« ■脱官僚への期待と危惧 | トップページ | ■節子への挽歌733:「今も節子さんは私たちをつないでくれています」 »

2009/09/03

■節子への挽歌732:とても私たちらしい3回忌になりました

今日は節子の3回忌です。
こうした法事は一般に命日よりも先行させるのが常識のようですが、まさに命日に当たる今日、3回忌を行うことにしました。
といっても、お寺でこじんまりと行ったのですが。
私はいつもの普段着で、つまりコットンパンツとTシャツで行きたかったのですが、みんなからそれだけは止めたほうがいいといわれて、仕方なく黒いスーツにしました。
節子は、私がTシャツで3回忌に臨んでも、きっと笑って喜んでくれたでしょう。
しかし、それを断行する勇気がなく、みんなのいうとおり、普通の3回忌になりました。

3回忌が始まる前に何人かの人がわが家に献花に来てくださいました。
本当はそういう人たちと一緒に、お茶でも飲みながら、節子を思いだすようなスタイルにしたかったのですが、やはりどこかでお寺で読経してもらわないと3回忌らしくないという思いが私の中にもまだあるのです。
節子なら私よりももっと思いきりよく、3回忌パーティにしたかもしれません。
節子は、そうした点では、私よりも決断力があったかもしれません。

午前中に来てくださったのは、横浜の野路さん、花かご会のみなさん、長沼さん、娘の友人のAさんです。
本当に節子は幸せ者だと、つくづく思います。
やはり節子には勝てそうもありません。
その話は改めてまた書かせてもらいます。

午後は宝蔵寺で3回忌をやってもらいました。
お墓に行ったら、すでに誰かが花を供えていてくださいました。
だれでしょうか。
思い当る人もいないわけではないのですが、誰かはわかりません。
でもそのお気持ちがとてもうれしくて、なんだか幸せになりました。

本堂での仏花にはバラとユリを使わせてもらいました。
節子の法事はいつも洋花中心なのです。
ジュンが花の担当ですが、バラは使えないという頭の固い花屋さんとうまく話し合って、いつもバラを入れさせてもらっています。

3回忌が終わった後、みなさんに自宅に来てもらい、ゆっくりと歓談させてもらいました。
その最中にも献花に来てくださる方がいて、私が思っていたスタイルにちょっと近づきました。
みなさんのおかげで、とても私たちらしい3回忌になったような気がします。

3回忌を過ぎると、節子の担当はいよいよ阿弥陀如来になるのだそうです。
節子の両親は阿弥陀信仰の浄土真宗です。
なんだかとてもホッとします。
節子は喜んでいるでしょう。
初めて節子にほめられた法事が実現できたような気がします。
2人の娘が、とてもがんばってくれたおかげです。

|

« ■脱官僚への期待と危惧 | トップページ | ■節子への挽歌733:「今も節子さんは私たちをつないでくれています」 »

妻への挽歌04」カテゴリの記事

コメント

節子さんの三回忌だったんですね。お会いしたことはないけれど、お祈りしようとして、
思わず「どうかそちらでもお健やかに」と・・・言ってしまった自分に驚きました。
なんだか私の中ではこちらもあちらも境目がないようです。節子さんがあちらでお花を
植えて、ニコニコしてらっしゃる感じがしたんです。。。。

節子さんが主人と同い年だったことが先日のブログで分かりました。酉年ということで。。
そして菩提寺の名前は一字違いなんですね!うちは「宝塔寺」です。
酉年ということで、思うのですが・・・・もちろんこういう運命は年齢に関係なく
起こるのでしょう。もっと若くしてという方、小さい子供がという方、ほんとにそれぞれの
悲しみははかりり知ることはできないのですが、節子さんも主人も人生をきっちりと生きて
きて、今までを総括して少し「おまけ」を頂くはずの年齢だったんですよね。子供も育てあげ
ました。友人も長い期間かけて関係を築いてきました。それで・・・・何も自分はその
恩恵(?ちょっと言葉が見つからなくて・・・ニュアンスが少し違いますが)を得ること
なく、いってしまった。こちらにいっぱいいっぱい残して・・・
その無念というか、悔しさというか、残念さというのが私たち残された者にはとてもとても
大きいのかもしれないと思います。

節子さんはご友人も多く、皆さんが節子さんを慕ってお集まりになる。それは、残された者に
とって、ほんとに心あたたまるものですよね。主人も沢山の仲間が色々な場面でおいで
下さいます。そして、私とも繋がって下さいます。ほんとにありがたいことだと。。
会社の同期の方たちの中に仕事に向かっていた主人をみることもあります。テニスの仲間には
気楽に走り回っていた主人を見ます。女性社員の方たちの中にちょっとおちゃめでかっこいい
主人をみます。私の中にも主人がいます。こうして、節子さんも主人も「今」を生きて
いるんだと思います。私は毎日お仏壇に向かって「主人がいつも私のそばにいて、私の中で
今を感じ一緒に過ごしてくれますように」と祈っています。

そばにいてくれる感じはします。でも・・・やっぱり、ここに姿を見せてほしいと思う
気持ちは変わりません。

投稿: 田淵 マサ子 | 2009/09/04 11:39

田淵さん

いつもいつもありがとうございます。
すべてが同じ思いです。

>自分はその恩恵を得ることなく

そう、これからだったのですよね。
私もそう思います。
それがとてもくやしいです。

投稿: 佐藤修 | 2009/09/05 20:56

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ■節子への挽歌732:とても私たちらしい3回忌になりました:

« ■脱官僚への期待と危惧 | トップページ | ■節子への挽歌733:「今も節子さんは私たちをつないでくれています」 »