■節子への挽歌762:「空の青さの、あまりの深さに、思わず死んでしまった」
節子
今日はとてもよい天気です。
ホテルから緑が遠くまで続いており、遠くには秩父連山の山並みがはっきりと見えています。
うるさいほどの鳥の声です。
節子も知っているように、私は空を見ているのが好きです。
湯島のオフィスから見る東京の空もなかなかよかったです。
「智恵子は東京に空が無いという」とは、高村光太郎が書いた「あどけない話」の書き出しです。
智恵子にとっては、阿多多羅山の山の上の空が本当の空であり、たぶん、東京の空の向こうに阿多多羅の空を見ていたのでしょう。
実は、私もほぼ同じような感覚で、東京の空の向こうに、節子と一緒に見たエジプトの空を見ていました。
地球を覆っている空を見ていると、世界中の空が見えてくるのです。
千畳敷カールを歩いてからは、その空がエジプトの空に変わりました。
彼岸にもし、空があるのであれば、この空ともつながっているでしょう。
学生の頃、書いた詩に
空の青さの、あまりの深さに、思わず死んでしまったという1行詩があります。
かなり気にいっていた詩だったのですが、節子はなんの共感も持たなかったので、以来、忘れていました。
今日の空の青さはあんまり深くないので、この詩の気分にはならないのですが、なぜか数十年ぶりに思い出しました。
この頃の「死」は、どちらかといえば、「生」と同義語でした。
そんな気がします。
死んでもいいほどの生の躍動。
空は、人の心を揺さぶります。
この空の向こうはどこにつながっているのでしょうか。
彼岸でしょうか。未来でしょうか。
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