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2009/09/03

■脱官僚への期待と危惧

政治の権力構造が変わるとさまざまなことが見えてきます。
とりわけ「本性」が見えてくるような気がします。
この1~2か月は、そうしたものが見える時期かもしれません。
安定すると見えなくなってしまいますので、しっかりと見ておきたいと思います。

今朝の朝日新聞には、民主党に対する官僚の態度の豹変ぶりが書かれています。
官僚は時の政権の手足ですから、政権には従順で、政権に対立するところには厳しく対処するのが当然だというのが常識かもしれません。
しかしこれもよく考えてみるとおかしな話です。
国民主権を標榜する政府にとっては、官僚が仕えているのは時の政府ではなく国民だとも言えます。
政府は国民を代表するわけですが、民に反する政府が生まれることもあります。
麻生政権は、明らかにそうでした。
そうした時にも官僚は政権に従うべきかどうかは悩ましい話です。

政府とはなんだという話でもあります。
野党は政府の一部なのか、政府に楯突くものかという問題です。
私は野党も広義の政府ではないかと思いますが、これは政治機構をどう考えるかに関わってきます。

政治の機構が反対論を封じ込めるための仕組みであれば、野党は抑圧されるべき存在かもしれません。
しかし、政治の機構とは多様な国民の価値観を活かしていく仕組みであれば、野党も与党も政府を構成する重要な要素ですから、官僚は野党にもきちんと接するべきです。
長年の自民党独裁体制は、そうした文化を壊してしまいました。
政治の機構は大きく変化すべき時期に来ています。

多数派になった民主党は政府をどう考えるか。
これまでの自民党のような、私利私欲だけを考える発想はしてほしくないものです。
「友愛」の理念を大切にして、野党にもしっかりと情報を提供し、私利私欲に堕した官僚を厳しく諌め、政権にさえ不利な情報をも野党議員や国民にしっかりと公開していく姿勢をこれまで以上に大事にしてほしいと思います。
特に、権力に迎合していた検察や警察、法曹界に対して、大きな意味での国のための主体性を育てるようにしていってほしいものです。
私欲のための「愛国心」ではなく、自発的な愛国心を育てることこそ、友愛の精神につながることです。
石原都知事はある意味では憂国の志であり、愛国者ですが、基準を変えれば、反国、亡国の輩であり、国を滅ぼし民に禍をもたらす暴君です。
時に、愛国は亡国と同義語かもしれません。

権力に尾を振るような官僚ではなく、権力に対峙するような官僚を、ぜひ評価し、日本の官僚制度を本来の姿に戻してほしいと思います。
脱官僚が民主党の政策の一つですが、脱官僚は決して官僚否定ではなく、官僚を活かすことと民主党の議員は説明しています。
それを短絡的に報道しているマスコミが、またおかしな風を吹かせなければいいのですが。

今朝の新聞記事によれば、これまで挨拶に来たこともなかった官僚たちが民主党議員に擦り寄ってきているようですが、そうした官僚はすべて排除し、誠実に仕事をしている官僚をこそ、評価し活用してほしいものです。
しかし、こうした記事を読むと、日本の官僚制度はもう壊れているのではないかというような気がしてきます。

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