■節子への挽歌775:「もう逝きたいんだよ」
節子
節子も知っているKさんからメールが来ました。
一昨年に親父が他界しました。Kさんには許可もなく、長々と引用してしまいました。
健常者と言えるほどに元気ではありませんでしたが、入院している訳でもなく。
ただ、88歳ですから、足腰は弱くなり、循環器系に爆弾も抱えていたので、
クスリは常飲しなければならない状態でした。
小生の「歩かないと、どんどんダメになる」に従っていたのか、
老体にムチ打つようにして、毎日の散歩を欠かさなかった。
土日は小生がその散歩に毎回一緒していましたが、
逝去する半年ぐらい前から、親父は「もう逝きたいんだよ」と毎回のようにこぼしていました。
どんどん身体が弱くなっている自分を感じては居たのでしょうが、
その理由はどのようなものだったのか・・・。
そして突然の死。
死後まもなくして、何故か気になったので、
親父が毎月1ヵ月分のクスリを受け取っていた薬局に行き、
「最後に来たのはいつですか?」と尋ねると、一ヶ月半前の由。
「もしかして、半ば覚悟の自然死かぁ?」と思いました。
時折、思い起こしては忸怩たるものを覚えます。
「親父」さんの気持ちが、とてもよくわかるような気がします。
そして、節子もそうだったのかもしれないと思いました。
節子はまだかなり元気な時から、自分のことは自分でよくわかるの、と言っていました。
私はその言葉をいつも真正面から否定していました。
今から考えると節子は私にもわかってほしかったのかもしれません。
しかし私は、自分の人生は自分で変えていくという考えの持ち主だったのです。
節子の人生も、一緒に変えられると確信していたのです。
その小賢しさ、思いあがりが、もしかしたら、節子にはさびしかったのかもしれません。
4年半の闘病生活の中で、一度だけ、節子は寂しそうな目で私を見たことがあります。
その表情が、今も忘れられません。
いつもはとてもやさしい目で、どんなに悲しそうでも、その底に私への信頼を感じさせましたが、その一瞬だけはそのやさしさは感じられなかったのです。
私は、思わず目をそらしてしまったのです。
たくさんの「やさしい目」よりも、そのたった1回だけの「さびしそうな目」が、いつも私の脳裏に焼きついています。
Kさんからのメールを見て、節子が私たちのためにがんばってくれていたことを、改めて確信しました。
そのことは感じてはいたのですが、信じたくはなかった。
何と身勝手だったことでしょう。
節子、気がつかずにほんとうにごめんなさい。
Kさんと同じく、あの目を思い出すと心が萎えてしまいます。
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