっかりと残っています。
そこにこそ「暮らしの原点」があると私は思いますが、そこにささやかに触れさせてもらったことが、私の人生を大きく変えました。
日本の基層文化への想像力を持てたのです。

節子は、私をそうした文化につないでくれた、良きつなぎ手でした。
節子ほど良い先生はいませんでした。
なによりも知識化せずに心身の中に感覚を保持していたので私も素直に理解できました。
私の教え方とは正反対です。
節子の文化を私が分けてもらえたのは、土が好きな点で、共通していたからかもしれません。

節子が好きな食材にもうひとつ「へしこ」がありました。
私はこれもダメでした。
私がダメだったので、節子もほとんど食べることがありませんでした。
ところが、節子がいなくなってから、皮肉なことにへしこをいただくことが増えました。
試しに食べてみました。
以前はダメだったのに、食べられました。
なぜでしょうか。

最近気づいたのですが、節子を見送った後、私の食生活が少し変わってきています。
気がつくと節子が食べていたものを食べているのです。
節子が私の心身に入り込んでいることは、どうも間違いないようです。
ちなみに、へしこも鮒寿しも作り手によって味が大きく違うようです。
一度で懲りないほうがいいかもしれません。
自分に合ったものがあるかもしれません。

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■見えてくるものをしっかりと見て、考えましょう

■見えてくるものをしっかりと見て、考えましょう(2009年9月13日)
政権が交代することで、これまで見えてこなかったことがいろいろと見えてきました。
そこには驚くようなことも含まれています。
政権交代によってこれからできなくなってしまうことを「駆け込み」でやってしまおうという動きもいろいろと報道されていますが、そこからもこれまで見えていなかったことが見えてきます。
もっとも「見えるか見えないか」は、その人の価値観にもよります。
私が見ていることも、すべての人が見ているわけではありませんし、見えるはずなのに私には見えていないこともたくさんなるでしょう。
しかしこういう時ですから、できるだけ先入観を捨てて、見えてくるものを素直に見ていくことが大切です。
また、問題の渦中にいる人にとっては、あまりに日常的なことなので見えているのに「意識」していないこともたくさんなるでしょう。
新聞やテレビで問題になることにより、問題が意識化されることも少なくないでしょう。
企業不祥事や行政不祥事の多くは、そうではなかったかと思います。
自分が「渦中」にいる問題については、一度、「常識」を捨ててみることも大切です。

たとえば、数日前の朝日新聞にこんな記事がありました。

厚生労働省所管の独立行政法人「高齢・障害者雇用支援機構」が、同省OBの天下り先の公益法人「雇用開発協会」に対し、天下りOBらの年収額を決め、事業の委託費から支払うよう指示していたことがわかった。朝日新聞が入手した同機構の作成文書などで判明した。

この記事はトップ記事でした。
ということは、マスコミにとっては「大発見」だったわけです。
しかし、ここで書かれていることは関係者にとっては日常業務だったわけです。
だれも「おかしい」などとは思わなかったでしょう。
いえ、いまでもおそらくおかしいとは思っていないでしょう。
天下りがこれほど大きな問題になっていても、誰も何とも思わなかったわけです。
これは決して他人事ではなく、おそらくほとんどの人が、自らが渦中にいることに関しては、そう大きくは違わないようなことをやっているように思います。

次々と見えてくるものを、素直に見ていくことが、とても大切なような気がします。
多くの国民が選んだ民主党政権を、せめて半年は肯定的に見ていきたいと思います。
民主党や民主党政権は、まだまだ批判の対象となるほどの位置にはたどりついていないような気がします。

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2009/09/12

■節子への挽歌741:節子の母の7回忌

節子
あなたのお母さんの幸江さんの7回忌で、滋賀に来ています。
節子がいないのが嘘のようです。
幸江さんが病気になった時に、節子も病気が発見され、なかなかお見舞いに行けませんでした。
節子はずっと遠く離れた関東に来ていましたので、母親が病気になったら実家に帰って親孝行したいと言っていました。
それなのに、自分が病気になってしまい、看病にいけなくなったことをとても嘆いていました。
節子が少し元気になった時に、家族みんなでお見舞いに行きました。
それからしばらくして幸江さんは旅立ちました。
節子には辛い体験でしたが、節子は健気に振舞っていました。

幸江さんは、節子以上にしっかりした人でした。
早く夫に死に別れ、苦労を重ねたはずです。
それでも自分をしっかりと生きた人でした。
私にも、山のようにたくさんの思い出があります。
節子がいなくなった今、もう語りあう相手はいなくなりましたが。

節子の実家は浄土真宗です。
ですから法事でもお経がとても長いのです。
しかし今回は1時間半ほどで終わりました。
ご住職も大病をされたのだそうです。
みんな歳をとっていくのです。
お経が終わった後、ご住職は「おばさん」の思い出を少し語ってくれました。
幸江さんは、ご住職の生まれた時から知っていますから、ご住職にとっては子どもの頃から頭の上がらない「おばさん」だったのです。
それもかなりきびしいおばさんだったのではないかと思います、
おばさんに叱られたり、喜んでもらったりと、住職は話されましたが、相手が住職であろうと誰であろうと、言うべきことはしっかりと言う人でした。
幸江さんは、とても「キャラクターの強い人」だったとみんなが話していました。
たしかにみんなにはそう映ったでしょう。
モダンな、都会的な発想をする人でした。
だからきっと私たちの結婚を親類の反対にもかかわらず許可してくれたのです。
私も、幸江さんには迷惑や心配をたくさんかけたのだろうと思います。
でも幸江さんは私が節子と結婚したことをいつも喜んでくれていました。
まあ、たぶん、ですが。

苦労した分だけ人は強くなりやさしくなるものです。
もっとも節子はそう苦労はしなかったにもかかわらず、幸江さんの血を継いでか、「言うべきことを言う」「きつい」人でした。
その性格は私と一緒に暮らす前からです。
私はそれにも少し惹かれていたのです。

そういえば、節子が帰省の度に顔を出していたお寺にも挨拶に行っていなかったことに気づきました。
お経が終わった後、住職ご夫妻に挨拶しました。
そのやりとりもいつか書けるかもしれません。
いいやりとりでした。

節子を見送った後、初めて会う人も少なくありませんでした。
みんなそれとなくいたわってくれました。
さりげないいたわり。
もしかしたら、法事とは死者のためではなく、生者のためのいたわりあいの場なのかもしれません。

節子は彼岸で幸江さんと楽しくやっているでしょうか。
こちらの法事も和気藹々と終わりました。

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2009/09/11

■節子への挽歌740:人は悲しさや辛さを経験するほどに、世界を深めていく

節子
今日、新潟のKさんが久しぶりに湯島に立ち寄ってくれました。
Kさんのことは節子もよく知っていますね。

Kさんは私よりも年上ですが、とても行動力のある方です。
出版社で仕事をされていましたが、退職後も環境問題や社会教育問題の分野で精力的に活動されています。
いまは親の介護の関係で生活の拠点を新潟に移していますが、東京にもよく出てこられていました。
ところが最近、奥様が体調を崩され、ある難病指定を受けることになりました。
奥様もとても行動的な方でしたが、いまは無理ができず、Kさんもあまり東京に出て来られなくなったのです。

話をした後、一緒に食事に行こうと思い、支度をしていたら、なんとKさんが使ったコップを洗いだしたのです。
驚きました。
私が持っているKさんのイメージには、そんな姿はなかったからです。

いまは食事づくりもしていますよ、とKさんは笑いながら言いました。
そういえば、Kさんは時々電話でこう言ってくれていました。
女房が倒れて、奥さんを亡くされた佐藤さんの気持ちが少しわかった、と。
Kさんは心優しい人ですから、もちろん節子が病気になった時からとても心配してくれ、私たちを気遣ってくれていました。
そのKさんが、そう言ってくれたのです。

人は悲しさや辛さを経験するほどに、世界を深めていく。
そんな気がします。
奥さんに代わって食事をつくり、後片づけをする。
Kさんは、すっかりとその世界を自らのものにしているようでした。

歳をとるにつれて、さまざまな悲しさや辛さを体験することが増えてきます。
もちろん若い時にも悲しさや辛さを体験しますが、その受け取り方は違うような気がします。
歳とともに、その悲しさや辛さが自分に重なってくる。
頭ではなく心身に響いてくる。
そしてその響きが、人をやさしくしていく。
自他の境界を越えて、すべてのものが、すべてのことが、いとおしくなっていく。
そんな気がしてなりません。

歳とともに、人の心身の中にある仏性が目覚めてくるのがわかります。
しかし、同時に、それとは全く対極にある魔性もまた目覚めてくる。
平安と羨望、その狭間を大きく振れている自分がいます。
平安を得るには、もう少し悲しさや辛さを体験しなければいけないのかもしれません。

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2009/09/10

■節子への挽歌739:節子の普段着がバッグになりました

節子の友人の野路さんから3つのバッグが届きました.
節子が使っていたハンカチや普段着を材料に、野路さんが裂き織りでつくってくれたのです。
その出来栄えに驚きました。
野路さんはとても器用で、ご自分の着るものやバッグなどは手づくりなのです、
3回忌に来てくださった時も、和服を再生したおしゃれな服装で、バッグもビデオテープでつくったものでした。
以前から、野路さんは節子の使っていたものでバッグなどをつくらせてほしいと言ってくださっていたのですが、その話がまた出て、ハンカチや普段着をお渡ししたのです。

それから1週間もたたないのに、見事なバッグが3つも送られてきたのです。
娘たちには、それぞれ手提げかばん、私にはセカンドバッグです。
手提げかばんの内部にポケットがついていますが、それは節子の普段着のポケットがそのまま活かされています。
Bag

野路さんはこう書いてきてくれました。

バッグを作ってみました。
お洋服は裏地に使いました。
ポケットもそのまま付けたままで縫いました。
斜めについていますが、着られていたそのままの形の方が良いのでは、と勝手に作りました。
ご主人様のは、さすがに表には持っていかれないのでは、と思い、御旅行のバッグの中に小物入れに使っていただければと思い、セカンドバッグ風に作ってみました。
3つのバッグを見ていて、そういえば節子はいつも病院に行く時に、野路さんからもらった同じような雰囲気のバッグを抱えていたことを思い出しました。
節子にとっては、野路さんは特別な存在だったのです。
野路さんは、節子の少し前にやはり胃を摘出されていたのです。

この週末、節子の母の7回忌で滋賀に行く予定ですが、早速に使わせてもらおうと思います。
節子がちょっと戻ってきた感じで、久しぶりの一緒の旅になりそうです。
野路さんにとても感謝しています。

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■お金は家畜の餌なのか

リーマンショックから1年。
また金融経済学者たちが動き出しているようです。
彼らが変質させた「お金」を元の形に戻していかなければいけません。
もしそれができないのであれば、その「お金」から離脱していくのがいいかもしれません。
私は10年ほど前から、その路線を選び出しています。
心理的には呪縛から解き放されましたが、まだかなりお金のお世話にはなっています。

金融経済学者たちは、お金をどう「変質」させたか。
それに関してはさまざまな議論がなされていますが、一番重要なことは、実体物や人間の労働との「つながり」を切ったことではないかと思います。
その始まりは、金本位制から離脱したニクソンショック(1971年)です。
当時、私は東レという会社にいましたが、その影響を調べるためにアメリカに出張しましたが、まだ問題意識が乏しく、その意味さえ理解できませんでした。
金本位制を捨てた意味がおぼろげながら理解できたのは、会社を辞めて土地投機に関わる人と出会ってからです。

工業は自然を克服し、自然から経済を自由にしました。
しかし、それもまた「環境問題」という手厳しい反発を受けています。
ローマクラブがそのことを警告したのは1972年です。
1970年代は、歴史の岐路が見えてきた時期だったように思いますが、その後の実際の政治や経済の動きはむしろその「見えたもの」を封じ込める方向で動いてきたように思います。

私は、人が生きるとは「働くこと」ではないかと思います。
働くとは社会につながることであり、機会の部品が果たすような作業の意味ではありません。
ましてや、対価としての「お金」をもらうことではありません。
しかし、なぜかみんな「働くこと」でお金をもらうことに喜びを感じます。
女性たちは、家事労働を働くことと実感できなかったのでしょうか、それを捨てて、お金をもらう作業に向かっていきました。
そこでは、「お金」と「働くこと(労働)」が過剰なほどにつながっていました。

つまり、金本位制を離れて自由に作りだすことができるようになった「お金」も、まだ「労働」を通して、「実体」の制約を受けていたのです。
ところが、金融経済学者は労働の対価としてのお金を労働から切り離し、別の世界をつくりだしてしまいました。
すべての制約から自由になったお金は天井のない増殖を始めました。
1995年以来の15年ほどで、世界の金融資産は100兆ドルも増えたといわれます。
おそらく倍増以上の増加です。
ですから年収何百億などという馬鹿げた高給取りが生まれたわけです。
それを促進したのが、いわゆる新自由主義者たちです。

また長くなってしまいましたが、要するにいまや「お金」と「労働」が切り離されようとしているということです。
それはどういうことかといえば、主客が変わるということです。
「お金」を生み出す主役だった労働は、いまや「お金」のためのものになったということです。
高給取りたちは、そのうちに、家畜に餌をばらまくようにお金をばらまきだすでしょう。
すでにベーシック・インカムの議論が広がりだしています。
そこに潜む罠に、私たちは気づかねばいけません。

リーマンショックの意味を私たちはもっとしっかりと総括すべきです。
日本の経済学者は、そうしたことにあまりに無関心なのが気になります。
みんなお金に絡めとられてしまったのでしょうか。

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2009/09/09

■節子への挽歌738:自らの生命の先行きなど知らないほうがいい

テレビを見ていたら、医師が患者に余命期間を知らせるかどうか悩んで、他の医師に相談する場面がありました。
相談された医師は、自分が患者だったらどう思うかと逆に質問します。
悩んでいた医師は、自分なら真実を知りたいと答えます。
そのやり取りしか、私は見なかったのですが、自分ならどうだろうかと考えました。
そして、少し後になってからですが、この質問は無意味ではないかと気づきました。

余命に関しては、以前、書いたことがあります
その言葉の意味を私が正確に理解していないおそれはありますが、私にはとても受け入れがたい言葉です。

ところで私が無意味な質問だと思った理由は、そもそも「真実」などというのはありえないということです。
人間の生命力の不思議さを考えれば、それは所詮「ある医師の主観的な評価」でしかないでしょう。
それに、真実は立場によって違って見えるものです。
医師と当事者とは、おそらく違う真実を見ています。
自らの医学的見立てを真実と考えるところに、現代の医学の問題があるような気がします。

しかし、そこでいつものように、私はめげてしまいます。
私と節子が見ていた真実もまた違っていたことになぜ気がつかなかったのだろうか、と。

自らの生命の先を一番よく知っているのは、当事者ではないかと、私は節子のことを思い出すたびに反省させられます。
後から思えば、節子はおそらく医師以上に知っていた、いや感じていたと思います。
しかし、その一方で、私たち家族との関係では、それを封じ込めていた、そう思えてなりません。
私は、節子のことを本当は何一つ知らなかったのかもしれません。
そう思うたびにめげてしまうのです。

最初の質問に戻れば、自分の余命を知りたいと思う人が本当にいるでしょうか。
仮にいるとしても、それを素直に受け入れられる人がいるでしょうか。
もちろんたくさんいるという人もいるでしょう。
私も、節子とのことがなければ、そういうと思います。
節子も、最初はそういっていましたから、
しかし、実際にそういう状況になると、人はそう思わないのではないか、今ではそんな気がします。

節子は闘病の辛さの中で、2回だけ「もう死にたい」とメモに書きました。
2回が多いか少ないかは人によって受け取り方は違うでしょうが、そう書いている時でさえ、節子は決して死にたくなどはなかったのです。
希望も決して捨ててはいませんでした。
自らの生命の先行きは実感していても、決してそのことを知りたくはなかったはずです。
自信を持ってそういえます。

自らの生命の先行きなど知らないほうがいい。
私は今は確信をもってそう考えています。
節子もきっと、今なら賛成してくれるでしょう。

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■公共的理性パースペクティブに基づく熟議の価値

民主党と社民党、国民新党の連立政権に向けての協議が続いています。
なかなか合意に到達しないことを否定的に報道するマスコミや解説者が多いですが、私はとてもいいことだと思っています。

民主主義の捉え方はいろいろありますが、「決定」に重点を置くか、「討議」に重点を置くかで全く違った民主制度が組み立てられます。
私は、合意形成とか決定にはあまり価値を置きませんので(それらは常に変化しうることが大切だと思っていますので)、当然、後者の考えです。

アマルティア・センはデモクラシーには2つあるといいます。
「公共的投票パースペクティブ」と「公共的理性パースペクティブ」です。
前者は、選挙の実施と多数決による統治・支配としてのデモクラシーであり、後者は、多様な価値観を持つ個人による相互的な公共プロセスと捉えます。
後者を言い換えれば、開かれた討議が公共的判断を育て、決定に向かうということです。
その理想は「無為にして治まる」古代中国の舜の政治です。
これに関しては、佐々木毅さんの「政治の精神」(岩波新書)で語られている「政治的統合」論がとても示唆に富んでいます。
いまの日本の政治状況を見る基準を与えてくれます。
いまの政治状況に関心をお持ちの方にはぜひお薦めしたい本です。

熟議民主主義については書いたこともありますが、民主主義の本質は、異質の価値観を自由闊達に語り合い、お互いに自らの考えを問い直しながら、新しい価値観を創りあげていくことではないかと思います。
意見の相違がなければ、議論する意味もありません。
私が、二大政党制度に反対なのは、こうした民主主義観からです。
二大政党は権力闘争のスタイルであって、討議のスタイルではないからです。
二項対立、二元論、対立構造。
こうしたことから自由にならない限り、デモクラシーの価値は活かせないように思います。

民主党と他の2党とは議員数において全く違いますが、だからこそ討議する価値があります。
そこに数の理論を持ち込んだ途端に、公共的投票パースペクティブ的なデモクラシー、つまり「支配としてのデモクラシー」になってしまいます。

これまで勝ち馬の尻を追いかけていた、マスコミや評論家は、相変わらず公共的投票パースペクティブで発想しています。
そこから抜け出ないと未来は見えてこないような気がします。

ちなみに自民党はもう消滅したに等しいと思いますが、まだそこにしがみついている政治家には失望します。
なぜ新たな政党を創りだそうとしないのか。
それもまた公共的投票パースペクティブに乗っ取っているからでしょう。
時代の変わり目に大切なのは、量ではなく質、新しいパラダイムだと思うのですが。
さらに蛇足を追加すれば、民主党も来年には分割されるだろうと思います。

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■友愛は空疎な理念か

昨日の日経新聞のコラム「大機小機」に、民主党に対して「友愛などと空疎な理念をもてあそばずに」という文章がありました。
おそらく書き手は「お金という空疎な私欲」にうずもれた経済人でしょうが、まだお金の空疎さに気づかない人が財界を仕切っていることにため息がでます。
アメリカではすでに「強欲な」金融人が復活してきているようです。
理念のない手段ほど、空疎なものはありません。

お金がないと生きていけないというみんな思いこんでいますが、お金がなかった時代にも人は生きていました。
名前はともかく、最近のような権力をもたらすような、そして自己増殖するような「お金」が生まれたのは、そう遠い昔ではありません。
そのことを、みんなもっと思い出してほしいものです。

毎月、湯島の私のオフィスでやっている「支え合いサロン」では、支え合う生き方を取り戻すことで、お金の役割を見直すことが時々話題になります。
9月24日には、「結い」をテーマにした話し合いをする予定です。
関心のある方はご連絡ください。

いまの日本の社会に欠けているのは、「友愛の精神」です。
民主党はこの理念を大事にしてほしいと思っています。
もちろん、私も大事にしていますし、実践しています。

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2009/09/08

■節子への挽歌737:人は泣くことによって、悲しさの意味を変えられる

昨日、笑いのことを少し書きました。
そこで思い出したのが、ジェームズ・ランゲ説です。
人は楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しいのだという考えです。
一緒に暮らしだした頃、節子とよく話した話題の一つです。
節子がそのことを覚えていたかどうかはわかりません。
しかし病気になっても節子は笑うことをとても大事にしました。
私が話したジェームズ・ランゲ説は、節子の中にしっかりと実践されていたように思います。

さびしさや悲しさを吹っ切るには、笑うのが一番です。
しかし、さびしさや悲しさに身を任せたいときもあります。
人の前ではそういうことはあまりないのですが、一人でこの挽歌を書いたり、節子の思い出のあるものに接したりしている時に、突然、涙が出てくることがあります。
涙が出るのが先なのか、悲しくなるのが先なのかは、微妙です。
しかし、涙が出てくるとますます悲しくなることは間違いありません。
一人のときは、涙が出てくるのに任せます。
もっと泣きたいと思うと涙はいくらでも出てきます。
涙がある程度出ると、心がとても静まり、逆に悲しいけれどもとても穏やかな気持ちになれます。
節子となんとなく通じ合ったような幸せさがやってくるのです。

さてそこで最近気づいたのは、
「泣くことからもたらされる悲しさ」と「泣くことを引き起こす悲しさ」とは、別のものではないかと言うことです。
さらにいえば、「笑いが引き起こす悲しさ」もあるのです。

笑いでさびしさや悲しさを吹っ切ることができると書きましたが、これはあまり正確ではありません。
ただ封じ込めるだけかもしれません。
その反動は、かなり大きいからです。

こうしたことはなにも愛する人を失った時だけではないでしょう。
人はいつも「さびしさ」や「悲しさ」、そして「楽しさ」や「喜び」の中で生きています。
それらが合わさって「幸せ」になるのだろうと思います。
「さびしさ」や「悲しさ」のない「幸せ」はありえないような気がします。

愛する人を失った時、それがあまりに突然なので(どんなに予想されていても「突然」の断絶であることには違いはありません)、感情が麻痺してしまいます。
その事実を受け容れられずに、笑ったり騒いだりしたくなります。
不思議なほどに実感できないのです。
その事実を受け容れられるようになると、初めてさびしさや悲しさが襲ってきます。
しかし、同時に、笑いや喜びも戻ってくるような気がします。

「人は悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ」ではなく、
「人は泣くことによって、悲しさの意味を変えられる」
ということを、最近、実感しています。

なにやら突然飛躍した結論になってしまいましたが、この行間にはたくさんの私の思いがつまっています。

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2009/09/07

■庭の沢蟹

このブログに以前何回か沢蟹のことを書いた関係で、今でも「沢蟹」の検索ワードでアクセスしてくれる人がいす。
しかしおそらくそうした人たちに役立つ情報はこれまで全くありませんでした。
なぜなら池に放した途端に、蟹はいなくなるからです。
念のために言えば、我が家の庭の池はとても小さいのですが、周辺はそれなりの草薮になっているので、探しようがないのです。

先日、敦賀の姉夫婦が法事で来てくれたのですが、蟹を持ってきてくれました。
敦賀は越前ガニの産地で、時々、送ってくれるのですが、私は越前ガニよりも沢蟹の方が格段にうれしいのです。
そんなわけで、今回は6匹の蟹が先日、庭の池に放されました。
これまでは未練がましく、水槽に入れてしばらく室内で飼っていましたが、今回はすぐに池に放しました。

その池の通路にある石の下に1匹の蟹が棲みつきだしました。
棲みにくそうなところなので、場所を変えてやりたいのですが、以前、転居させたらどこかに行ってしまったことがあるので、今回はそのままにしています。
さてうまくそこに棲みついてくれるでしょうか。
その場所は、わずかばかり水がたまっている石の下です。
3日もたつのに場所を変えずにいます。

池とその周りには、蟹が身を隠すうとろはたくさんあります。
餌をどうするかが問題ですが、池には金魚やメダカがいますので、まあ小さなビオトープとして循環構造はそれなりにできていると思います。
時々、蟹のえさとして売っていたものを蟹が来そうなところに置いていますが、食べた跡はありません。
ともかく自然がいいような気がしてきました。

他の5匹はその後、再開していませんが、また出会ったら書くようにします。
沢蟹の生態が、今回は少し学べるかもしれません。

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■節子への挽歌736:人を寄せ付けない悲しさのベール

節子
一昨日は満月でした。
友人知人と手賀沼で満月を見ながらの船上交流会をやりました。
私もいまの生活にかなり慣れてきたのかもしれません。
悔しいですが、時が悲しさを忘れさせているのでしょうか。
そんなことは決してないのですが。

その集まりに4年ほど会っていなかった若い友人を誘いました。
地元の活動に一度協力してもらって以来、またいつか彼と何かをやりたいと思いながら、節子の病気などで中断していたのです。
彼もその間、転職し、いまは地元の小学校の先生です。

交流会の後、メールが来ました。

修さんが元気に笑っている姿を拝見し、嬉しく思いました。
節子を見送った後の手紙やメールを読んだ人たちは、私が永遠の奈落に落ち込んでしまったと思っている人も少なくないようです。
以前はよく来てくれたのに、その後、ぱったりと来なくなった人もいます。
地獄の底に落ちた人とはどう接したらいいか悩ましいですし、第一、接したくない気分になることはよくわかります。
私の手紙やメールは、それほどの落ち込みを伝えていたようです。
修さんはどうなってしまうんだろうと思っていましたが、元気になってよかった。
その若者はそういっていました。
節子を見送ってからの1年、私の書いたものは生気を感じさせなかったかもしれません。

節子
最近はまた湯島のオフィスにもいろいろな人がやってくるようになりました。
節子を見送った後、もしかしたら人を寄せ付けない悲しさのベールが私の心身を覆っていたのかもしれません。
そのベールに包まれて、私は精神を安定させていられたのかもしれません。
そのベールにも気づかずに私の心の中に入り込んでくる人には、平安を乱されるような気分になったこともありますが、そういうことはそう多くはありませんでした。
しかし、そのベールは、覆われている私自身の気をも奪いかねないものだったような気がします。
自分では元気に笑っているようでも、外から見ると気が抜けた笑いだったのでしょう。

そのベールも少しずつ溶け出したようです。
笑いに気が出てきたようです。
だからきっといろんな人がまた集まりだしたのです。
節子のいない3年目も乗り越えられそうです。
もっともっと笑おうと思います。
たとえどんなに悲しくても。

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2009/09/06

■暮らしの変化は私たちを豊かにしているのか

生活の変化がこれほどまでに加速されたのはいつの頃からでしょうか。

今日、テレビの世界遺産の番組で、イギリスのアイアンブリッジ峡谷を紹介していましたが、とても印象的だったのはその住民たちは300年前と同じ暮らしぶりを大事にしているということでした。
アイアンブリッジができたのが230年ほど前ですから、世界初の鉄橋ができたにもかかわらず、生活は変わらなかったのです。
もう一つ感激したのは、お金などなくても豊かに暮らせると住民たちが居酒屋のようなところで歌っていた場面です。
同じ暮らしぶりを続けていれば、さまざまなノウハウが生まれ、お金などほとんどいらなくなるのかもしれません。

この2つはつながっています。
昨日と同じ暮らしを続けていくのでれば、たぶんお金は不要です。
顔見知りの人たちで支えあって暮らしている社会では、おそらくお金はほとんどなくてもいいでしょう。
お金は生活を変えるためには必要でしょうが、生活を変える必要がなければそう必要ではありません。

そう考えていくと、いまの経済は完全に間違っているような気がしてきました。
新しい民主党政権に、経済成長やお金を使う政策(つまり財源が問題になるような政策)を私たちは期待していますが、それでいいのでしょうか。
私はささやかながらまちづくり支援に関わらせていただくことがありますが、お金がなくてもできることはたくさんあります。
むしろ、お金があるためにダメになっている「まちづくり」は少なくありません。
同じことはNPOにも言えます。
資金助成はNPOを育てるように見えて、NPOを壊しているような気もします。

アメリカ主導の金融資本主義のもとで生み出された「通貨」が世界中を飛び回り、社会を市場にしてきているわけですが、その通貨は私たちを豊かにしてくれたでしょうか。
アイアンブリッジ峡谷のまちの人たちの言動をテレビで見ながら、そんなことを考えていました。

お金がないと豊かになれないという思い込みを私たちは捨てなければいけません。
お金から解放されれば、私たちの生き方はきっと豊かになります。
しかし、みんながそうしてしまったら、困る人も出てくるでしょう。
だからそうならないように教育が施されているのかもしれません。
そう考えていくと、経済の本質が見えてくるような気がします。

経済のために私たちが存在するのではなく、私たちの暮らしのために経済は存在するはずですが、果たして今の経済はそうなっているでしょうか。

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■節子への挽歌735:モネの睡蓮

昨日の続きです。

Mさんのメールに「奥様は絵描きさん」とあります。
節子はもちろん「絵描き」ではなく、作品も数点しか残していません。
なぜMさんがこう書いたのか。
これには理由があります。

Mさんがフランスにいる娘さんのところに行ったお土産に、モネの絵のミニチュアアートを買ってきてくれたのですが、私が女房も絵を描いていたので、ほかの人の絵はいりません、というようなことを言ってしまったのです。
とても失礼な話ですね。
まあそういう非常識さが私にはどうもあるのですが、その時の私の言い方でMさんは節子が「絵描きさん」だと思われたのです。
いやはや節子に怒られそうです。

そのことを思い出して、お詫びのメールを書きました。
お詫びのメールもおかしいと娘から笑われましたが、考えてみるとたしかにおかしい。
どうも私も一部「天然」的なようです。
困ったものです。

Mさんもモネがとても好きで、フランスではモネの家も訪ねたそうです。
まあそれだけの話なのですが、実は3回忌に来てくださった節子の友人のNさんがモネの絵を持ってきてくれたのです。
節子が元気だったころ、よく一緒に美術展などに行っていた友人です。
最近、ある美術展に行ったら、なぜかモネの睡蓮のコピーがあったので、節子が好きだったのを思い出して買ってきてくださったそうです。
そういえば、節子はハンカチまでモネの絵だったと娘が教えてくれました。
私は、節子のことをよく知っているようで、知らないことがたくさんあります。
人は自分の関心でしか世界を観察していないからでしょう。

節子がいなくなった後の節子像は、私のそうした独りよがりの思い出から創りだされていますから、私にとっての理想像になっているかもしれません。
人の思い出は、その人に対する愛憎や好みによって大きく変わるのでしょう。
この挽歌の中の節子は、本当の節子ではない「創作節子」になっているかもしれません。
これは自分のことではないと節子に思われたら、問題がややこしくなりかねません。
さてさて注意しなければいけません

わが家の庭の小さな池にも、睡蓮が1本だけあります。
姉夫婦からもらったものですが、今年も2つ、花が咲きました。
節子は見ていたでしょうか。

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2009/09/05

■手賀沼が好きな人たち

私が住んでいる近くにある手賀沼は歴史のたくさんある沼です。
行政区で言えば、主に我孫子市と柏市で囲んでいます。
行政区単位にこだわらずに、手賀沼を軸にした発想したら、いろんなことができるはずです。
そんな思いから、SCALE DesignというNPOとコモンズ手賀沼というLLPの立ち上げに関わらせてもらいました。
その仲間でもある松清さんが、手賀沼ガイドボランティアというグループの世話役をやっています。
そのグループが満月を水上で満月をめでながら手賀沼産のうなぎを食べる会を企画しましたので、そこにこの2つのメンバーにも参加してもらうように声をかけました。
今日は満月。先ほどまで、みんなで満月を満喫させてもらってきました。

みんなとてもボランティアを楽しんでいるのがよくわかります。
もしかしたら、NPO法はこうしたボランティア文化を壊してしまっている面もあるのではないかという気がしました。
とてもいい会でした。
もっとも、手賀沼のうなぎは収穫不足で、みんなで少しずつ分かち合って食べましたので、あんまり食べた気がしませんでしたが。
でも湖上に浮かぶ満月は素晴らしかったです。

社会の変革は、国会からではなく、こうしたところから始まっていくのでしょうね。
改めてそう思いました。

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■改革するということの意味

鳩山さんの論文や発言が日米関係に亀裂を起こすのではないかということがアメリカの新聞に書かれだしていると日本のマスコミは報じています。
日本のマスコミはそうしたアメリカのマスコミの記事を紹介するだけで、自らの考えは一切報じません。
自分の考えがないのでしょうか。
まるで自民党の日米政策のようです。

問題のきっかけは、NYタイムズ電子版に8月に掲載された論文だそうですが、その中で鳩山さんは日米同盟の重要性を強調しつつ、「冷戦後、日本は米国主導の市場原理主義、グローバリゼーションにさらされ、人間の尊厳が失われている」と主張されているそうです。
このことに関して、異論を唱える人がいるとは私には思えませんが、現実はどうもそうではないようです。
これまでの日米関係から考えれば、波風を立てることが心配なのかもしれません。

群馬県の八ツ場ダムの建設中止に関しても、これまでの投資は無駄だという人も多いです。
私は継続した場合のほうが桁違いに無駄は大きいと思いますが、工事が途中でストップしているのを見るとそれをまた壊すのは偲び難いと思うのが普通の感覚でしょう。
しかし、流れを変えるということは、そういうことなのです。
「無駄」の基準を変えなければいけません。

いまだに自民党の再生を基本に考えている論調が基本ですが、私には全く理解できません。
自民党はもう終わったのですから、自民党を再生させるのではなく、新生自民党を構想すべきです。
自民党をダメにしてきた人たちが自民党を再生しようとしても、できるはずがありません。
自民党再生のチャンスはこれまでも何回もありましたが、だれもそのリスクをとりませんでした。
自民党がこれほど大敗しても、新生自民党を構想する人が出てきません。

変革という言葉は盛んに使われますが、どうも世間の論調はこれまでの延長で発想しているように思えてなりません。
友愛の理念で、ここは思い切り大きな変革に挑戦してほしいものです。
「米国主導の市場原理主義、グローバリゼーションによって、人間の尊厳を失ってしまっている」マスコミや有識者に惑わされないようにしてほしいものです。

それにしても、テレビなどを見ていると、それぞれの本性が見えてきます。
失望の連続です。

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■節子への挽歌734:「お目にかかりそびれた奥様の御霊に」

節子の命日に、「お目にかかりそびれた奥様の御霊に」というタイトルのメールが届きました。
15年ほど前からお付き合いのあるMさんからです。
Mさんは、たぶんその日が節子の命日であることを知らないはずです。

日ごろは、ご主人様にそれこそ、手取り足とりでお世話になっております。
有難うございます。
よきご指導を得て、今のような世の中を何とかおかげさまで元気に泳いでおります。
佐藤さんのお話では、奥様は絵描きさんでいらっしゃいました由、作品がきっと今日もこれからも生きて、佐藤さんを見守っておられるのでしょうね。
うらやましい限りのご夫婦です。
昨日、私よりも少しお若いご主人様が、私の先も短いことを教えてくださいました。
本当に我ながらぼんやりしたものです。
100まで生きようと思いつつね。
どうか安らかに、でも良い風を送ってくださいますようにお願いいたします。
そう遠くない未来にはお目にかかれることでしょう。
Mさんは、日本の子育て支援の市民活動の草分けの方です。
新しい保育システムと保育所を構想していた時にMさんの活動を知り、それ以来のお付き合いです。
節子はお会いしたことはないかもしれませんが、お名前は知っているはずです。
私が取り組んでいたことは、ほぼすべて節子は知っていましたから。

Mさんはいまも精力的に全国を飛び回っていますが、時々、相談にやってきてくださいます。
活動を始めたのは30年以上前ですから、日本のNPO活動の先駆者ですが、その大先輩に、私は会う度に手厳しいコメントを繰り返しています。
その活動の現代的意義を高く評価しているがゆえに、それがうまく発展していないことにいささかの不満があるからです。
悪貨が良貨を駆逐するのは、世の常かもしれませんが、だからと言って諦めていてはいけません。

今月初めにお会いした時にも、どうもかなりきついことを申し上げてしまったようです。
「私の先も短いことを教えてくださいました」
どんな言い方をしたのか、われながらいささか心配ですが、私と違って組織活動をされているMさんにとって、次の世代にどうバトンタッチしていくかは難しいテーマです。

いつかも書きましたが、自分の年齢を実感するのはとても難しいです。
私は、いまでも60代の人を見ると私よりもずっと年上に感じます。
私の年齢は、たぶん節子が病気になった頃の年齢でストップしています。
少なくとも、節子がいなくなってからは、自分の年齢を見る鏡がなくなってしまい、年齢感覚がなくなってしまったのです。
身体的な老化は日々実感するのですが、意識はそれに伴ないません。
昨日書いたように、伴侶が歳をとっていくことはよくわかりますが、自分のことはなかなか見えないものです。
自然と関わっていないと季節感がなくなってしまうように、一緒に歩く伴侶がいなくなると、年齢感がなくなってしまいます。
いいかえれば、先の短さが、頭ではわかっていても実感できなくなるのです。

Mさんはもしかしたら100歳までお元気かもしれません。
ですから、節子に会うのはまだだいぶ先かもしれません。
でもMさんは、どうして突然にこんなメールをくれたのでしょうか。
今度お会いした時に訊ねてみますが、Mさんは節子以上に、「天然」なのです。
「天然」の人には特殊のアンテナがあります。
何かを感じたのでしょうか。
まさか節子がMさんにメールしたのではないでしょうね。

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2009/09/04

■節子への挽歌733:「今も節子さんは私たちをつないでくれています」

節子がヨーロッパ旅行に一緒に行ったグループがあります。
福岡、岡山、横浜とそれぞれみんな離れたところに住んでいますが、とても仲良しです。
誰かがそれぞれの近くに行くことがあると、集まれる人で会っていたようです。
私も一度、節子と福岡に行った時に、福岡と岡山の人が夫婦で集まってくれて、会食したことがあります。
みんなとても気持ちのやさしい人たちです。

昨年の命日にはみんなでわが家まで来てくれました。
そして今年もまた来ると言ってくださいました。
節子のことをみんなとても愛してくださっていたのです。
ところが、今年はそれぞれ伴侶に事故などあっておひとりしか来られなくなってしまいました。
私たちと同じ世代ですから、まあいろいろなことが起こるのです。
来られなくなった理由はいずれも伴侶の健康に関わっています。
幸いに、いずれも良い方向に向かっているようでホッとしました。
伴侶の健康は、自らの健康につながっています。
気をつけるべきは、自らの健康よりも伴侶の健康かもしれません。
その点、私はいずれをもおろそかにするという過ちをおかしました。
いくら悔いても悔いたりません。

命日の前日、3人から立派な花が届きました。
そのお礼の電話をそれぞれにさせてもらいました。
そうしたら、グループの中で一番の年長のTさんがこう話してくれました。

今年は節子さんの命日にみんなで会うことはできませんでしたが、節子さんのおかげでそれぞれと長電話できました。節子さんが私たちをつないでくれているのです。
とてもうれしいお話です。
節子はまだみなさんのなかでは生きているのです。

花を送ってくださったみなさんにお電話させてもらいましたが、そのそれぞれからとてもあたたかなエールをもらいました。
みなさんと話していて、節子がなぜみんなから愛されているのかが少しわかったような気がします。
そして、なぜ私が節子を愛しているかも、少しわかったような気がしてきました。

いなくなってからわかってきたことがたくさんあります。
伴侶とは、そんなものかもしれません。

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2009/09/03

■節子への挽歌732:とても私たちらしい3回忌になりました

今日は節子の3回忌です。
こうした法事は一般に命日よりも先行させるのが常識のようですが、まさに命日に当たる今日、3回忌を行うことにしました。
といっても、お寺でこじんまりと行ったのですが。
私はいつもの普段着で、つまりコットンパンツとTシャツで行きたかったのですが、みんなからそれだけは止めたほうがいいといわれて、仕方なく黒いスーツにしました。
節子は、私がTシャツで3回忌に臨んでも、きっと笑って喜んでくれたでしょう。
しかし、それを断行する勇気がなく、みんなのいうとおり、普通の3回忌になりました。

3回忌が始まる前に何人かの人がわが家に献花に来てくださいました。
本当はそういう人たちと一緒に、お茶でも飲みながら、節子を思いだすようなスタイルにしたかったのですが、やはりどこかでお寺で読経してもらわないと3回忌らしくないという思いが私の中にもまだあるのです。
節子なら私よりももっと思いきりよく、3回忌パーティにしたかもしれません。
節子は、そうした点では、私よりも決断力があったかもしれません。

午前中に来てくださったのは、横浜の野路さん、花かご会のみなさん、長沼さん、娘の友人のAさんです。
本当に節子は幸せ者だと、つくづく思います。
やはり節子には勝てそうもありません。
その話は改めてまた書かせてもらいます。

午後は宝蔵寺で3回忌をやってもらいました。
お墓に行ったら、すでに誰かが花を供えていてくださいました。
だれでしょうか。
思い当る人もいないわけではないのですが、誰かはわかりません。
でもそのお気持ちがとてもうれしくて、なんだか幸せになりました。

本堂での仏花にはバラとユリを使わせてもらいました。
節子の法事はいつも洋花中心なのです。
ジュンが花の担当ですが、バラは使えないという頭の固い花屋さんとうまく話し合って、いつもバラを入れさせてもらっています。

3回忌が終わった後、みなさんに自宅に来てもらい、ゆっくりと歓談させてもらいました。
その最中にも献花に来てくださる方がいて、私が思っていたスタイルにちょっと近づきました。
みなさんのおかげで、とても私たちらしい3回忌になったような気がします。

3回忌を過ぎると、節子の担当はいよいよ阿弥陀如来になるのだそうです。
節子の両親は阿弥陀信仰の浄土真宗です。
なんだかとてもホッとします。
節子は喜んでいるでしょう。
初めて節子にほめられた法事が実現できたような気がします。
2人の娘が、とてもがんばってくれたおかげです。

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■脱官僚への期待と危惧

政治の権力構造が変わるとさまざまなことが見えてきます。
とりわけ「本性」が見えてくるような気がします。
この1~2か月は、そうしたものが見える時期かもしれません。
安定すると見えなくなってしまいますので、しっかりと見ておきたいと思います。

今朝の朝日新聞には、民主党に対する官僚の態度の豹変ぶりが書かれています。
官僚は時の政権の手足ですから、政権には従順で、政権に対立するところには厳しく対処するのが当然だというのが常識かもしれません。
しかしこれもよく考えてみるとおかしな話です。
国民主権を標榜する政府にとっては、官僚が仕えているのは時の政府ではなく国民だとも言えます。
政府は国民を代表するわけですが、民に反する政府が生まれることもあります。
麻生政権は、明らかにそうでした。
そうした時にも官僚は政権に従うべきかどうかは悩ましい話です。

政府とはなんだという話でもあります。
野党は政府の一部なのか、政府に楯突くものかという問題です。
私は野党も広義の政府ではないかと思いますが、これは政治機構をどう考えるかに関わってきます。

政治の機構が反対論を封じ込めるための仕組みであれば、野党は抑圧されるべき存在かもしれません。
しかし、政治の機構とは多様な国民の価値観を活かしていく仕組みであれば、野党も与党も政府を構成する重要な要素ですから、官僚は野党にもきちんと接するべきです。
長年の自民党独裁体制は、そうした文化を壊してしまいました。
政治の機構は大きく変化すべき時期に来ています。

多数派になった民主党は政府をどう考えるか。
これまでの自民党のような、私利私欲だけを考える発想はしてほしくないものです。
「友愛」の理念を大切にして、野党にもしっかりと情報を提供し、私利私欲に堕した官僚を厳しく諌め、政権にさえ不利な情報をも野党議員や国民にしっかりと公開していく姿勢をこれまで以上に大事にしてほしいと思います。
特に、権力に迎合していた検察や警察、法曹界に対して、大きな意味での国のための主体性を育てるようにしていってほしいものです。
私欲のための「愛国心」ではなく、自発的な愛国心を育てることこそ、友愛の精神につながることです。
石原都知事はある意味では憂国の志であり、愛国者ですが、基準を変えれば、反国、亡国の輩であり、国を滅ぼし民に禍をもたらす暴君です。
時に、愛国は亡国と同義語かもしれません。

権力に尾を振るような官僚ではなく、権力に対峙するような官僚を、ぜひ評価し、日本の官僚制度を本来の姿に戻してほしいと思います。
脱官僚が民主党の政策の一つですが、脱官僚は決して官僚否定ではなく、官僚を活かすことと民主党の議員は説明しています。
それを短絡的に報道しているマスコミが、またおかしな風を吹かせなければいいのですが。

今朝の新聞記事によれば、これまで挨拶に来たこともなかった官僚たちが民主党議員に擦り寄ってきているようですが、そうした官僚はすべて排除し、誠実に仕事をしている官僚をこそ、評価し活用してほしいものです。
しかし、こうした記事を読むと、日本の官僚制度はもう壊れているのではないかというような気がしてきます。

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2009/09/02

■節子への挽歌731:また節子が白い雰囲気に包まれだしました

明日は節子の3回忌です。
節子の友人たちのいろんなグループからお花が届きだしました。
ユリが好きだった節子に合わせてくれたのか、どれもユリがたくさんです。
家中がまたユリの香りで充満しだしました。
昨年も思ったのですが、私の場合は、決してこんなに花は届かないでしょう。
やはり女性と男性とは違います。

会社時代の同僚だった「とっちゃん」も毎年来てくださるのですが、今回はなぜか愛媛特産のみかんジュースも持ってきてくれました。
そしてせっちゃんの見えるところに供えてほしいというのです。
その理由を少し聞かせてもらいましたが、節子はすぐにわかるだろうと思います。
問題はすべて解決したそうですよ。
私の知らないことも、まだいろいろとあるのですね。
私のことについて、節子がとっちゃんに話していたことも聞かせてもらいました。
いろいろと思い出すとまた心が苦しくなります。

近くに住む坂谷さんも花を持ってきてくれました。
昨日までご夫妻で箱根にいたそうです。
箱根や湯河原の話になると、これもまた心が辛くなります。
もう節子と箱根に行くことはないのですから。
節子は箱根がとても好きでした。

最後に、花かご会から大きな花かごが届きました。
花かご会がいつもお世話している我孫子駅前の花壇そのものが、私には花かご会からの節子への贈りもののようにいつも感じているのですが、こうして毎年、大きな花かごが届くとうれしさ半分、さびしさ半分です。

位牌壇の前がまた花で埋まりました。
胡蝶蘭とたくさんの白ユリが醸し出す「白い」雰囲気は、彼岸を感じさせます。
篠栗の庄崎さんが教えてくれましたが、節子は彼岸で白い花を育てているようです。
今日、いろんな人がいろんなところから届けてくれた花は、その花かもしれません。
しかし、位牌壇が白い世界になると、どうしても2年前を思い出してしまいます。

ジュンが「命日に花を贈るのはなぜだろう」とポツンと口に出しました。
どうしてでしょうか。

明日は節子の命日です。
3年目を迎えられてホッとしています。

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■鳩山政権への期待

政権が変わるというのに、相変わらず多くの人の発想は従来延長型です。
とりわけ新聞の社説の論調がそうです。
骨の髄まで現体制の発想がしみ込んでいるような気がします。
そうでなければこの厳しい競争社会を生き抜けないでしょうから、行き抜いた「勝ち組」の人はみんなそうなのでしょう。
競争社会の持つ、それが宿命です。

いうまでもなく、競争社会はどこかで破綻し、別のパラダイムに移っていきます。
今回の「政権交代」は、その小さな契機になりえるように思いますが、どの程度、パラダイム議論になるかはまだ見えてきません。
しかし、「宇宙人」とさえ言われる鳩山さんは、もしかしたら大きな歴史の転換につなげてくれるかもしれません。
地球人にとって、宇宙人は辺境的存在ですから。
昨日のテレビで、松原民主党議員が、変化という点では鳩山政権の実現はオバマ政権を超えるのではないかと話していましたが、そうであればうれしい話です。
ちなみに、オバマ政権はたいした変化をもたらさないで終わるような気がします。

「近代になると経済発展と社会変動の速度を調整する必要があるということが忘れられてしまった」
これはカール・ポラニーが『大転換』に書いた言葉です。
彼は、経済と社会の関係が逆転したといいます。
つまり社会的諸関係のサブシステムの一つだった経済関係が、市場システムの発展によって
社会的諸関係を飲み込んでしまい、経済が社会を破壊するようになったと言ったのです。
この本が書かれたのは1957年です。
見える人には歴史は見えているのです。
しかし見えない人には事実が終焉を迎える段階になっても、まだ見えないのです。
人は見たくないものは見えないからです。

経済成長だとか仕事づくりのためのダム建設だとかの呪縛から自由になって、社会変動の速度こそを考え直すべき時なのです。
それこそが「分かち合うべきいたみ」ではないかと思います。
そして「分かち合う仕組み」こそ、新しい時代の始まりなのかもしれません。

友愛を説く鳩山さんに期待します。

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2009/09/01

■知床無情

「知床旅情」はとても哀しい歌です。
恐ろしいほどの孤独感を感じます。
この歌とは全く無縁であることは知っていましたが、この歌を聴くたびに知床開拓の失敗を思い出していました。
自然の地を開拓することの厳しさは私にはわかりようがありませんが、30年ほど前にブラジルのサンパウロで日本からの開拓民の方に会って、その厳しさを実感したような気になった体験があります。

「GRAPHICATION」という雑誌で、栂嶺レイさんが寄稿していた「知床:消えた村の記憶を訪ねて」を読みました。
全く知らなかったことが書かれていました。

知床の開拓のために入植が本格的に始まったのは、大正3年だそうです。
その後、昭和20年からは食料・就業対策のため農水省により開拓事業が計画され、入植者はさらに増加。昭和30年には約60戸(200~300人)が入植していたそうです。
ところが、昭和41年に政策の変更によって開拓は中止され、入植者たちも集団離村したのです。
この記録を読めば、過酷な自然条件の中での開拓の失敗と思いがちです。
事実、知床の観光地にはいまも「開拓は失敗しました」という説明文が立っているそうです。

ところが、栂嶺さんの記事によれば、開拓はとても順調に進んでいたようです。
入植者も希望に燃えていたようですし、そこでの生活はとても希望に満ちたものだったようです。
ではなぜ集団離村したのか。

昭和39年に知床は国立公園に指定されました。そして、高度経済成長に向けて、全国各地で離農が促され、国の開拓事業を終結させようとしていた、と栂嶺さんは当時の時代背景を書いていますが、それに併せて、入植者だった人の言葉を紹介しています。
「役人が来て、離農資金をあげるから開拓は終わりにしましょうと言ったんだ」。

栂嶺さんはこう続けています。

開拓の終焉はあくまで政策だった。しかしまるで開拓者の取り組みに問題があったかのような風潮の中で、人々は自らの半生を隠し、口を閉ざしてきたのである。
栂嶺さんのブログがあります。
ぜひお読みください。
そこに「GRAPHICATION」の入手方法も書かれています。

棄民政策は国家にとってはコラテラル・ダメッジでしかないのかもしれませんが、私たちは最近「棄民」された側で考えることの意味を最近学んできています。
今回の選挙で、薬害肝炎の被害者福田さんが久間さんを破って当選したのは、そうした動きのひとつかもしれません。
戦後の競争原理の広がりの中で、最近の私たちは、決して「困っている人たち」の味方ではありませんでした。
それが少し変わり出したのです。

政治はどこに発想の起点を置くかで全く変わったものになります。
自民党がどこに起点を置いているかは明確です。
では、民主党はどこに起点を置くのでしょうか。
それがまだ必ずしも見えません。

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■節子への挽歌730:ヘビの抜け殻

庭の池の近くの草薮に1メートルくらいの長さのヘビの抜け殻が残っていました。
ジュンが、縁起がいいからとそれを節子の位牌壇の前に飾りました。
なぜ縁起がいいのかと聞いたら、節子から聴いた話だというのです。
小さい頃、節子と一緒に実家の近くのお宮さんでヘビの抜け殻を見つけたそうなのですが、「ヘビの抜け殻を財布に入れておくとお金が貯まる」と節子が話したのだそうです。
節子はヘビ嫌いでしたから、たぶんその時はその会話だけで終わったはずです。
もし節子が抜け殻を財布に入れておいてくれたら、私ももっと贅沢ができたかもしれません。

ちなみに、私は巳年、ヘビ年です。
そして、節子は酉年。
節子は、鳥を飲み込むヘビが嫌いだったはずです。
しかし、酉にも人や生き物を飲み込む意味があります。
私たちは、お互いに飲み込む合う関係だったのかもしれません。

それはともかく、そんなわけで、いま節子の位牌壇の前には蛇の抜け殻があります。
もしかしたら、これからわが家にはどんどんお金が溜まるかもしれません。
節子がいなくなったいま、お金などあっても何の意味もありませんが。

ヘビはお金を呼ぶだけではありません。
民俗学者の吉野裕子さんの本で、神とは「蛇(カ)の身(ミ)」に通ずると読んだのを覚えていますが、ヘビ信仰は世界各地に残っているようです。
見事に脱皮を繰り返すヘビは「再生」する永遠の生命を感じさせるからでしょう。
脱皮して、新しい身体を得るということは、すべての生命体の本質かもしれません。
キリスト教などではヘビが悪役で登場しますが、それは唯一神信仰を成立させるためだったという説もあります。
それほどヘビ信仰は原始信仰には広がっていたわけです。

明後日は節子の3回忌ですが、その直前にヘビの抜け殻が出現したのも、それなりの理由があるのかもしれません。

ところで脱皮したヘビはどこにいるのでしょうか。
狭い庭のどこかにいると思うとあまりいい気分はしません。
私も節子と同じく、ヘビが大嫌いなのです。
ヘビの抜け殻も、正直、あまり室内に置きたい気分ではないのですが、ジュンが節子の言葉を守って、一番いい場所に抜け殻を置いています。
まあ3回忌が終わるまでは仕方がありません。

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