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2009/10/15

■節子への挽歌774:鰯の頭も、信心から

節子
最近また不安に襲われてしまうことが増えてきました。
誰かに会っていても、気になりだすと、平静を保つのがやっとです。
夜に目が覚めると心配で眠れなくなります。
私の生き方は無計画で思いつき型でしたから、こういうことはよくありました。
たぶん多くの友人知人には思いも寄らないことでしょうが。

こういう時の特効薬は、節子の「うまくいくわよ」という一言でした。
萎えそうになる私の心を元気にしてくれました。
私のおまじないは、「いざとなったら節子が解決してくれる」というものでした。
それは全く根拠のないおまじないでしたが、そう思うとなぜか心が落ち着きました。
どんな結果になっても、節子が私の思いや取り組みを知っていてくれるというのが、まあひとつの理由ではあったのですが。
自分を心底知っていて、無条件の信頼を置いてくれる人がいると、人をものすごく強くなれます。
私が、無謀な挑戦を気楽にやってきたのは、節子のおかげだったのです。
まあ、節子は、「ただそこにいた」だけなのですが。
つまり、「鰯の頭も、信心から」なのです。はい。

昨日も2人の人が湯島にやってきました。
それぞれ久しぶりに訪ねてきてくれたのですが、特に用事があるわけではありません。
湯島に来る人の多くは、ただ単に私と雑談をしにくるのです。
たまには用事のある人もいますが、用事はまあ口実であることも少なくありません。

いつもなら楽しく話せるのですが、話している途中に、心に突然心配事が襲ってきたのです。
10月24日に「自殺のない社会を目指した集まり」をやるのですが、その参加申込者が集まらないのです。
150人定員で、いま正式申し込みは10人程度です。
集まりの開催の責任者は私なのです。
これって、少し不安ですよね。
その上、その集まりの準備があんまりできていないのです。
少しどころかかなり「やばい」のではないだろうか。
久しぶりに友人と話していて、なぜかその不安が心に湧いてきたのです。
こんなにのんきに世間話をしている時じゃないのではないか。
そう思いだすと心に不安が高まります。
それを相手に気取られないように、ますますゆったりしようとする。
まあ、私もかなり小心者の見栄っ張りなのかもしれません。
高まる不安、それを感じさせない努力、汗さえ出てくる、あまり心身によくありません。

こういう時には、帰宅して節子に声をかけてもらうと安心するのですが、その節子はもういません。
でも、帰宅して節子の位牌に祈願したら、少し落ち着きました。
そしてメールをチェックしたら、知人が3人で申し込んでくれていました。
早速の効用?です。
鰯の頭よりも、位牌のほうが効用がありそうです。

そんなわけで、みなさん、10月24日の集まりにお時間があれば、お越しください。
会のタイトルには「自殺」とありますが、要は、私たちの生き方や社会のあり方を考え直そうということを目指した集まりなのです。

挽歌の記事にしては相応しくないですね。
でもまあ、節子は許してくれるでしょう。
節子の影響もあって始めてしまったプロジェクトですので。

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