■節子への挽歌744:メダカと沢蟹
節子
湯島のオフィスにメダカを連れていきました。
バラはすべて枯れてしまい、花類は難しいので、今度は観葉植物の挿し木を持参しました。
もう一度、湯島を気持ちのいい空間にしたいと思っていますが、どうも私だけでは花は枯らしてしまいがちで、殺風景な状況を克服するのは難しいです。
やはり空間は、その住人によって変わるものです。
ベランダには、節子が残していった植物が5つ、まだ元気です。
というか、手をかけずに元気を維持できるものしか残らなかったということですが。
今日は、本郷のコムケアセンターのオフィスにも行きましたが、入り口に、節子が持っていった植木がいまも元気に残っていました。
あまり手入れをしないでも大丈夫なものを、節子は選んでくれたのです。
節子の思い出はコムケアセンターにまで残っています。
節子は生き物が好きでした。
節子が元気だった頃は、いつも、植物がベランダにも室内にもありました。
それだけで、私の気分は和みました。
節子がベランダで観葉植物の植え替えをやっていた姿を思い出します。
節子は土が好きだったのです。
私は、土いじりをしている節子が好きでした。
その節子がいなくなって、枯れるものは枯れてしまいました。
それでもわずかばかりの緑が残っているので、心がやすまります。
ところで、このメダカは敦賀のある人が育てていた日本メダカです。
それを先日、義兄にわざわざ自宅まで運んでもらったのですが、自宅で安定したのでオフィスで育てることにしました。
2匹です。
その動きを見ていると飽きることがありません。
私は自然の中の生き物が好きなのです。
生き物がいそうなところを見ると、探したくなるのです。
あまりほめられたことではないのですが、心身が動くのです。
そのことを節子はよく知っていてくれていました。
ですから還暦祝いは、わが家の狭い庭にビオトープをつくってくれたのです。
そのうえ、何度か沢蟹さがしにまで付き合ってくれました。
そんな女房はほかにいるでしょうか。
まあ、いるでしょうね。
しかし私の気持ちを理解してくれていたのは節子くらいでしょう。
ことほど左様に、節子は私のことをすべて知っていました。
だから節子といると心が和んだのです。
節子は、このメダカを見ているでしょうか。
そういえば、庭に放した沢蟹も、先日、石の下に潜んでいました。
これも節子がしっかりと敦賀の姉に伝えていてくれたので、敦賀の姉夫婦が捕まえてもって来てくれたのです。
私には越前ガニよりも、山の沢蟹がずっとうれしいのです。
庭に沢蟹がいる生活が実現できたのは、節子のおかげです。
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