■節子への挽歌777:重荷を背負い合う人のいないことの重荷
節子
昨日は挽歌を書けませんでした。
書こうと思ったら朝に24日のイベントの関係者から呼び出しがあり、そのまま帰宅が夜になってしまいました。
いろいろあって疲れきってしまい、実はホームページのほうも更新できませんでした。
やはりどこかで生き方が間違いだしています。
節子がいる時と同じ生き方をしているつもりなのですが、バランスが崩れてきているのでしょうか。
バランスが崩れだすとどこまでも崩れだします。
今朝も出かける予定でしたが、約束していた人が突然の休暇で予定がキャンセルされました。
なんだか疲れてしまって、出かける元気を失いました。
まあそのおかげで、ホームページは簡単な更新ができました。
最近は節子の位牌に向かって、
「節子は苦労がなくていいね」
というのが口癖になってしまいました。
生きているとそれなりの苦労があります。
私の苦労などたいしたものではないでしょうが、まあそれでも本人にとっては結構の苦労です。
「重荷を背負い合って生きる」姿勢をみんなに呼びかけたのが、私が始めたコムケア活動でした。
最近は、その言葉をあまり使っていないのですが、重荷を背負い合うことの難しさは、節子がいなくなってから実感しだしています。
節子と一緒の時は、いつも背負い合っていたので、重荷の重さもまた絆を深めるものであり。なんの苦痛もありませんでした。
それに、お互いに、できれば相手の負担を軽くしようと自然と心身が動いていました。
しかし、そうした関係は普通にはかなり難しいようです。
できるだけ楽をしたいという気持ちが、最近は私の中にもかなり大きくなってきているような気もします。
一人で重荷を抱え込むことに、いささかの不安も生まれてきています。
人は一人では生きにくい。
そんな気がしていますが、これは私の世代までの話なのでしょうか。
わが家の娘たちは、まだ結婚していません。
はやく伴侶を見つけてほしいものです。
それが今の私の最大の重荷です。
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