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2009/10/26

■節子への挽歌785:久しぶりに節子とゆっくりと過ごしています

節子
今日は久しぶりにゆったりした気分の時間を過ごしています。
この半年、取り組んでいた「自殺のない社会づくりネットワーク・ささえあい」をなんとかスタートさせることができました。
節子の顔を思い出しながら取り組んできたこのプロジェクトも、もう大丈夫でしょう。
後は、代表と事務局長に任せる予定です。
私はいないほうがいいでしょう。
なにしろ私の発想はいささか脱落していますから、真ん中にいるとこの活動は広がらない可能性が強いです。
人にはそれぞれの役割があるものです。
それに私は問題が見えてくると、もう退屈で仕方がないのです。
問題は創るのは面白いですが、解くのは退屈です。

節子も知っているように、私は新しいプロジェクトを起こすのは好きですが、それがうまくいけば、後は私の役割ではないと思うタイプです。
唯一の例外はコムケア活動ですが、これは本来、事務局長の存在を極力なくしていくという思想のもとにやっていますから、持続しています。
それにコムケア活動はほとんど私の日常行動と重なっていますから。
そのモデルは、節子と私の生き方だったのです。

今日は、これから2つの委員会があります。
介護保険の関係と企業の人材育成の関係です。
全く別のテーマですが、こうしたさまざまなテーマに関わるのが、もう一つの私の生き方です。
これも節子は理解してくれていましたが、私の世界の理解の枠組みはたぶん普通の分類基準ではないのです。
ですから介護と企業経営が私の内部では何の違和感もなくつながっています。

私と一緒にオフィスを始め、次から次へとやってくる人との話を横で聴いていた節子は、最初よく言っていました。
何で全く違うテーマをそんなに簡単に切り替えられるのだろう、と。
しかし、そのうちにそんなことは言わなくなりました。
そもそも家庭や家族の生活を切り盛りしている主婦の日常には、さまざまな種類の問題が無秩序に襲ってくるのです。
いえ、それが「生活」というものです。
そのことに気づけば、すべての話題や課題がすべてつながっていることに気がつくはずです。
専門家や企業の経営者の世界など、主婦の生活に比べたら単純な、それこそサルでもできる単純な世界です。
だからこそみんな難しい言葉を使って、話を難しくしているだけです。
自分をしっかり生きている人に比べたら、極めて単純な世界なのです。
そうした退屈な世界で生きていくように仕込んでいくのが学校教育なのかもしれません。
一番骨抜きできる仕組みを完成した有名大学卒業生が官僚や経営者になって、がんばってくれているので、私たちは、その気になれば豊かな生活ができるのです。
でもほとんどの人は、そうした生活を望まずに、苦労しているようにも思いますが。

いやはやとんでもないことを書いてしまいました。
久しぶりにゆったりして、節子と話しているような気分になってしまったのです。
節子とはこうした話をよくしました。
節子は、こうした私の「非常識」な発想と言動をいつも好意的に聞き流していましたが、きっとその意味を理解してくれていたと思います。
そうでなければ、私のわがままの生き方を評価はしてくれなかったはずです。
そうですよね、節子さん。
それが、私の人生に弾みをつけてくれたような気がします。

人は伴侶によって、生き方を変えるものです。
私は、節子と結婚することで、思い切り私らしい世界を生きることができたような気がします。

久しぶりに今日は湯島で2時間ほど、一人でぼんやりしながら、節子のことを思うでもなく思っていました。
節子ほどの女房はいなかった、とつくづく思います。
そのめぐり合わせに感謝しなければいけません。

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