■節子への挽歌786:久しぶりに三沢
節子
今日は青森県の三沢に来ています。
3年ぶりの東北です。
途中、東北の秋の風景がとても美しく、気持ちが和むと同時に、いつものことながら、節子がいたらどんなに喜ぶだろうという思いが次から次へと浮かんできました。
三沢に来たのは、ここで町を花でいっぱいにしようと活動している人たちに久しぶりに会いたかったからです。
三沢に関わりだしたのは、節子が元気になってきて、治る確信を持てた頃です。
花いっぱい活動のアドバイザーを頼まれたのですが、いつか節子と行きたいという思いで引き受けました。
節子は、我孫子で花かご会を結成し活動していましたので、節子の世界ともつながれるという思いもありました。
ところが関わりだしてからしばらくして、節子のがんが再発。
引き受けたのを後悔しましたが、それからも2回ほど寄せていただき、何とか住民たちの手づくりフォーラムが実現しました。
とても感動的な集まりでした。
私が三沢に来たのは、それが最後です。
この挽歌を書き出してからしばらくして、三沢での活動の中心になっていたSさんから、投稿がありました。
この挽歌を読んでくれていたのです。
そこからまたささやかなつながりが始まりました。
先日、花いっぱい活動の新聞ができたといって送ってきてくれました。
私は各地のまちづくり支援にも関わってきましたが、どこにもSさんのような人がいます。
一昨日の谷和原の横田さんも、その一つです。
私の仕事のやり方は、ともかく人と人の関係を生み出すことを基本にしています。
金銭的な契約には終わりはありますが、一度、生まれた人のつながりは決して消えることはありません。
「金の切れ目が縁のはじまり」
これが私の信条です。
お金は人を切り離しますが、お金がなければ、人はつながらざるを得ないのです。
元気になったら一緒に行くという節子との約束は実現できませんでした。
だからもう二度と来ることはないだろうと思っていたのですが、最近、無性に以前のことが思い出されて、ついに来てしまいました。
佐世保にも、北九州にも、山口にも、行きたい気分が高まってきました。
節子がいた頃の世界に、戻りたいという思いが、私のどこかに生まれてきているのかもしれません。
明日、三沢で花づくり活動に取り組んでいる人たちと会う予定です。
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