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2009/09/10

■お金は家畜の餌なのか

リーマンショックから1年。
また金融経済学者たちが動き出しているようです。
彼らが変質させた「お金」を元の形に戻していかなければいけません。
もしそれができないのであれば、その「お金」から離脱していくのがいいかもしれません。
私は10年ほど前から、その路線を選び出しています。
心理的には呪縛から解き放されましたが、まだかなりお金のお世話にはなっています。

金融経済学者たちは、お金をどう「変質」させたか。
それに関してはさまざまな議論がなされていますが、一番重要なことは、実体物や人間の労働との「つながり」を切ったことではないかと思います。
その始まりは、金本位制から離脱したニクソンショック(1971年)です。
当時、私は東レという会社にいましたが、その影響を調べるためにアメリカに出張しましたが、まだ問題意識が乏しく、その意味さえ理解できませんでした。
金本位制を捨てた意味がおぼろげながら理解できたのは、会社を辞めて土地投機に関わる人と出会ってからです。

工業は自然を克服し、自然から経済を自由にしました。
しかし、それもまた「環境問題」という手厳しい反発を受けています。
ローマクラブがそのことを警告したのは1972年です。
1970年代は、歴史の岐路が見えてきた時期だったように思いますが、その後の実際の政治や経済の動きはむしろその「見えたもの」を封じ込める方向で動いてきたように思います。

私は、人が生きるとは「働くこと」ではないかと思います。
働くとは社会につながることであり、機会の部品が果たすような作業の意味ではありません。
ましてや、対価としての「お金」をもらうことではありません。
しかし、なぜかみんな「働くこと」でお金をもらうことに喜びを感じます。
女性たちは、家事労働を働くことと実感できなかったのでしょうか、それを捨てて、お金をもらう作業に向かっていきました。
そこでは、「お金」と「働くこと(労働)」が過剰なほどにつながっていました。

つまり、金本位制を離れて自由に作りだすことができるようになった「お金」も、まだ「労働」を通して、「実体」の制約を受けていたのです。
ところが、金融経済学者は労働の対価としてのお金を労働から切り離し、別の世界をつくりだしてしまいました。
すべての制約から自由になったお金は天井のない増殖を始めました。
1995年以来の15年ほどで、世界の金融資産は100兆ドルも増えたといわれます。
おそらく倍増以上の増加です。
ですから年収何百億などという馬鹿げた高給取りが生まれたわけです。
それを促進したのが、いわゆる新自由主義者たちです。

また長くなってしまいましたが、要するにいまや「お金」と「労働」が切り離されようとしているということです。
それはどういうことかといえば、主客が変わるということです。
「お金」を生み出す主役だった労働は、いまや「お金」のためのものになったということです。
高給取りたちは、そのうちに、家畜に餌をばらまくようにお金をばらまきだすでしょう。
すでにベーシック・インカムの議論が広がりだしています。
そこに潜む罠に、私たちは気づかねばいけません。

リーマンショックの意味を私たちはもっとしっかりと総括すべきです。
日本の経済学者は、そうしたことにあまりに無関心なのが気になります。
みんなお金に絡めとられてしまったのでしょうか。

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