■「待て」と「お手」
わが家にはチャッピーという老犬がいます。人間にたとえたらおそらく70過ぎの老犬で、散歩に行ってもちょっと長くなるとくたくたになって自宅にたどり着くのがやっとです。
まあ老人の私といい勝負ですが。
そのチャッピーが、いまなお守っていることがあります。
ご飯やおやつの時に、「待て」というと待っていることです。
あるいは手を出すとお手をしてくることです。
その姿を見ていて、最近、何だか自分を見ているような気がしてきたのです。
いえ、正直に言えば、自分というよりも、多くの日本人というべきでしょう。
私もその仲間だと思うのはかなり辛いことではありますが、認めざるを得ないでしょう。
チャッピーに「お手」を教えた記憶はあるのですが、「待て」はあまり教えたことがありません。
もしかしたら、チャッピーがわが家の養子に来る前にしつけられていたのかもしれません。
それにしても、そのあまりの従順さに哀れさを感じます。
なぜ哀れさを感ずるのだろうかと不思議に思って気がついたのが、自分たちの生き方との類似性だったのです。
私たちはどこで誰に「待て」とか「お手」とか教えられたのでしょうか。
私はあまり記憶にありません。
でも周りを見ているとみんな本当に忠実です。
偉そうなことをいっている私も、かなり忠実です。
私の人生は、かなりわがままそうに見えても、所詮は「待て」と「お手」の人生でした。
「待て」と「お手」を身につけた人が、たぶん大人なのかもしれませんが、最近はどうもかなり若い世代まで、その躾が進んでいるような気がします。
一見、勝手気ままにやっているようで、所詮は家畜のような生き方をしています。
先日、渋谷や原宿を歩いた時の光景を思い出しました。
みんなよく飼いならされています。
そういえば、原宿では家畜が餌を求めるように、餌場のようなお店の前はいつも行列です。
わが家のチャッピーよりも「お行儀」はかなり悪いですが。
さて私もその一員なのでしょうが、小賢しい学びよりも、チャッピーに学ぶべきかもしれません。
そういえば、チャッピーは一見待っているような振りをして、時々、飼い主の目をごまかします。
見習わなければいけません。
人生すべて師ですね。はい。
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