■節子への挽歌766:「死んだらあかん、死なせたらあかん」
節子
昨日に続いて、東尋坊の茂さんたちと一緒に、自殺が多発する場所を回っていますが、今日は青木が原樹海に行きました。
ここではいま、山梨県の渡邊さんを中心にして、「自殺の場所」から「元気をもらう場所」に転換しようという取り組みを進めています。
私たちが取り組んでいる自殺のない社会づくりネットワークと方向は同じです、
渡邊さんには半年前にもお会いしましたが、順調に進んでいるようです。
ところで、東尋坊の茂さんがいつもいうのは、次のような言葉です。
死んだらあかん、周りの人がどんなに辛い思いをするか。実は、茂さんのこうした言葉は、節子を見送った直後の私には辛い言葉でした。
死なせたらあかん、死に向かっている人を放っておくのは不作為の犯罪だ。
私と節子が責められている気さえしたからです。
しかし、その一方で、その言葉に込められた意味には心から共感できます。
節子を通して、人のいのちが、あるいは「生きていること」が、どんなに深くつながっているか、支え合っているか、それを毎日、実感させられています。
茂さんたちと話していて、なぜこの問題にこんなに関わってきているのだろうかと、ふと思いました。
節子のことがなければ、たぶん、これほどにはコミットしなかったでしょう。
節子との体験がなかったら、茂さんとの接点もこれほどまでにはならなかったでしょう。
節子が後から押しているのかもしれません。
しかし、時々、急に立ち止まりたくなることがあるのはなぜでしょうか。
人の生死に関わることの難しさを、いつも感じています。
こういう時こそ、節子の支えがほしいです。
節子は、時に考えすぎてしまって動けなくなってしまう私に、救いの手を差し伸べてくれましたから。
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