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2009/10/08

■忙しいと暇になれる

最近、時評が書けていません。
心に余裕がないと、時評も書けないことがわかってきました。
最強の支配原理は、忙しい状況をつくればいいことがよくわかります。
昨今の日本は、いたるところで、忙しさが蔓延していますが、それはこうしたことと無縁ではないでしょう。

最近、私自身もかなり忙しくなっているのです。
恥ずかしい限りです。
忙しさを口にするのは恥ずかしいことです。
しかし、忙しい人は、「心を失っています」から恥ずかしいなどとは思わないようです。
私にはまだ恥ずかしいという気が残っていますが。

忙しいとどうなるか。
なにか気になることがあっても、まあいいかということになります。
なにしろ忙しいのですから、考えている暇はありません。
そうして無関心の世界が増えていきます。
そして、いろんなことが気にならなくなります。
余計なことを考えなくてすみますので、忙しさも緩和されます。
なにしろただ目の前の与えられたことだけをやっていればいいのですから。
自分であれこれ考える必要はありません。
つまり「忙しい」と「暇」になれるのです。
「忙しいと暇になる」
これは目からうろこが落ちるほどの大発見です。
そう思いませんか。

要するに、忙しい人はみんな暇だということです。
こんなことを書いているお前はよほど暇だなと怒られそうですが、
それがまさにこの大発見が正しいということなのです。

久しぶりの時評がこれでは困ったものです。
でもまあ、この数日、暇だった、いや忙しかったものですから。
読んでいるみなさんもきっと暇ですよね、いや忙しいですよね。
なにしろ忙しい時代ですから。

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