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2009/09/01

■知床無情

「知床旅情」はとても哀しい歌です。
恐ろしいほどの孤独感を感じます。
この歌とは全く無縁であることは知っていましたが、この歌を聴くたびに知床開拓の失敗を思い出していました。
自然の地を開拓することの厳しさは私にはわかりようがありませんが、30年ほど前にブラジルのサンパウロで日本からの開拓民の方に会って、その厳しさを実感したような気になった体験があります。

「GRAPHICATION」という雑誌で、栂嶺レイさんが寄稿していた「知床:消えた村の記憶を訪ねて」を読みました。
全く知らなかったことが書かれていました。

知床の開拓のために入植が本格的に始まったのは、大正3年だそうです。
その後、昭和20年からは食料・就業対策のため農水省により開拓事業が計画され、入植者はさらに増加。昭和30年には約60戸(200~300人)が入植していたそうです。
ところが、昭和41年に政策の変更によって開拓は中止され、入植者たちも集団離村したのです。
この記録を読めば、過酷な自然条件の中での開拓の失敗と思いがちです。
事実、知床の観光地にはいまも「開拓は失敗しました」という説明文が立っているそうです。

ところが、栂嶺さんの記事によれば、開拓はとても順調に進んでいたようです。
入植者も希望に燃えていたようですし、そこでの生活はとても希望に満ちたものだったようです。
ではなぜ集団離村したのか。

昭和39年に知床は国立公園に指定されました。そして、高度経済成長に向けて、全国各地で離農が促され、国の開拓事業を終結させようとしていた、と栂嶺さんは当時の時代背景を書いていますが、それに併せて、入植者だった人の言葉を紹介しています。
「役人が来て、離農資金をあげるから開拓は終わりにしましょうと言ったんだ」。

栂嶺さんはこう続けています。

開拓の終焉はあくまで政策だった。しかしまるで開拓者の取り組みに問題があったかのような風潮の中で、人々は自らの半生を隠し、口を閉ざしてきたのである。
栂嶺さんのブログがあります。
ぜひお読みください。
そこに「GRAPHICATION」の入手方法も書かれています。

棄民政策は国家にとってはコラテラル・ダメッジでしかないのかもしれませんが、私たちは最近「棄民」された側で考えることの意味を最近学んできています。
今回の選挙で、薬害肝炎の被害者福田さんが久間さんを破って当選したのは、そうした動きのひとつかもしれません。
戦後の競争原理の広がりの中で、最近の私たちは、決して「困っている人たち」の味方ではありませんでした。
それが少し変わり出したのです。

政治はどこに発想の起点を置くかで全く変わったものになります。
自民党がどこに起点を置いているかは明確です。
では、民主党はどこに起点を置くのでしょうか。
それがまだ必ずしも見えません。

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