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2009/09/12

■節子への挽歌741:節子の母の7回忌

節子
あなたのお母さんの幸江さんの7回忌で、滋賀に来ています。
節子がいないのが嘘のようです。
幸江さんが病気になった時に、節子も病気が発見され、なかなかお見舞いに行けませんでした。
節子はずっと遠く離れた関東に来ていましたので、母親が病気になったら実家に帰って親孝行したいと言っていました。
それなのに、自分が病気になってしまい、看病にいけなくなったことをとても嘆いていました。
節子が少し元気になった時に、家族みんなでお見舞いに行きました。
それからしばらくして幸江さんは旅立ちました。
節子には辛い体験でしたが、節子は健気に振舞っていました。

幸江さんは、節子以上にしっかりした人でした。
早く夫に死に別れ、苦労を重ねたはずです。
それでも自分をしっかりと生きた人でした。
私にも、山のようにたくさんの思い出があります。
節子がいなくなった今、もう語りあう相手はいなくなりましたが。

節子の実家は浄土真宗です。
ですから法事でもお経がとても長いのです。
しかし今回は1時間半ほどで終わりました。
ご住職も大病をされたのだそうです。
みんな歳をとっていくのです。
お経が終わった後、ご住職は「おばさん」の思い出を少し語ってくれました。
幸江さんは、ご住職の生まれた時から知っていますから、ご住職にとっては子どもの頃から頭の上がらない「おばさん」だったのです。
それもかなりきびしいおばさんだったのではないかと思います、
おばさんに叱られたり、喜んでもらったりと、住職は話されましたが、相手が住職であろうと誰であろうと、言うべきことはしっかりと言う人でした。
幸江さんは、とても「キャラクターの強い人」だったとみんなが話していました。
たしかにみんなにはそう映ったでしょう。
モダンな、都会的な発想をする人でした。
だからきっと私たちの結婚を親類の反対にもかかわらず許可してくれたのです。
私も、幸江さんには迷惑や心配をたくさんかけたのだろうと思います。
でも幸江さんは私が節子と結婚したことをいつも喜んでくれていました。
まあ、たぶん、ですが。

苦労した分だけ人は強くなりやさしくなるものです。
もっとも節子はそう苦労はしなかったにもかかわらず、幸江さんの血を継いでか、「言うべきことを言う」「きつい」人でした。
その性格は私と一緒に暮らす前からです。
私はそれにも少し惹かれていたのです。

そういえば、節子が帰省の度に顔を出していたお寺にも挨拶に行っていなかったことに気づきました。
お経が終わった後、住職ご夫妻に挨拶しました。
そのやりとりもいつか書けるかもしれません。
いいやりとりでした。

節子を見送った後、初めて会う人も少なくありませんでした。
みんなそれとなくいたわってくれました。
さりげないいたわり。
もしかしたら、法事とは死者のためではなく、生者のためのいたわりあいの場なのかもしれません。

節子は彼岸で幸江さんと楽しくやっているでしょうか。
こちらの法事も和気藹々と終わりました。

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