« ■「1人だったらダメだった。3人だから生きられた」 | トップページ | ■近くのスーパーの閉店 »

2009/10/31

■節子への挽歌790:昇る太陽と沈む太陽

昨日、この挽歌を読んでくださっている方が訪ねてきてくれました。
初対面の方ですが、開口一番、「よろよろですね」といわれました。
自分ではいつもそんな意識はないのですが、やはり見える人にはそう見えるのでしょうか。

対照的なのですが、その人の前にやってきたのが、ベンチャー企業の若手経営者でした。
最近はどうも元気が出なくてね、と話したら、「部屋に入ってきた途端に佐藤さんのエネルギーを感じましたよ」と言いました。

よろよろの私、エネルギーを発している私。
同じ私なのに、外部から見える私はどうもさまざまなようです。

先日、日の出と夕陽のことを書きましたが、そのことを思い出しました。
昇る太陽を見ていると元気が出てきます。
しかし、沈む太陽を見ていると寂しく哀しい気分になってきます。
同じ太陽なのに、どうしてでしょうか。
同じ私も、その両面があるのでしょうか。

元気な朝日と寂しい夕陽があればこそ、太陽は太陽です。
昇りつづけてばかりいたら、太陽はどこか遠くに行ってしまいます。
時に元気に、時に哀しく。
元気と哀しさはセットのものなのだ、と最近、思うようになりました。
哀しさを知らない人にはたぶん元気はわからないのではないか。
元気を知らない人は、哀しさなど味わうことはないのではないか。
元気と哀しさは、幸福と不幸がそうであるように、隣り合わせているのです。

昨日は4組、6人の人が湯島に来てくれました。
昔に戻ったような気がしないでもありませんが、明らかに違うことがあります。
どうもうまく対応できないのです。
特に初対面の方には、うまく対応できません。
やはり、その人が見透かしたように、「よろよろ」なのかもしれません。
その方と別れた後、そんな気がしてきました。

でもまあ、沈んだ太陽もまた昇ってきます。
昇った太陽がまた沈むように。
よろよろ生きるのもいいかもしれません。

|

« ■「1人だったらダメだった。3人だから生きられた」 | トップページ | ■近くのスーパーの閉店 »

妻への挽歌04」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ■節子への挽歌790:昇る太陽と沈む太陽:

« ■「1人だったらダメだった。3人だから生きられた」 | トップページ | ■近くのスーパーの閉店 »