■節子への挽歌789:不思議な生き方
節子
小学校の同窓生から
「お前の生き方は不思議だ」
というメールが届きました。
たしかに最近、自分でも少し不思議な生き方をしているなと思うことがあります。
節子がいた頃は、そんなことを思ったこともありません。
しかし最近はやはりちょっとそう思うようになりました。
節子と最初に2人だけの時間を過ごしたのは、奈良の散策でした。
電車で偶然に会い、そこで2人で奈良に行こうと決めたのです。
あれがすべての始まりでした。
奈良での散策中、何を話したのか覚えていませんが、初めてだったのにとても話が弾みました。
おそらく私が次から次へと話をしたのでしょう。
節子は聴き上手だったわけです。
興福寺から春日大社を経て、東大寺に向かう道は、私には何回も通った、思いのある道でした。
その一つひとつを、おそらく知ったかぶって、面白おかしく話したのでしょう。
たぶん時空を超えた壮大な物語を基調にしたはずです。
当時、私はタイムパトロールもののSFにはまっていたような気がします。
節子は、その不思議な世界に、たぶん「魅了」されたのです。
「修さんの話はどこまで本当なのか、わからない」
これが帰りの電車の中での節子の言葉だったのを覚えています。
すべてが真実であり、全てが嘘である。
言葉は信ずればすべて真実であり、信じなければすべて嘘。
とまあ、おそらくこんな言葉を私は返したはずです。
理解できないものには、人は魅力を感じます。
おそらくそれが、節子が私と結婚してしまった理由です。
もう少し「賢い人」は、理解できないことを疑いだします。
そして「不安」を抱きだします。
そうなると結婚などできなくなるでしょう。
しかし幸か不幸か、節子はそれほど「賢くなかった」のです。
それに人を疑うなどということを知らない素直な子どもだったのです。
そして、幸いなことに、実は私もまた、あんまり「賢くなかった」のです。
賢い人は、相手を騙すことを思いつきますが、当時の私にはそんな「賢さ」はまだなかったのです。
そして、自分の言葉に、自分自身が騙されてしまっていたのです。
そんなわけで、今から考えると、とても「不思議な生き方の夫婦」がスタートしたのです。
節子がいる時には、その不思議な生活は完結していましたが、いなくなった今、その不思議さが自覚できるようになってきました。
やはり、私たちはちょっとおかしかったのです。
その「おかしさ」に、私自身いまなお魅了されているために、なかなかそこら抜け出られません。
この生き方でこれからもいくのでしょうが、相棒がいないまま続けられるのかどうか、最近ちょっと不安がないわけでもありません。
でもまあ、生き方を変えることはできないでしょうし、そのつもりもありません。
唯一の希望は、節子がふっと戻ってきてくれることです。
そう信ずれば、真実になるはずなのですが。
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