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2009/09/19

■節子への挽歌748:Mourning

対象喪失によって起こる一連の心理過程を「モーニング」というそうです。
morning(朝)ではなく、mourningと表記するのですが、辞書によれば「悲嘆」とか「喪中」とあります。
精神分析の世界では、悲嘆を克服していく過程をモーニングと呼ぶようです。
つまり「喪に服す」ことと言ってもいいでしょう。

昨日、引用した「希望のケア学」で読んだのですが、モーニングのあいだ、人はさまざまな悲しみや苦痛を体験し、やがて現実の受容にいたるのだそうです。
その期間は人によってさまざまだそうです。
モーニングのあいだ、「悲しみ」「さみしさ」「怒り」「落胆」といったマイナスの感情が波のように押し寄せてきて、失われた対象が何度も脳裏をよぎり、そのたびに苦痛が心を支配する、と書かれていました。
そして、現実を受容できるようになると、モーニングが終わる、つまり喪があけるというわけです。
納得できるようで、どこかに違和感があります。
私の場合は喪があけることなどないという思いがあるからです。
それに、現実は受け容れていながら受け容れていないのです。

その本の紹介では、モーニングには4つの段階があるのだそうです。
第1期はショックで頭が真っ白になってしまい感情がなくなってしまう状態。
第2期は必死になって失った対象を取り戻そうとする抗議の段階。そこでの感情は「怒り」だそうです。
第3期は絶望と抑うつの段階で、あきらめからの「悲しみ」「空しさ」「落胆」といったマイナスの感情が支配的になるのだそうです。
そして第4期は対象からの「離脱の段階」。新しい対象に興味がうつり、活力や陽性の感情が支配するようになり、「もう気持ちの整理がついた」「前向きに考えていこう」と思えるようになるのだそうです。
これらは必ずしも一直線ではなく、行ったり来たりしながら進行すると書かれていました。

これもそう言われればそんな気もします。
私も節子を送った直後は、現実を理解できずに異常に冷静でしたが、感情は希薄化していました。
しかし、その後、抗議の段階や絶望の段階の実感はありません。
この挽歌を読み直すと、もしかしたらそうした感情が読み取れるのかもしれませんが、怒りや落胆とはちょっと違うような気がします。
ましてや「離脱」など考えられません。
自分の気持ちを整理してみると、むしろ「混乱」「理解」「正当化」「同一化」といった4段階を感じます。
そして「同一化」により、心身の平安が得られるのです。

喪をあけなくとも「平安」は訪れます。
逆に言えば、「喪はあけることはない」のです。
「もう気持ちの整理がついた」「前向きに考えていこう」などというのは、私にとっては、なんら意味のあることではなく、目指すことでもありません。
そこがたぶん周りの人にはわかってもらえないような気がします。
一生喪に服していることこそ、心身の平安をもたらしてくれるのです。
きっとそういう人は少なくないでしょう。
そのことに気づいたら、とても生きやすくなったような気がします。

精神分析の本は退屈です。

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