■節子への挽歌752:彼岸法要と「生命の連続」
節子
彼岸のお中日です。
彼岸前にお墓の花をきれいにしておこうと思い、一昨日、お花を持っていったのですが、すでに周りのお墓はきれいになっていました。
最近はいつも出遅れます。
彼岸法要は、先祖を供養する日本独自の行事だそうです。
昨日、一条真也さんが新著「あらゆる本が面白く読める方法」を送ってきてくれましたが、それを読んでいたら、こんな文章が出てきました。
わたしは、あまり死ぬのが怖くありません。これは痩せ我慢でもなんでもありません。一条さんは、儒教の『孝』とは『生命の連続』ということであり、子どもや子孫を残すことによって、人は死ななくなるという思想だと紹介しています。
わたしは、儒教の本を読んでから死ぬのが怖くなくなりました。
儒教に関しては、私も興味をもっていますが(最初の出会いは小学生の時に読んだ下村湖人の「論語物語」です)、生命の連続という視点で考えたことはありませんでした。
生命は個人で完結するものではなく、時空間を超えて遍在しているという私の生命観と一致しています。
節子とのつながりを感ずるのは、こうした生命観に支えられているのです。
「あらゆる本が面白く読める方法」というような本の中で、こんな文章に出会うとは思ってもいませんでした。
しかも出会ったのがお彼岸の中日。これも何かの縁かもしれません。
庭の彼岸花も、今年はあまり多くはありませんが、咲いています。
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