« ■支え合いと思いやり | トップページ | ■節子への挽歌778:「節子に自慢したい」からがんばれた »

2009/10/19

■節子への挽歌777:重荷を背負い合う人のいないことの重荷

節子
昨日は挽歌を書けませんでした。
書こうと思ったら朝に24日のイベントの関係者から呼び出しがあり、そのまま帰宅が夜になってしまいました。
いろいろあって疲れきってしまい、実はホームページのほうも更新できませんでした。
やはりどこかで生き方が間違いだしています。
節子がいる時と同じ生き方をしているつもりなのですが、バランスが崩れてきているのでしょうか。

バランスが崩れだすとどこまでも崩れだします。
今朝も出かける予定でしたが、約束していた人が突然の休暇で予定がキャンセルされました。
なんだか疲れてしまって、出かける元気を失いました。
まあそのおかげで、ホームページは簡単な更新ができました。

最近は節子の位牌に向かって、
「節子は苦労がなくていいね」
というのが口癖になってしまいました。
生きているとそれなりの苦労があります。
私の苦労などたいしたものではないでしょうが、まあそれでも本人にとっては結構の苦労です。

「重荷を背負い合って生きる」姿勢をみんなに呼びかけたのが、私が始めたコムケア活動でした。
最近は、その言葉をあまり使っていないのですが、重荷を背負い合うことの難しさは、節子がいなくなってから実感しだしています。
節子と一緒の時は、いつも背負い合っていたので、重荷の重さもまた絆を深めるものであり。なんの苦痛もありませんでした。
それに、お互いに、できれば相手の負担を軽くしようと自然と心身が動いていました。
しかし、そうした関係は普通にはかなり難しいようです。
できるだけ楽をしたいという気持ちが、最近は私の中にもかなり大きくなってきているような気もします。
一人で重荷を抱え込むことに、いささかの不安も生まれてきています。

人は一人では生きにくい。
そんな気がしていますが、これは私の世代までの話なのでしょうか。
わが家の娘たちは、まだ結婚していません。
はやく伴侶を見つけてほしいものです。
それが今の私の最大の重荷です。


|

« ■支え合いと思いやり | トップページ | ■節子への挽歌778:「節子に自慢したい」からがんばれた »

妻への挽歌04」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ■節子への挽歌777:重荷を背負い合う人のいないことの重荷:

« ■支え合いと思いやり | トップページ | ■節子への挽歌778:「節子に自慢したい」からがんばれた »