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2009/10/12

■節子への挽歌771:お墓参りは誰のため

節子
適度に雲のある、さわやかな朝です。
久しぶりに、今日は出かけなければいけない用事が全くありません。
精神的にゆったりできそうです。
この数週間、心の余裕が少し損なわれていました。

節子がいた頃は、こんな日はどうしていたでしょうか。
もしかしたら、今日は筑波山にでも出かけていたかもしれません。
そういえば先週、お墓に行かなかったのでまずはお墓に行くことにしました。

毎週、お墓参りはしようと決めていたのですが、最近は隔週くらいになってしまいました。
まもなく月1回になってしまうのでしょうか。
最初思っていたのとは違い、だんだんと手を抜いていくようになりそうです。
毎朝の般若心経も、最近は時に簡略版になったり、光明真言で代替したりで、誠実さが欠けだしています。
まあこういうところに人間の本性が出てしまうのでしょうか。
節子は、私の本性をすべて知っていたでしょうから、こうなっても「やはりね」と笑っているだけでしょうが。

ところで、お墓参りは誰のためにするのでしょうか。
どうも節子のためではないようです。
自分のためです。
節子がいなくなった自分の心の穴を埋めるために、毎週行くことで心が静まっていたのです。
それが次第に、お墓参りに行かなくても耐えられるようになってきたのです。
そしていつかお彼岸やお盆だけになってしまうのかもしれません。
つまり、最初は「自分のため」だったのが、だんだんと「節子のため」になっていくわけです。

前に書きましたが、伴侶を失った悲しさは決して時は癒してくれないと思っていました。
最近、ちょっとその考えが揺らいでいます。
もちろん悲しさや寂しさは癒えることはありません。
それは未来永劫ないでしょう。
しかし、それにもかかわらず、心は立ち直っていきます。
そのことを「時が癒してくれる」と表現してもいいのかもしれません。
「時が癒してくれる」と言ってくれた方々に、むきになって、そんなことは絶対にありえません、と反発していた自分が、いささか恥ずかしいです。
素直に、そうですね、と気持ちよく受け容れておけばよかったです。
最近、ようやく、そういう心のゆとりができてきたように思います。
もちろん、心のどこかでは相変わらず反発している自分がいるのですが。

節子
これから娘たちと一緒に食事に行こうと思います。
誘ったらみんなめずらしくいいよというのです。
残念ながら、もちろん「私のために」しぶしぶ付き合うのでしょうが。

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