■節子への挽歌738:自らの生命の先行きなど知らないほうがいい
テレビを見ていたら、医師が患者に余命期間を知らせるかどうか悩んで、他の医師に相談する場面がありました。
相談された医師は、自分が患者だったらどう思うかと逆に質問します。
悩んでいた医師は、自分なら真実を知りたいと答えます。
そのやり取りしか、私は見なかったのですが、自分ならどうだろうかと考えました。
そして、少し後になってからですが、この質問は無意味ではないかと気づきました。
余命に関しては、以前、書いたことがあります。
その言葉の意味を私が正確に理解していないおそれはありますが、私にはとても受け入れがたい言葉です。
ところで私が無意味な質問だと思った理由は、そもそも「真実」などというのはありえないということです。
人間の生命力の不思議さを考えれば、それは所詮「ある医師の主観的な評価」でしかないでしょう。
それに、真実は立場によって違って見えるものです。
医師と当事者とは、おそらく違う真実を見ています。
自らの医学的見立てを真実と考えるところに、現代の医学の問題があるような気がします。
しかし、そこでいつものように、私はめげてしまいます。
私と節子が見ていた真実もまた違っていたことになぜ気がつかなかったのだろうか、と。
自らの生命の先を一番よく知っているのは、当事者ではないかと、私は節子のことを思い出すたびに反省させられます。
後から思えば、節子はおそらく医師以上に知っていた、いや感じていたと思います。
しかし、その一方で、私たち家族との関係では、それを封じ込めていた、そう思えてなりません。
私は、節子のことを本当は何一つ知らなかったのかもしれません。
そう思うたびにめげてしまうのです。
最初の質問に戻れば、自分の余命を知りたいと思う人が本当にいるでしょうか。
仮にいるとしても、それを素直に受け入れられる人がいるでしょうか。
もちろんたくさんいるという人もいるでしょう。
私も、節子とのことがなければ、そういうと思います。
節子も、最初はそういっていましたから、
しかし、実際にそういう状況になると、人はそう思わないのではないか、今ではそんな気がします。
節子は闘病の辛さの中で、2回だけ「もう死にたい」とメモに書きました。
2回が多いか少ないかは人によって受け取り方は違うでしょうが、そう書いている時でさえ、節子は決して死にたくなどはなかったのです。
希望も決して捨ててはいませんでした。
自らの生命の先行きは実感していても、決してそのことを知りたくはなかったはずです。
自信を持ってそういえます。
自らの生命の先行きなど知らないほうがいい。
私は今は確信をもってそう考えています。
節子もきっと、今なら賛成してくれるでしょう。
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コメント
白血病で自宅療養していた友達がありました。59歳でした。病院の先生が回診して呉れていました。先生はキリスト教者で、病んだ人の僕だと考えている人で優しく、彼女の悩みを聞き安心感をあたえていました。
治療としてはモルヒネを点滴で流し、痛みを取るしかない状態でした。
その年の暮れ30日に訪ねた時はベッドの上に板を置いて大根を千本に切ってお正月のニンジンと大根のなますを作っていました。「娘になますの作り方を教えているの」「まあ、美味しそうね」彼女は明るい顔で重病には見えませんでした。
正月2日の朝、彼女が亡くなったと報せてきました。 暮に見舞った時にはまだまだ生き続けるだろうと思っていました。
その病院にはホスピスもあり、私はシニアの会の会長をしていたとき会員のお見舞いに行くこともありました。
ホスピスでは人々はとても自然に読書をしたり、ラウンジでお茶を飲んだり、生の瞬間をあじわっていました。 人間から痛みと恐怖を除けば、死の間際まで安らかに生き、安らかに死ねるのかもと思います。 生も死も渾然として自然に移行してゆく気がします。
投稿: maron | 2009/09/10 01:40
maronさん
いつもありがとうございます。
>生も死も渾然として自然に移行してゆく
私もそうあろうと思っています。
投稿: 佐藤修 | 2009/09/10 13:44