« ■節子への挽歌737:人は泣くことによって、悲しさの意味を変えられる | トップページ | ■公共的理性パースペクティブに基づく熟議の価値 »

2009/09/09

■友愛は空疎な理念か

昨日の日経新聞のコラム「大機小機」に、民主党に対して「友愛などと空疎な理念をもてあそばずに」という文章がありました。
おそらく書き手は「お金という空疎な私欲」にうずもれた経済人でしょうが、まだお金の空疎さに気づかない人が財界を仕切っていることにため息がでます。
アメリカではすでに「強欲な」金融人が復活してきているようです。
理念のない手段ほど、空疎なものはありません。

お金がないと生きていけないというみんな思いこんでいますが、お金がなかった時代にも人は生きていました。
名前はともかく、最近のような権力をもたらすような、そして自己増殖するような「お金」が生まれたのは、そう遠い昔ではありません。
そのことを、みんなもっと思い出してほしいものです。

毎月、湯島の私のオフィスでやっている「支え合いサロン」では、支え合う生き方を取り戻すことで、お金の役割を見直すことが時々話題になります。
9月24日には、「結い」をテーマにした話し合いをする予定です。
関心のある方はご連絡ください。

いまの日本の社会に欠けているのは、「友愛の精神」です。
民主党はこの理念を大事にしてほしいと思っています。
もちろん、私も大事にしていますし、実践しています。

|

« ■節子への挽歌737:人は泣くことによって、悲しさの意味を変えられる | トップページ | ■公共的理性パースペクティブに基づく熟議の価値 »

政治時評」カテゴリの記事

経済時評」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/30899/46162718

この記事へのトラックバック一覧です: ■友愛は空疎な理念か:

« ■節子への挽歌737:人は泣くことによって、悲しさの意味を変えられる | トップページ | ■公共的理性パースペクティブに基づく熟議の価値 »