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2009/09/25

■節子への挽歌754:私が先に逝ったら節子はどうしただろうか

節子
昨夜、恒例の支え合いサロンを開きました。
支え合いながら暮らす生き方を取り戻したいという、コムケア活動の一環で、毎月やっているサロンです。
今回は、高崎市で「ゆいの家」を主催している高石さんをゲストにお呼びしました。
まさに私たちが目指している「結い」を掲げて活動されている人です。
その地道な活動に共感しています。

実は高石さんの伴侶も節子と同じくがんでした。
節子とほとんど同じような形で、がんと付き合い、同じように伴侶を残して先に旅立ってしまいました。
昨年12月のことです。
このことは、挽歌502:「父ちゃんが逝って1か月がたちました」で書きました。

高石さんを支えたのは、もしかしたら「ゆいの家」の活動だったのかもしれません。
久しぶりにお会いした高石さんは元気そうでした。
「父ちゃん」がいるときは、生活費の心配はすることなく社会活動ができたけれど、今度は少し自分で生活費を獲得しなければいけないというわけで、活動を少し見直そうとしています。
たしかに生活基盤がしっかりあっての活動と生活基盤を含めての活動では違ってきます。

私が先に逝ったら節子はどうしただろうかと、ふと思いました。
借金はもうそれほどありませんが、私がいなくなると収入はゼロ。
節子の年金は3万円程度でしたから、やってはいけません。
そう考えると女性たちの社会活動は男性の労働に支えられていることがよくわかります。
これはまたいつか時評編でしっかりと書きたいと思いますが、私が先に逝ったら、節子は路頭に迷ったかもしれないと一瞬思いました。
しかし、そんなことはないでしょうね。
女性の生活力は男性とは大違いですから。
でも、節子一人を残して先に行くとなったら、私としては、心配で心配で仕方がないでしょうね。
私のいない節子は、私には全く想像できないのです。
節子は本当に頼りない人でしたから。

と考えてきて、これはもしかしたら節子の思いだったのではないかと気づきました。
頼りない私を残して、先に逝った節子の不安が痛いほどよくわかります。
がんばらなければいけません。
女性の強さには勝てませんが、それなりにがんばって、節子を安心させなければいけません。
まあ安心はしないでしょうが。

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