■節子への挽歌747:節子は孤独だったのでしょうか
節子
死や看病などの本を読んでいて、とても違和感を持つことがあるのですが、それは私の感受性の欠如かと思うことも少なくありません。
しかし、そう思えないこともまた、少なくないのです。
「希望のケア学」(渡辺俊之)という本を読みました。
そこにこんな文章が出てきました。
死には恐怖感がともないます。死にゆく人は計り知れない喪失感を抱えています。死は孤独です。死には痛みもともないます。死は恐ろしく、死は運命です。節子もそうした喪失感や恐怖感を持っていたのでしょうか。
その文章に続いて著者はこう書いています。
死にゆく人をケアするのはたやすいことではありません。死にゆく人と、生き残る人のあいだには大きな溝があります。死にゆく人の心に近づこうと思っても、彼らには生き残る人へ向けた羨望や怒りが生じます。激しい恐怖や悲しみが彼らを圧倒しています。節子のことを思い出すと、とてもこの文章はうなづけないのです。
私たち家族と節子のあいだに大きな溝はなかった。
節子は私たちに対して、決して羨望や怒りの念などなかった。
節子が恐怖を感じていたとは、私にはとうてい思えません。
私の思い上がりかもしれませんが、節子は決して「孤独」ではなかった。
私は節子を見送ることで、死に対する恐怖感を完全に払拭できたように思います。
節子は、私に「生き方」を教えてくれた。
その見事さが、見送った後の私の立ち直りを遅らせているのかもしれません。
その見事さを直接の言葉で褒めてやれないのが、ほんとうに残念です。
最後の最後まで、節子は私たちの家族の一人でした。
それも、必ずまた元気になる家族としてしか考えられなかったのです。
ケアとは、相手を自分の仲間として接することではないかと私は思っています。
溝などあれば、ケアしようがない。
自分の体験から発想するのは危険ですが、ケアに関する著作は、具体的な話になるとどうも違和感が生まれてくるのです。
節子は決して孤独ではなかった、ともかくそう思いたいのかもしれません。
節子
実際のところどうだったのでしょうか。
最近、その思いがしばしば頭をよぎります。
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