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2009/09/16

■節子への挽歌745:一人でいるよりも気楽な同伴者に恵まれたことの幸せ

節子
最近の異常な疲労感はどこからくるのでしょうか。
心身的な疲労感というよりも、脳の疲労という感じで、考える力が萎えているのです。
もっと正確にいうと、考える気にさえならないのです。
昨日、一人で浴槽につかりながら、なぜだろうかと考えるでもなく考えていました。

先々週の節子の3回忌から疲労感を感じていますが、
無事3回忌を超えたことが原因なのでしょうか。
先週、節子の生家の法事に行って、疲労感がまた高まりました。
さまざまな思いがどっと心身を襲ってきたのが原因でしょうか。
そうしたこと以外に、あまり理由が思いつきません。

この2週間、節子の友人知人さらには親戚の人たちとたくさん話しました。
節子がいないのに、節子の分まで考え話さなければいけない。
会話するのは私ですが、考えているのは(頭の中で内話しているのは)節子と私の2人なのです。
つまり私は、外と内とで同時に話しているわけです。
しかもその間、彼岸の節子につながっているわけですが、彼岸につながるのはかなりのエネルギーが必要なのです。

一人で生きるよりも、同伴者がいることのほうが、疲れません。
この疲れは、節子がいないせいであることは間違いありません。
一人のほうが気楽で、自分のペースで生きられるから疲れないという人がいるかもしれませんが、同伴者のための苦労は疲れても、疲れがいのある疲れです。
それに同伴者とシェアできるのです。
少なくとも私の場合は、節子が隣にいる方が気楽でした。
一人でいるよりも気楽な同伴者に恵まれたことの幸せに感謝しなければいけません。

気楽に生きるための支えだった節子がいなくなったので、私の人生は疲れるものになったのかもしれません。
同伴者の節子がいなくても疲れない生き方。
早くそれを見つけなければいけません。

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