■節子への挽歌740:人は悲しさや辛さを経験するほどに、世界を深めていく
節子
今日、新潟のKさんが久しぶりに湯島に立ち寄ってくれました。
Kさんのことは節子もよく知っていますね。
Kさんは私よりも年上ですが、とても行動力のある方です。
出版社で仕事をされていましたが、退職後も環境問題や社会教育問題の分野で精力的に活動されています。
いまは親の介護の関係で生活の拠点を新潟に移していますが、東京にもよく出てこられていました。
ところが最近、奥様が体調を崩され、ある難病指定を受けることになりました。
奥様もとても行動的な方でしたが、いまは無理ができず、Kさんもあまり東京に出て来られなくなったのです。
話をした後、一緒に食事に行こうと思い、支度をしていたら、なんとKさんが使ったコップを洗いだしたのです。
驚きました。
私が持っているKさんのイメージには、そんな姿はなかったからです。
いまは食事づくりもしていますよ、とKさんは笑いながら言いました。
そういえば、Kさんは時々電話でこう言ってくれていました。
女房が倒れて、奥さんを亡くされた佐藤さんの気持ちが少しわかった、と。
Kさんは心優しい人ですから、もちろん節子が病気になった時からとても心配してくれ、私たちを気遣ってくれていました。
そのKさんが、そう言ってくれたのです。
人は悲しさや辛さを経験するほどに、世界を深めていく。
そんな気がします。
奥さんに代わって食事をつくり、後片づけをする。
Kさんは、すっかりとその世界を自らのものにしているようでした。
歳をとるにつれて、さまざまな悲しさや辛さを体験することが増えてきます。
もちろん若い時にも悲しさや辛さを体験しますが、その受け取り方は違うような気がします。
歳とともに、その悲しさや辛さが自分に重なってくる。
頭ではなく心身に響いてくる。
そしてその響きが、人をやさしくしていく。
自他の境界を越えて、すべてのものが、すべてのことが、いとおしくなっていく。
そんな気がしてなりません。
歳とともに、人の心身の中にある仏性が目覚めてくるのがわかります。
しかし、同時に、それとは全く対極にある魔性もまた目覚めてくる。
平安と羨望、その狭間を大きく振れている自分がいます。
平安を得るには、もう少し悲しさや辛さを体験しなければいけないのかもしれません。
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