■節子への挽歌788:手抜き観音
忙しさにかまけてお墓参りに行きそびれていました。
花が好きだった節子に、やはり毎週、花を届けなければいけません。
自宅の節子の位牌の前や庭の献花台にはいつも花がありますが、お墓はちょっと気を許すとすぐに枯れた花になってしまいます。
まあ節子のことだから、そんなことでは決して怒りはしないのですが、なんとなく自分自身、落ち着きません。
お墓でも般若心経をあげさせてもらうようになりました。
昔は誰かがそばにいたら、声を出せませんでしたが、今では声が出るようになりました。
何回も読経していると、その意味がわかってくるという人もいますが、そんなことはありません。
般若心経の解説書は昔何冊か読みましたが、その内容も忘れてしまい、今はなにやらわからない言葉の羅列でしかありません。
読書百遍、義自ずからあらわる、などと言うことは、私の場合には全くありません。
しかし不思議なことに、それを唱えていると、なんだか節子との心のパイプが通じているような気になるのです。
父を亡くした後、母は毎日、仏壇の前で読経していました。
私は一度も並んで読経したことはありませんでした。
今から考えると親不孝な息子でした。
私は子どもの頃から「権威」や「形式」に対して、素直になれないところがありました。
今から考えるとおかしな話ですが、当時はお経さえもが私には「権威」であり「形式」だったのです。
その私が、毎朝、読経するようになったのです。
節子はどう思っているでしょうか。
節子が教えてくれたことは山のようにたくさんあります。
節子は教えようなどとは全く思ってもいなかったでしょう。
ただただ私と一緒に素直に生きていた。
もしかしたら、般若心経の心は節子から学んでいるのかもしれません。
笑われそうですが、この頃、なぜか節子が観音様だったのではないかと思うことがあるのです。
私を救うために、西方浄土からやってきてくれた。
そしてもう後は大丈夫だと思って、また西方浄土に戻っていった。
そんな気がしないでもないのです。
もしそうだとしたら、ちょっと帰るのが早かったような気がします。
手抜き観音様です。
まあ、節子らしい観音ではありますが、ちゃんと見送る最後まで、仕事はきちんとやってもらわないと困ります。
まあ、節子らしい観音様というべきですが。
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