■節子への挽歌770:友人知人の世界も変わってきているような気がします
節子
湯河原のことを書いたら、湯河原に関わりのある読者から、湯河原の珈琲屋さんなどの紹介も兼ねたメールをいただきました。
宇治の天ヶ瀬ダムのことを書いたら、これも2人の方からメールをいただきました。
挽歌を読んでいてくださる方がいるのはとてもうれしいことです。
会ったこともないのに節子のことを、私たちのことを、知っていてくれる人がいる。
人のつながりは、こうしてどんどんと広がっていくのでしょう。
挽歌を読んでくれている人は、お会いしたこともない人でもなぜか親近感を持ってしまいます。
私の心の奥底まで知っていてくれるような安心感があるのです。
自分のことを知っていてくれる人がいると、人は安心できるものです。
もしかしたら、この挽歌は、そうした私の悲鳴のようなものなのかもしれません。
ところで、最近、私が付き合っている人たちが大きく変わってしまっているような気がします。
なぜでしょうか。
節子のいない私は、以前とは違うのかもしれません。
だからきっと友人知人が変わってきているのでしょう。
自分では、何も変わっていないと思うのですが、先日も書いたように心から笑うこともなくなりましたし、もしかしたら「付き合いにくい存在」になっているのかもしれません。
それだけではありません。
確信は持てませんが、節子がいなくなってから、私の内部に「節子的な要素」が大きくなっているような気がするのです。
うまく意識化できませんが、自分の心の中で、何かが変わってきているように思います。
節子だったらこうするだろうなというような意識の反復が、根づいてしまったのかもしれません。
どうも「修的」な友人よりも「節子的」な友人が増えているように思えてなりません。
これは、しかし、思い過ごしかもしれません。
友人知人が変われば、当然のことながら、私もまた変わっていくはずです。
人は、周りの人との関係性の中でアイデンティティを育てていくからです。
そう考えていくと、変わったことがいろいろとあります。
人は伴侶によって人生を変えていきます。
同じように、伴侶がいなくなると、人生はさらに大きく変わります。
これからどう変わっていくのでしょうか。
もう少し流れに身をまかせたいと思っています。
| 固定リンク
「妻への挽歌04」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌800:レインボーブリッジの夜景を見ながら思ったこと(2009.11.10)
- ■節子への挽歌799:脱余生考(2009.11.09)
- ■節子への挽歌798:節子の寝顔ももうありません(2009.11.08)
- ■節子への挽歌797:ラ・フランス(2009.11.07)
コメント