■節子への挽歌735:モネの睡蓮
昨日の続きです。
Mさんのメールに「奥様は絵描きさん」とあります。
節子はもちろん「絵描き」ではなく、作品も数点しか残していません。
なぜMさんがこう書いたのか。
これには理由があります。
Mさんがフランスにいる娘さんのところに行ったお土産に、モネの絵のミニチュアアートを買ってきてくれたのですが、私が女房も絵を描いていたので、ほかの人の絵はいりません、というようなことを言ってしまったのです。
とても失礼な話ですね。
まあそういう非常識さが私にはどうもあるのですが、その時の私の言い方でMさんは節子が「絵描きさん」だと思われたのです。
いやはや節子に怒られそうです。
そのことを思い出して、お詫びのメールを書きました。
お詫びのメールもおかしいと娘から笑われましたが、考えてみるとたしかにおかしい。
どうも私も一部「天然」的なようです。
困ったものです。
Mさんもモネがとても好きで、フランスではモネの家も訪ねたそうです。
まあそれだけの話なのですが、実は3回忌に来てくださった節子の友人のNさんがモネの絵を持ってきてくれたのです。
節子が元気だったころ、よく一緒に美術展などに行っていた友人です。
最近、ある美術展に行ったら、なぜかモネの睡蓮のコピーがあったので、節子が好きだったのを思い出して買ってきてくださったそうです。
そういえば、節子はハンカチまでモネの絵だったと娘が教えてくれました。
私は、節子のことをよく知っているようで、知らないことがたくさんあります。
人は自分の関心でしか世界を観察していないからでしょう。
節子がいなくなった後の節子像は、私のそうした独りよがりの思い出から創りだされていますから、私にとっての理想像になっているかもしれません。
人の思い出は、その人に対する愛憎や好みによって大きく変わるのでしょう。
この挽歌の中の節子は、本当の節子ではない「創作節子」になっているかもしれません。
これは自分のことではないと節子に思われたら、問題がややこしくなりかねません。
さてさて注意しなければいけません
わが家の庭の小さな池にも、睡蓮が1本だけあります。
姉夫婦からもらったものですが、今年も2つ、花が咲きました。
節子は見ていたでしょうか。
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