■節子への挽歌736:人を寄せ付けない悲しさのベール
節子
一昨日は満月でした。
友人知人と手賀沼で満月を見ながらの船上交流会をやりました。
私もいまの生活にかなり慣れてきたのかもしれません。
悔しいですが、時が悲しさを忘れさせているのでしょうか。
そんなことは決してないのですが。
その集まりに4年ほど会っていなかった若い友人を誘いました。
地元の活動に一度協力してもらって以来、またいつか彼と何かをやりたいと思いながら、節子の病気などで中断していたのです。
彼もその間、転職し、いまは地元の小学校の先生です。
交流会の後、メールが来ました。
修さんが元気に笑っている姿を拝見し、嬉しく思いました。節子を見送った後の手紙やメールを読んだ人たちは、私が永遠の奈落に落ち込んでしまったと思っている人も少なくないようです。
以前はよく来てくれたのに、その後、ぱったりと来なくなった人もいます。
地獄の底に落ちた人とはどう接したらいいか悩ましいですし、第一、接したくない気分になることはよくわかります。
私の手紙やメールは、それほどの落ち込みを伝えていたようです。
修さんはどうなってしまうんだろうと思っていましたが、元気になってよかった。
その若者はそういっていました。
節子を見送ってからの1年、私の書いたものは生気を感じさせなかったかもしれません。
節子
最近はまた湯島のオフィスにもいろいろな人がやってくるようになりました。
節子を見送った後、もしかしたら人を寄せ付けない悲しさのベールが私の心身を覆っていたのかもしれません。
そのベールに包まれて、私は精神を安定させていられたのかもしれません。
そのベールにも気づかずに私の心の中に入り込んでくる人には、平安を乱されるような気分になったこともありますが、そういうことはそう多くはありませんでした。
しかし、そのベールは、覆われている私自身の気をも奪いかねないものだったような気がします。
自分では元気に笑っているようでも、外から見ると気が抜けた笑いだったのでしょう。
そのベールも少しずつ溶け出したようです。
笑いに気が出てきたようです。
だからきっといろんな人がまた集まりだしたのです。
節子のいない3年目も乗り越えられそうです。
もっともっと笑おうと思います。
たとえどんなに悲しくても。
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