■ウイグル暴動の決着のつけ方
先日のウイグル暴動の引き金となった事件の裁判で、ウイグル族2人を集団で殴って死亡させたとして、傷害致死などの罪に問われた漢族の被告の一人が死刑判決を受けたという報道がありました。
小さな記事ですが、いろいろなことを考えさせられます。
処罰の対象は、ウイグル族ではなく漢族です。
何だか政治的意図を感じます。
そして判決は「死刑」。
傷害致死で死刑というのはちょっと過重な気もします。
ウイグル暴動について詳しく知っているわけではないので、判決の妥当性などは全く評価できませんが、なにやら国家との本質を感じます。
国家の本質は「カネと暴力」というのは、いささか不謹慎かもしれませんが、先日読んだ、萱野稔人さんの「カネと暴力の系譜学」をついつい思い出してしまいました。
萱野さんは、こう書いています。
「法に違反するということは、もともとはといえば、法を制定し布告する人間への挑戦を意味している。いいかえるなら、法は、それを制定した人間の意志や人格と切り離せない」
王国の場合、違法行為は正義への挑戦ではなく、国王への挑戦なのです。
そのため、見せしめのための公開処刑が行われた時代もありました。
国民主権国家の場合の違法行為は、やはり正義への挑戦ではなく、秩序への挑戦です。
しかし実際には、時の権力者への挑戦になるわけです。
新疆の自治区を抱え込んでいる中国の国家原理は、早晩、破綻するのではないかと思いますが、この判決の行方にはちょっと興味があります。
国家のあり方を考える上でいろんなことを気づかせてくれるような気がします。
「死刑」ということの意味を考える上でも示唆に富む判決です。
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