■節子への挽歌746:節子がいなくなってから、帰宅時間は早くなりました
昨日のことに少しつながるのですが、節子がいなくなってから、私の帰宅時間は早くなりました。
帰宅時間だけではなく、在宅時間が長くなったといってもいいでしょう。
考えてみると不思議なことです。
私を待っている節子がいればこそ、早く帰りたいと思うはずですが、実は逆なのです。
遅くなっても家には節子が待っていると思えばこそ、帰宅時間が遅くなっても大丈夫だったのだと、節子がいなくなってから気づきました。
私の小学校の時の同級生で、私よりも少し早く伴侶を見送った友人がいます。
私のことを知って電話をくれました。
彼女は、夫のいなくなった自宅にいるのが苦痛で、その後、外部でボランティア活動を始めたというのです。
当時私はほぼ自宅に引きこもっていましたが、それが彼女には理解できなかったようです。
男女の違いかもしれませんし、個人の違いかもしれません。
ただ私は、節子がいなくなってから、自宅にいる時間が圧倒的に増えました。
節子がいなくても、自宅にいるとなんとなく心がやすまるのです。
当初は、夜は自宅で過ごさないと不安でしたので、夜の集まりやお付き合いはほとんどお断りしたくらいです。
今も夜はできれば自宅で過ごしたい気分です。
待っている人がいないのに、早く自宅に帰りたくなる気分。
これは私自身にとっても不思議でした。
節子がいた頃に早く帰宅していなかった罪悪感の成せる業でしょうか。
今日は夜に集まりがありますので、帰宅は遅くなりますが、そんな時はとても気が重いのです。
いつになったらこうした気持ちから解放されるのでしょうか。
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