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2009/09/05

■節子への挽歌734:「お目にかかりそびれた奥様の御霊に」

節子の命日に、「お目にかかりそびれた奥様の御霊に」というタイトルのメールが届きました。
15年ほど前からお付き合いのあるMさんからです。
Mさんは、たぶんその日が節子の命日であることを知らないはずです。

日ごろは、ご主人様にそれこそ、手取り足とりでお世話になっております。
有難うございます。
よきご指導を得て、今のような世の中を何とかおかげさまで元気に泳いでおります。
佐藤さんのお話では、奥様は絵描きさんでいらっしゃいました由、作品がきっと今日もこれからも生きて、佐藤さんを見守っておられるのでしょうね。
うらやましい限りのご夫婦です。
昨日、私よりも少しお若いご主人様が、私の先も短いことを教えてくださいました。
本当に我ながらぼんやりしたものです。
100まで生きようと思いつつね。
どうか安らかに、でも良い風を送ってくださいますようにお願いいたします。
そう遠くない未来にはお目にかかれることでしょう。
Mさんは、日本の子育て支援の市民活動の草分けの方です。
新しい保育システムと保育所を構想していた時にMさんの活動を知り、それ以来のお付き合いです。
節子はお会いしたことはないかもしれませんが、お名前は知っているはずです。
私が取り組んでいたことは、ほぼすべて節子は知っていましたから。

Mさんはいまも精力的に全国を飛び回っていますが、時々、相談にやってきてくださいます。
活動を始めたのは30年以上前ですから、日本のNPO活動の先駆者ですが、その大先輩に、私は会う度に手厳しいコメントを繰り返しています。
その活動の現代的意義を高く評価しているがゆえに、それがうまく発展していないことにいささかの不満があるからです。
悪貨が良貨を駆逐するのは、世の常かもしれませんが、だからと言って諦めていてはいけません。

今月初めにお会いした時にも、どうもかなりきついことを申し上げてしまったようです。
「私の先も短いことを教えてくださいました」
どんな言い方をしたのか、われながらいささか心配ですが、私と違って組織活動をされているMさんにとって、次の世代にどうバトンタッチしていくかは難しいテーマです。

いつかも書きましたが、自分の年齢を実感するのはとても難しいです。
私は、いまでも60代の人を見ると私よりもずっと年上に感じます。
私の年齢は、たぶん節子が病気になった頃の年齢でストップしています。
少なくとも、節子がいなくなってからは、自分の年齢を見る鏡がなくなってしまい、年齢感覚がなくなってしまったのです。
身体的な老化は日々実感するのですが、意識はそれに伴ないません。
昨日書いたように、伴侶が歳をとっていくことはよくわかりますが、自分のことはなかなか見えないものです。
自然と関わっていないと季節感がなくなってしまうように、一緒に歩く伴侶がいなくなると、年齢感がなくなってしまいます。
いいかえれば、先の短さが、頭ではわかっていても実感できなくなるのです。

Mさんはもしかしたら100歳までお元気かもしれません。
ですから、節子に会うのはまだだいぶ先かもしれません。
でもMさんは、どうして突然にこんなメールをくれたのでしょうか。
今度お会いした時に訊ねてみますが、Mさんは節子以上に、「天然」なのです。
「天然」の人には特殊のアンテナがあります。
何かを感じたのでしょうか。
まさか節子がMさんにメールしたのではないでしょうね。

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