■節子への挽歌760:掃除をしていないのが節子は気にいらないようです
節子の夢を見ました。
寝室の掃除をしてくれていました。
それも大掃除で、よくわからないのですが、寝室に水をまいてデッキブラシで大掃除です。
そういえば、節子がいなくなってから、寝室の掃除をあまりしていないのです。
ベッドはそのまま置いていますが、その上には私の衣服が乱雑に放置されがちです。
節子がはいていたスリッパもそのまま置かれています。
時々、入り口界隈だけ掃除機をかけますが、あまりていねいではありません。
ベッドだけは、娘がきちんとケアしてくれていますが、掃除機くらい自分でかけなければいけません。
節子が夢に出てきて、そう注意してくれたのかもしれません。
そういえば、湯島のオフィスもこの2年、2回しか掃除機をかけたことがありません。
集まりがあると、最近は節子がいないせいか、参加者がみんなで片付けてくれますので、散らかってはいないのですが、やはり節子に怒られそうです。
私の場合、伴侶がやってくれていたことの多くは、同居している娘たちがやってくれます。
ですから私の場合は、その後もなんの不自由もなく暮らせています。
しかし伴侶であればこそできたこともあります。
生活を共にしていることから感性も目線も同じくなり、見える世界が同じくなると、まさに「以心伝心」になるのです。
節子の掃除はあまりていねいとは言えませんでしたが、私の目線にはぴったりとあっていました。
とてもうれしくなるような隙間に、小さな花や小物が置かれていたりしていたからです。
私たちの空間は、私たち2人でつくっていたといっていいでしょう。
そしてそのことが一緒に生きる価値観を育てていたのかもしれません。
さて、節子の目線を思い出して、時間が寝室の掃除をしましょう。
湯島の掃除もしましょう。
掃除をしないと、また夢で節子と会えるかもしれませんが、夢の中で掃除の手伝いをさせられるのはあんまりうれしくありませんね。
せめて夢の中で会えるのであれば、もっと楽しい出会いにしたいものです。
さて今度はどんな夢を見るでしょうか。
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