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2009年11月

2009/11/30

■葛飾政党ビラ配布事件判決と「表現の自由」問題

政党のビラを配るためにマンションに立ち入ることは住居侵入罪にあたるかどうかで、最高裁に上告されていた「葛飾政党ビラ配布事件」の最高裁判決は、有罪になりました。
最高裁は弁論を開かずに判決言い渡しを決めていたのですが、やはり思ったとおりの判決でした。司法の流れはいまだ変わっていません。
飼い主が変わったことに気づかないのか、それとも変わっていないのか、わかりませんが、どう考えてもおかしな判決です。
少し前までは一向にお咎めがない行為が、ある時から犯罪として摘発されて有罪になるのは、司法の主体性が確立されていないことの証左ですが、最近は裁判官もまた正義ではなく金と権力にまみれていることの結果でもあります。
裁判官は正義の人と思っている人は少なくないでしょうが、正義をまとっている人ほど悪人はいないのです。
もちろんな正義に取り組む裁判官は決して少なくありませんが、この判決は、私が法学部で学んだ法理論からしてもおかしいです。
そもそも昨今の専門家は勉強をしていませんから(つまり資格で仕事をしていますから)、仕方がありません。

しかし問題はもっと深いような気がします。
こうした訴訟で取り上げられるのは、いつも、共産党なのです。
相変わらず日本では「共産党」は非合法の政党なのでしょうか。
ビラ配布事件で、自民党が起訴されたことはあるのでしょうか。
いまでも「共産党」に恐怖感をもっている同世代人は決して少なくありません。
みんなまじめな勉強家だったのです。
みなさんはどうですか。

今日、わが家に来客がありました。
その人は自民党支持派で、今の政権に大きな反発を持っています。
政治の話になるといつも大喧嘩になりますので、最近はお互いに政治の話はしないようにしていますが、その人の評価は、このブログで書いている私の意見とは完全に反対なのです。
まあ東大の総長やノーベル賞受賞者の意見に共感していますし、鳩山首相は資金問題に責任をとって自認すべきだと思っているようです。

この時評にも見ず知らずの人から私の考えを批判するコメントをもらいましたが、まあその人が言うように、みんな「色眼鏡」をかけてみているのでしょう。
みんな「精神病院」に行くのがいいかもしれませんが、まあ社会全体が最近は精神病棟のようなものですから、行かなくても大丈夫でしょう。

あれ、話題が変わりましたね。
やはり精神病なのかもしれませんね。
困ったものです。

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■節子への挽歌820:節子はいったいなんだったのだろうか

節子
最近また自己嫌悪に陥りだしています。
まだ精神が安定していないのかもしれません。

まえに「出家」のことを書きました。
私には出家の覚悟も気持ちもないのですが、コメントくださった読者の方と同じく、そんな気分で生きようという思いがあるにもかかわらず、いろいろな人から相談が持ち込まれると、ついついその気になって俗事に関わってしまうことに、なんともいえない「やりきれなさ」を感じることがあるのです。
節子よりも相談に応じることのほうを選んでしまう自分が、なにやら偽善者に思えてしまうといってもいいでしょう。
ほんとうは、節子よりも自分が大事なのではないか。

愛する人に先立たれ、なお生きている自分にも、いささかの嫌悪感があります。
嫌悪感というよりも、なにかそのことがとても奇妙なのです。
節子がいないと生きていけない、などといっていた自分は、いったい何だったのか。

そうした私のことを一番よく理解し、「それでいいのよ」といってくれるはずの節子がいないことで、そうした迷いは解消されることはありません。
節子以外の人から、「それでいいのだ」などと言われると、全く逆効果で、それこそ蹴飛ばしたくさえなるのですから、困ったものです。

節子はいったいなんだったのだろうか、と思うこともあります。
これもなかなかわかってもらえない「問い」だと思いますが、最近、時々そうしたことが気になりだしています。
節子と一緒に暮らしたことが、最近、奇妙に現実感をなくしてきていることもあります。
節子はいったいなんだったのか。
ほんとうに現実だったのだろうか。
親鸞が夢見た如来ではなかったのか。
私に生きる意味を与えてくれるために、私の前に現れた如来。
そんな気さえするのです。

しかし、節子と一緒に暮らした日々を思い出すと、反省だけが思い出されます。
そこに登場するのは、いつも嫌悪したくなるような自分です。
節子を幸せにできなかったという責めからは、どうあがいても抜け出せませんが、その落し穴に落ちてしまうと、なかなか立ち直れません。

特に今日のようにどんよりした日には、心が萎えてきます。
このまま世界が終わってしまえばいいのに、などと思ってしまい、ますます自己嫌悪に陥ってしまうのです。
人を愛するということは、もしかしたら、とても哀しいことなのかもしれません。

しかし、節子はいったい何だったのでしょうか。

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2009/11/29

■なぜ飢饉が起こるのか

アマルティア・センは、インドの実態を克明に調査した結論として、飢饉は、利用可能な食物が社会的に不足していたためというよりも、合法的・合理的に取得できる財の範囲が極端に狭まったことが最も主要な原因だったと考えました。
そこから、彼の主要な経済や政治を見る概念が生まれてきたわけです。
思い込みを捨てると、全く違った風景が見えてくるということです。

日本の今の状況は、もしかしたらセンの指摘するような「飢饉状況」なのではないかと、最近、思うようになりました。
物財もお金も住居も、ありあまるほどある。
にもかかわらず、ホームレスや生活苦が発生しているのです。
センの議論からもっと学ばなければいけません。

日本の国家財政の赤字は巨額になっており、国民一人当たりにすると700万円を超えているそうです。
自治体財政まで含めると、さらに大きくなります。
そうしたなかで、もうこれ以上、借金を増やすべきではないという議論が多いです。
しかし、そうした議論は、お金を価値基準にしている人の発想かもしれません。

お金は私たちみんなの生活を良くするための手段です。
センの議論につなげれば、世の中にあり余っている財の合法的・合理的な活用につなげていくための手段だと考えれば、違った風景が見えてきます。

それに国家が巨額な借金をしているとして、私にはなんの不都合も感じません。
統計的には3人家族のわが家では2000万円の借金をしているということになるのでしょうが、そんな実感はありません。
お金がもっとあれば、マニフェストが実現でき、みんなの暮らしが良くなるのであれば、この際、無限にお金を増刷して100兆円程度の財政出動をしたらどうでしょうか。
おそらくインフレが起こり、円安が進行し、多くの人たちの借金は解消されるでしょう。
そんなことになったら大変だと専門家は言うでしょう。
でも何が大変なのでしょうか。
そうした変化が一挙に来たら経済や社会は混乱しますから、確かに大変です。
しかしそれを10年かけてやれば、どうでしょうか。

そんなに借金して将来世代に申し訳ないという意見もあるでしょう。
でも、たかが紙幣です。
ダムや高速道路を造るために自然を壊したら、将来世代には影響を与えるでしょうが、紙幣をどんなに増刷したところで、なんの影響があるというのでしょうか。
お金は単なる紙でしかないのです。
大切なのは、その意味と使い方です。

相変わらずの暴論ですが、そろそろお金信仰の呪縛から抜け出ないといけません。
もっとも、私が一番良いと思うのは、全ての借金を無効にする徳政令です。
トポラッチの効用を思い出すのもいいかなと思うのですが。
借金は一切返さなくてもいいということになれば、私の生活もだいぶ楽になりそうですし。

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■節子への挽歌819:「お母さんがいたらなあ」

節子
突然ですが、ジュンが結婚することになりました。

ジュンの後悔は、節子に孫の顔を見せられなかったことです。
節子を見送った後、ジュンはそれをとてもとても悔やんでいました。

私たちの娘たちは2人とも、結婚などとは無縁に過ごしていました。
それが私たちの最大の悩みだったのですが、節子が病気になった後、私たちの関心は娘にまでいかずに、私たちのことだけで精一杯になってしまったのです。
それをいいことに、娘たちは結婚もせずにわが家に居座ってしまっていたのです。
私たちは親としての責任を果たさなかったのです。
言い訳にもなりませんが、娘たちは私たちに似て、とてもわがままに自分の人生を過ごしていました。
まさに親は子どもの鏡です。
私たちが自分の親に対してとっていたのと同じ姿勢の娘たちに、私たちは何もいえなかったのです。
親としては失格でした。

節子を見送った後、それぞれが立ち直りだしてから、ジュンが結婚すると宣言しました。
その取り組み方が、実にまたジュンらしいので、私でさえいささかたじろぎましたが、ジュンは宣言を現実のものにしつつあります。
昔の私自身をみているような気がします。
しかも私たちと同じく、いわゆる結婚式はしないというのです。
時期までもそっくりです。
私たちは、親の強い要望で、結局、結婚式をしましたが、節子がいない今、どうしても結婚式をやれとは私には言えませんでした。

ジュンを見ていると、私たちもまたそれぞれの両親にはこういう風に思われていたのだろうなと思い当たります。
申し訳ないことをしてしまったという思いもあります。
自分がやっていることが、結局は自分にまわってくるのです。

ところで、ジュンは時々、「お母さんがいたら相談に乗ってもらえるのになあ」と言うのです。
私ではだめなのかと言うと、だめなのだそうです。
ジュンは、私への反発がいまなお強いのです。
これも私を見て育ったからですので、自業自得です。
しかし、ジュンの相談に対する節子の答は、私もジュンも知っているのです。
わが家では、誰が何を考え、どう答えるかは、ほぼみんな知っているのです。
にもかかわらず、ジュンは「お母さんがいたらなあ」と言います。
その気持ちが痛いほどよくわかります。

実は私もそう思っているのです。
「節子がいたらなあ」
時々、節子の位牌に向かってこう言っています。
「節子はいいよねえ。何の悩みもなく、彼岸で花の手入れをしていればいいのだから。節子がいないので大変だよ。親らしくしないといけないのだから」
私はどうも「親らしくする」ことができないのです。
最近つくづくそう思います。
節子には良い夫だったかもしれませんが、娘たちには良い親ではないのです。
まあ、それは節子も同じなのですが。

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2009/11/28

■節子への挽歌818:遺族はすべて同じ

節子
今日は湯島で「自殺のない社会づくりネットワーク」の交流会をやりました。
なんと19人の人たちが集まってくれました。
東尋坊の茂さんも、わざわざ来てくれました。

重いテーマだからこそ、明るく語りたいと私は思っていますが、明るく語ることは結構難しいのです。
私自身も時々重くなってしまいます。
節子とのことを思い出してしまうからです。

死を克服したつもりでも、いざ生々しい話が出てくると、後悔の世界に陥ってしまいます。
節子は自殺ではなく病死でしたが、残されたものにとっては、同じことなのです。
自死遺族だけが特別なのではない、と私は思います。
遺族はすべて同じです。

闘病中の節子にしてやれたことがたくさんありました。
なぜその時、気づかなかったのでしょうか。
みんなの話を聴いていていまさらながら、自分のだめさ加減を思い知らされるのです。
だからこの交流会には参加したくないのですが、逃げるわけにはいきません。
私に課せられた罰なのかもしれません。

できることなら、もう一度、節子と一緒に病魔に立ち向かいたい。
今度は、前のような間違いを犯すことはしない。
そう思っても、それは叶わぬ話です。
人生をやり直せないことが、無性に悔しいです。

今日はちょっと元気が戻ってきません。

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2009/11/27

■節子への挽歌817:京阪電鉄石坂線

節子
滋賀県の大津でさまざまな地域活動に取り組んでいる福井美知子さんから2冊の本が届きました。
「おもわずありがとうといいたくなった大津のちょっとええ話」と「電車と青春+初恋」の2冊です。
いずれも福井さんが主宰していたグループの活動の成果です。
2冊の本が生まれた場は、いずれも京阪電車です。
といっても、ほとんどの人には聞いたこともない名前でしょう。
でも私たちにとっては、実に懐かしい名前です。

私たちが一緒に暮らし始めたのは、滋賀県大津市の石山です。
紫式部が源氏物語の構想を練ったという石山寺や壬申の乱の最後の決戦場となったとされている瀬田の唐橋が近くにあります。
とてもいいところです。
そこから京都に出るのに一番便利なのが京阪電車なのです。
石山寺から大津を通って、京都の三条まで出るのに、私たちはよくこの京阪電車を使いました。
節子と一緒に何回乗ったことでしょう。
いつも話に夢中で、外の景色はあまり記憶がありません。

2冊の本にはいずれも、その京阪電車の写真が最初に出てくるのです。
内容もさることながら、その写真を見ていると、節子とまだ一緒になる前のことを思い出しました。
当時、節子はまだ人を愛するなどということさえも知らない幼子だったような気がします。
まじめだけがとりえの節子に、私が惚れてしまったのが始まりでした。
しかもいささか普通でない惚れ方でした。
節子には大きな戸惑いがあったでしょう。
そして気がついたら同棲してしまっていた。
これが私たちの始まりだったのです。
今のような時代ではなく、しかも東京ではない、人の噂の強い地方での話です。
私たちはいったいどんなふうにみんなには写っていたのでしょうか。
いまから考えると汗が出てしまいます。

結婚して石山に住んでいたのは1年ちょっとでした。
最初は6畳と3畳の借家から始まり、家具も全くない生活でした。
私の貯金は8万円しかありませんでした。
私たちは最初からお金とは無縁な生活だったのです。
冬になっても暖房機もなく、2人で震え上がっていたこともあります。
しかし、その頃の生活は実に幸せで、思い出しただけでも心が温かくなります。
当時、節子は私には「ローマの休日」に出てくるヘップバーンよりも魅力がありました。
生活もおそらくあまり常識的ではなく、夢のような生活でした。
休みの日には、私の好きな奈良や京都を歩きました。

京阪電車の写真は、そんな昔の私たちのことを思い出させてくれました。
大津は私たちにとっては、思い出深い場所なのです。

その本にこんな文章がありました。

「買い物に行くと、いつも主人が重いほうの荷物を持ってくれます」
思わず書いた人の名前を見てしまいました。
50代の女性でした。
節子ではありませんでした。
ちょっと涙が出そうになってしまいました。

福井さん、ありがとうございました。

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■「新型インフルエンザ」と「ワクチン接種」の謀略

私には真偽のほどはわからないのですが、私が最初から感じていたことに符合する内容なので、紹介しておきたいと思います。
真偽に関しては確証をもっていませんが、可能性だけはあると思っています。
ご判断は読者に任せますが、こうした見方もあることを知ってもらえればと思います。
詳しくは《ダルマ通信》2009年11月18日をお読みください。

こういう話です。

大騒ぎされている新型インフルエンザは取り立てて特殊化するほどのものではなく、死亡率もこれまでのインフルエンザと同じレベルであること、にもかかわらず、大量の死亡者が出る恐れがあるなどと言明することには、何らかの意図があるのではないか。

上記のブログでは、こんな言い方がされています。

日本では、当初から医療機関やマスコミが当局の言いなりで大騒ぎして無知な民衆の恐怖心を煽ってきた。この国の権力支配者らは、これでもって、大不況でますます困窮する庶民の関心をそらし必要な社会変革に向かう大衆の勢力をそぐことを狙っているのであろう。

切迫したワクチン接種の必要と逼迫したワクチン不足が宣伝されて接種優先順位を争わせる奇妙な悲喜劇が演じられている。これは品不足を大げさに宣伝して買いを煽り競わせる狡猾な市場操作商法(‟shortage marketing‟)である。

厚生労働省犯罪集団観さえもっている私にも、にわかには賛成できかねる話ですが、この仮説を受け容れるといろいろな疑問が氷解するのも事実です。

さらに同ブログは、次のように述べています。

○「新型インフルエンザ」は、自然発生したものではなく「生物兵器」として人工的に開発製造されたウイルスによるものである。
○今後これを世界中に蔓延させて、その「予防」対策として世界保健機関が主導する形で諸国政府に巨大製薬会社が製造した「ワクチン」を庶民大衆に強制的に接種させようとしている。
○この「ワクチン」の「接種」により人体の免疫作用が奪われて種々の病気にかかり易くなる。これは、まさに国際連合の機関と諸国政府による大量殺人であり、既に米国などでは人類に対するジェノサイドとして刑事告発されており、又各地でこの「ワクチン接種」の差し止めが提訴されている。

どうですか、恐ろしい話でしょう。
みなさんは荒唐無稽の話として一蹴するでしょうか。
私には、一蹴する気にはなれません。
もちろんこの記事に出会う以前から、私はワクチンを受けるつもりもありません。
これまで一度も受けたことがないのです。

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■「問題の立て方」再論

前にも書きましたが、もう一度書きます。
「問題の立て方」が大切だという話です。

昨日、八ッ場ダムの地元住民たちが、ダムの早期完成を求める5万人以上の書名を集めて国土交通相に陳情にいったそうです。
私は地元住民ではないので、あまり強くはいえませんが、ダムを完成させたら住民の生活はよくなるのかということが気になります。
ダム工事のための仕事はなくなりますし、造られたものを壊すのは無駄に見えるかもしれませんが、自然を壊すことに比べたらそのダメッジは桁違いに小さいはずです。
住民の生活という視点で考えずに、目先のことでしか考えていないのではないかという気がします。
思い出すのは「7代先の掟」です。
アメリカのネイティブの人たちは、何か大切なことを決める際に、7代先の人たちにとって、良いことかどうかを判断の基準にするそうです。
この「7代先の掟」は、数十年前までの日本にもあった掟です。
そうした掟はもう忘れられたのでしょうか。
八ッ場ダムの地元住民たちは、問題の建て方を間違っていると思うのです。
大切なのはゼネコンの下請け仕事を続けることではないでしょう。
自分たちの子孫の生活を考えることでしょう。
その視点から考えれば、ダム工事を一時やめて、考え直す絶好のチャンスなのです。

事業仕分けに関して、科学者や大学関係者が騒いでいます。
これも私には問題の立て方が間違っていると思います。
大学は、問題の解き方しか教えていないので、大学の学長や総長には問題の立て方など関心がないのかもしれませんが、それにしても記者会見での話は内容が乏しく、がっかりしました。
ノーベル受賞者の発言も同じです。
発言していることはもちろん正論ですが、ではこれまでのままでいいのかという話です。
全体を見る目が彼らには全くありません。
近代の要素還元主義の中で、全体を見失っている優等生の姿がはっきりと見えてきます。

事業仕分けは、まずは無駄の発見です。
そして効果的な予算配分です。
一見、科学技術の分野に予算支出されているようで、しかし実際には途中でおかしな使い方がされているからこそ、事業仕分けの対象になり、議論されたのです。
国際協力という名目で、どれだけの予算が、相手には届かない使われ方をしているか、それと同じことが科学技術の分野でもいえるのですが、彼らはそれを無視して、要は八ッ場ダムに巣食っているゼネコン業者と同じように利権を失いたくないだけの話です。
どうしたらほんとうに科学技術分野で成果をあげられるか。
それを考える絶好のチャンスと捉えるべきではないのか。
そう思います。

もちろん事業仕分け人の質問や判断がすべて正しいと私は思ってはいません。
そんなことは当然のことでしょう。
彼らの判断は、所詮は一つの判断です。
しかしこれまで全くなかったことをはじめたのです。
その意味が大学の学長や総長にもノーベル賞受賞者にもわかっていません。
彼らが「知」というものをどう捉えているかが露呈されています。
近代の知に埋没し、偏差値教育を推進してきた人たちには理解できないことなのかもしれません。

今の時代、大切なのは、「問題の立て方」です。
間違った問題設定すると、がんばればがんばるほど、おかしな方向に行きかねません。
まあ、そのことは私自身にも言えることです。
この文章自体も、間違った問題設定に従っている可能性は否定できません。
もちろん私はそうは思っていませんが。

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2009/11/26

■節子への挽歌816:「自分も死ぬんだと気づきました」

節子
久しぶりに中西さんの六本木の新しいオフィスに行ってきました。
中西さんのオフィスはどこに移っても同じ雰囲気を維持していますので、とても懐かしいのです。
思えば、中西さんとの出会いが私の人生を変えてのかもしれません。

会うなりに、「今年、父母を見送って、初めて自分も死ぬんだと気づきましたよ」と切り出しました。
数年前、中西さんは死に直面するほどの交通事故にあいました。
しかしその時は「死」を一切意識しなかったそうです。
それが両親の死で、初めて自らの死を実感できたというのです。
とてもよくわかるような気がします。
状況は違いますが、私も節子を見送って、初めて「死」を実感しました。
「死」は、自らに関してではなく、愛する人のよって気づかされるのかもしれません。
もしそうであれば、節子は「死」を実感していなかったかもしれません。
そんな気もしないでもありません。
自分の死は生きている時には体験できませんから、実感もできないのかもしれません。
これに関しては、以前も書いたような気がします。

その中西さんが、残り時間でしっかりと残すべきものを残したい、と言うのです。
私からみれば、すでにたくさんの実績と成果を残しているのですが、
しかし残したいのは、たぶんそんなものではないのでしょう。
自らが活動してきたことから学び気づき、創りあげてきたものを、しっかりと後世に残しておきたいのでしょう。
中西さんの場合、その価値は十分にあります。
中西さんは一度たりともぶれずに、日本の企業に関わってきています。
だからこそ、残す価値があるのです。

いま4冊の本を並行して書いているそうです。
そして来週から、新しいビジネススクールを立ち上げるというのです。
その内容を聞いて、思い入れの深さを知りました。
尋常ではない気迫を感じます。
「自分も死ぬんだと気づきました」という言葉の意味がわかったような気がしました。

私も節子を見送って、自らの時間を考えました。
しかしその後の行動は中西さんと全く対極にあります。
残された時間は意識するまいと決めました。
つまり「自らの死」を意識しない生き方をしようと決めたのです。
そしてこれまで以上に、無目的に、わがままに、素直に生きようと決めたのです。
その結果、死との時間距離は無限になりました。
もしかしたら、私の場合は、もうすでに死んでいるのかもしれません。

いや、もしかしたら、と思います。
中西さんも同じかもしれない。
対極にあるように思えて、実は同じなのではないか。
いま、これを書きながら、ふとそんな気がしてきました。
「死」を知ると、みんな同じになるのかもしれません。
別れ際に感じた、あの奇妙なぬくもりは何だったのでしょうか。

節子
みんな歳をとってきています。

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2009/11/25

■節子への挽歌815:ケアの本質

節子
敦賀からどっさりと野菜が届きました。

そこに節子が好きだった「へしこ」が入っていました。
わが家では節子以外は、「へしこ」のような珍味系の伝統食は苦手なのですが、私が義姉に頼んで送ってもらったのです。
私の中に移ってきた節子が、もしかしたら「へしこ」を食べたいと思っているかもしれないと思ったからです。
奇妙に思うでしょうが、まあそんな考えも生まれてくるのです。
娘に頼んで調理してもらいました。
娘たちはやはりだめでしたが、私は大丈夫でした。
やはり食生活にも変化が起きているのです。

野菜と一緒に、みかんもどっさり入っていました。
義姉の自宅の庭になっているみかんです。
自宅のみかんはすっぱいといって、ほとんど食べていなかった義姉に対して、節子がもったいないといって送ってもらうようになったのです。
いかにも節子らしい話ですが、不思議なもので、最初はすっぱかったみかんも次第に美味しくなりました。
今年のみかんは甘さもあって美味しいです。
みかんもやはり食べてもらう人のためにがんばるのでしょうか。
節子にも供えましたが、節子のおかげでみかんも成長したのです。
みかんほどではないですが、私も節子のおかげで成長していますので、みかんの気持ちはよくわかります。

野菜を送る文化は節子の母親からのものです。
最初の頃、合理主義者の節子は、送料のほうが高いので送らないでもいいよといっていましたが、そのうちに、送ってもらうことが親孝行なのだと気づきだしました。
節子は、それを「野菜便」と称していましたが、母を見送った後、その野菜便が途絶えたのです。
それをさびしく思っている節子に、今度は節子の姉が野菜便を再開してくれたわけです。

「コンラディのケアに関する9つのテーゼ」というのがあります。
その一つが、
「ケアには、思いやることと並んで思いやりを受けることが含まれる」
というものです。
多くの人は、思いやることをケアと考えていますが、思いやりを受けることのほうがケアの本質だろうと私は思っています。
だれでも思いやられるよりも思いやる方がいいに決まっているからです。

まあ、それはそれとして、こうした野菜便事件を通して、私と節子はケアの意味を学んできたのです。
人は一人で学ぶよりも、2人で学ぶほうが、身につくものです。

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2009/11/24

■国会議員の資格

残念なことに国会での野次はひどいものです。
今日は特に民主党の新人議員の野次がひどかったそうですが、なるべきでない人たちが国会議員になるのは、自民党も民主党も同じようです。しかし国会で野次を飛ばすなどというのは、信じられない態度です。
新聞報道によると、党から〔センスの良い野次〕をとばすように指導されたそうです。
しかし国会で野次を飛ばすなどというのは、信じられない態度です。
野次を飛ばす議員は党員資格剥奪というくらいのルールがあってしかるべきだと思いますが、どうもそうはならず、野次は相変わらず勲章なのでしょうか。
その文化は、やくざから議員まで(やくざと議員は同質の世界です)相変わらず維持されているようです。
そのおかげで、学校でもどこでも、人の話をきちんと聴かない文化が浸透しだしているのはいささか不本意な話です。

国会は本来議論する場です。
議論は、異質な意見があればあるほど、豊かになります。
しかし異質な意見を排除したりする人には、そもそも議論する気はないのです。
議論するためには、自らの意見をもたなければいけません。
おそらく野次をいう人は、自らの意見がないので、相手の発言を野次るしかないのでしょう。
それに、今の国会議員には、自らの意見を持っている人はそう多くはないでしょうから、野次られるほうも野次られることしか発言できないのかもしれません。
しかし、たとえそうであっても、国会という話し合う場が野次で肝心の発言が聞きにくくなるようなことになれば、放っておくべきではないように思います。

企業を良くするのは難しいことではないという人がいます。
私もその一人ですが、その方法は「基本をしっかりと実践する」ことです。
イエローハットの鍵山さんは「凡事徹底」と言いましたが、まさにそれこそが経営です。
その「基本」がいまの企業から失われているのと同じく、あらゆるところから、「基本」が失われているのです。

私のオフィスにはさまざまな人が来ます。
その人たちの行動を見ていると、社会の実相がよく見えます。
言葉ではなく、実際の行動です。
言葉は着飾れますが、行動は簡単にはごまかせません。
「基本」をしっかりと身に付けているかどうか、それは自然と見えてくるものです。

話し合う場であれば、静かに話し合うべきです。
質問に応える場であれば、質問に応えるべきです。
そんなこともできない人が女性教育会館の理事長になっているのです。
そういえば、挨拶もできない学校の校長先生や教育長を私は数人知っています。
そんな人たちに子どもを任せてきた私たちが悪いのですが、せめて家庭で元気よく挨拶し、異論を話し合うことを体験させていたら、今のような社会にはならなかったでしょう。

国会中継を見ていて、この人たちの育った環境はさぞ貧しかったのだろうなと少し同情してしまいました。
さて、わが家はどうだったか。
あまり大きなことはいえませんが、挨拶と話しあいは、まあきちんとやっているつもりです。

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■節子への挽歌814:不生不滅

生と死について少し書いてきましたが、最後に「不生不滅」ということについて、今の気持ちを書いておきたいと思います。

毎朝、節子に般若心経をあげています。
そこに出てくるのが

是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減
です。
中村元さんの訳によれば、
この世において、存在物はすべて、実体のないことを特質としている。生じたと言えないものであり、滅したとも言えないものであり、汚れたとも言えず、汚れを離れたものでもない。減ることもなく、増すこともない。
つまり、すべては「空」だというわけです。

「空の世界」では二元論はなりたちません。
生も死も、垢も浄も、増も減も、ないのです。
「空の世界」からの写像でしかない現世のさまざまな現象の変化は、ほんの一時の幻像なのです。
ではその幻像の本体はどうなっているのか。
それは、今はまだ知る由はありませんが、知る必要もないのです。

不垢不浄や不増不減は現世の論理でもわかりやすいでしょう。
視点を替えれば、垢は浄に、浄は垢になります。
そう考えると、人はとてもやさしく、寛容になります。
有限の世界で考えると、不増不減もゼロサムゲームの中での見方の違いでしかありません。
法頂のような「無所有」な生き方をしている人には不増不減など当然のことでしょう。

しかし、不生不滅は実感的にはなかなか受け容れがたいところがあります。
執着しないでしようと思っても、やはり執着してしまいます。
増減や垢浄とはちがい、生死は非連続ですから、そう簡単には納得できないのです。
もっとも私自身は、最近、なんとなくその意味がわかってきました。
いえ、わかるというよりも、受け容れられるようになったというのが現実なのですが。
毎朝、般若心経をあげているおかげでしょうか。

「生死即涅槃」という言葉を最近知りました。
生死不二ではなく、生死と涅槃もまた不二だというのです。
ここでいう「生死」は、「不生不滅」とは反対の「煩悩に翻弄されている迷い」の意味です。
それが煩悩を超えた涅槃、覚りの世界とは不二、つまり二つであってしかも二つではないというのです。
生死を離れて涅槃はなく、涅槃を離れて生死もない、というわけです。
これもなんとなく今の私の気持ちです。

生も死も、そんなにこだわることはありません。
しかし、その時々の生を、素直に自然に受け容れることにはこだわっていきたいと思います。節子との日々の関係が、これまで頭でしか理解できずにいた「不二」ということを実感させてくれたからかもしれません。
涅槃とはとてもいえませんが、それなりに平安な日々を過ごせるのは、そのおかげかもしれません。

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2009/11/23

■政府の連続性と責任

韓国では大統領が後退すると、評価は一転し、時に死刑宣告まで受けることがありました。
そのことが全く理解できずにいました。
しかし最近、ようやくそれが理解できるようになりました。

事業仕分けは賛否両論ありますが、これまでの自民党政府が何をしてきたかが少し見えてきたように思います。
言い方がきついかもしれませんが、犯罪ではないかと思います。
今日もテレビで北海道の東郷ダムの報道をしていましたが、本体完成後15年経過しても欠陥ダムのため稼動できずに、逆に地域住民にとっての危険な状況が放置されていると言います。
放置といっても、それに伴うかなりの費用が浪費されて続けているということです。
こんなダムが全国に少なからずあるという話を聞くと、政府の本質がわかります。
盗賊国家」といわれてきた意味がここにきてやっと実感できたといってもいいでしょう。

しかも政権交代がほぼ見えてきた時点で、内閣機密費が2億円も引き出され、勝手に政府によって使われたというのですから、これはもう完全な詐欺罪あるいは窃盗罪でしょう。
もうやりきれない感じです。
政治家には損害賠償請求はできないものでしょうか。
いま話題になっている鳩山首相の資金問題などは、それに比べたらまあ瑣末な事件にさえ思えてしまいます。

それにしても、これだけ税金の無駄遣いをしていた過去の政府閣僚の責任が問われないのはなんともわりきれません。
判断ミスで無駄をしてしまったのであれば、仕方がありません。
しかしそうではないのです。
そんなことをし続けてきた自民党に席を置くことになぜ若手議員は恥を感じないのか。
まずは自らを正さなければいけません。

残念なことに、そうした自民党と同じ道を民主党も歩きかねません。
機密費に関していえば、平野官房長官の言動はあまりにも噴飯ものです。
これでは河本自民党前官房長官と同じだと思われても仕方がありません。
事実、同じなのでしょう。

そうした絶望的な政治状況の中で、しかし、新しい風を感ずることも少なくありません。
政治の世界は間違いなく世代交代が始まりました。
詐欺師のような政治家は、次第にいなくなるでしょう。
この20年、私たちは大きな授業料を払ってきたのです。
その税金でぬくぬく太った豚たちが世間を闊歩しているのが腹立たしいです。

大学の卒業式で、大河内総長から「ふとった豚になるよりは、痩せたソクラテスになれ」という告辞を聴きました。
そのメッセージを、私はきちんと守ってきたつもりです。
まあ少し太り気味のソクラテスではあるのですが、毒杯を仰ぐ決意だけはいつも持っています。

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■サロンの効用

私はサロンが大好きで、湯島のオフィスでも、いろんなスタイルのサロン(気楽な話し合いの場)をやっています。
その一つがコムケアサロンといって、みんなが気持ちよく暮らしていける社会になるといいなと思っている人たちの気楽なサロンがあります。

いつもは湯島でやっていますが、今回、出前コムケアサロンというのをやってみました。
ちょうど、コミュニティカフェ(レストラン)を開こうとしているコムケア仲間がいたので、その開店直前にそこを会場にして、昨日、「食と農、そして居場所」を少しだけテーマにしたサロンを開催しました、
雨にもかかわらず15人ほどの人たちが集まってくれました、
私も会場まで1時間以上かかりましたが、同じ我孫子や近くの柏からも参加してくれた人もいます。
コムケア仲間ではなかったのですが、熊谷から参加してくださった方もいます。
こうした集りをやると、いつも必ず新しい人が参加してきてくれるのです。
今回は、実際に思いを持ってコミュニティカフェをやっている人も数名参加してくれました。

4時間の長いサロンでしたが、なかなか終わらずに、実に中身の濃い話し合いが実現しました。
はじめて会った方のほうが、みんな多かったはずですが、心が通じた気がします。

実際にコミュニティカフェをやっている人の話は感動的でした。
幸手市で、介護予防型コミュニケーション喫茶「元気スタンドぷリズム」をやっている小泉さんは、経済的にはかなり厳しいと思いますが、楽しそうでした。
形式にこだわる行政への対応にかなり疲れている感じもしましたが、行政に依存することなく、さまざまな試みに取り組んでおり、間違いなく小泉さんの試みは成功するでしょう。

大宮で、アレルギーっ子のための「おひさまカフェ」をやっている久間さんからは、アレルギーを持つ子どもたちの親の大変さを気づかせてもらいました。
こうした活動はまだ全国的にもほとんどないようです。
忙しいなかをわざわざ参加してくださいました。
久間さんの話を聞くと、時間がないなどという言い訳の不誠実さがよくわかります。

サロンの報告は、またホームページなどで書くつもりですが、
ともかく気楽に話し合う場の効用を改めて感じました。
こういう集まりが気楽にどんどん広がっていくといいなと思いました。

私がささやかに関わっている自殺のない社会づくりにしても、子育て支援にしても、まちづくりにしても、本業の企業変革にしても、出発点は現場を持っているいろいろな立場の人たちが、一緒にになって本音で語り合うことだろうと思います。
当事者が誠実に話し合えば、おそらく解決できない問題などはないはずです。
もちろんきちんと話し合うためには、基本的な情報は共有されていないといけませんが、情報の共有もざっくばらんな話し合いを通して実現するように思います。

コムケア活動で標榜している「大きな福祉」は、まずはいろんな人が気楽に立ち寄れるサロンづくりから始まるという思いを、ますます強くしました。
そういうサロンがどんどん広がると社会は変わっていくように思います。

私のオフィスでは、今月28日には「自殺のない社会づくりネットワーク」の交流会、12月2日には認知称予防をテーマにしたサロン、12月16日には農をテーマにしたサロンを予定しています。
私のホームページのお知らせに掲載されています。
他にも12月中に2つほどのサロンを計画しています。
ホームページのお知らせに案内を出す予定ですので、もしよろしければ気楽にご参加ください。

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■節子への挽歌813:いくつになっても旅に出る理由がある

節子
昨日、テレビで12月5日に公開される「カールじいさんの空飛ぶ家」の予告を見ました。
ディズニー映画です。
最初の画面に、「これは、あなたの物語」というコピーが出てきました。
そのコピーにひきこまれて、ついつい予告編を見てしまいました。
見ている途中でいやな予感がしたのですが、1分足らずの短い予告編でしたので躊躇しているうちに最後までいってしまいました。

予告編の途中にこんなコピーが出てきます、
「いくつになっても旅に出る理由がある」
その言葉がいやな予感をもたらしたのですが、まさに予感はあたってしまいました。

「旅に出る理由がある」
もうわかった方もいるでしょう。

今は78歳のじいさんになったカールには、愛する妻と結婚した時に約束したことがあったようです。
写真で見た「伝説の滝」に連れて行く約束です。
しかし、その約束を実現できないままに、妻を見送ってしまうことになったのです、
そこで、妻との記憶が充満している自分たちの家にたくさんの風船をつけて、家ごと空に旅立ったのです。
その旅の内容は予告編ではわかりませんでしたが、きっと愛する伴侶との旅だったことは十分に推測できます。
そして、おかしな言い方ですが、愛する妻に会いに行ったのです。

愛する妻が死にました。
だから私は旅に出ます。
節子は旅が好きでした。
節子と一緒に行く約束をしていたところがいくつかあります。
遠くもあれば近くもあります。
でも行けなかった。

カールじいさんと同じように、旅にでる理由は、私にもあるのです。
私が旅に出るのはいつでしょうか。
でも、いまはまだ、とても旅に出る気にはなれないのです。

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2009/11/22

■節子への挽歌812:「山川草木悉皆節子」

「山川草木悉皆仏性」という言葉があります。
草木のみならず、山や川にも「魂」(霊性)があるというわけです。
これは日本独特の発想です。
生命体でない山にまで生命があるのです。

学生の頃読んで目からうろこがおちた小説があります。
ソ連のSF作家のアンソロジー短編集のなかの一編でした。
岩が主体的に動いている話です。
生命体の時間軸では認識できないほどの時間をかけて動いているという話だったと思います。
考えてみれば、もしかしたら地球もそうかもしれない。
私の常識はそこで吹っ飛んでしまったわけです。
その数十年後になって、地球は生きているというガイア仮説が出てきましたが、もうそのずっと前に岩が生きているという洗礼を受けていたので、私には退屈な仮説でしかありませんでした。

そのアンソロジーには、もう一つ今でも覚えている作品がありました。
地中を飛ぶ鳥の話です。
これも私には驚きでした。
鳥が空気中しか飛べないなどという馬鹿げた知識しか教えない学校教育に従順に染まっていた自分を反省させられました。
以来、近代科学の知には懐疑的なのです。
小さな科学の虜にはなりたくないからです。

理屈っぽいことを長々と書いてしまいました。
しかし不思議なことに、こういう話には節子はとても興味を持ちました。
私が得意になって話すので合わせてくれたのかもしれませんが、どこか直感的に受け容れてくれるところがありました。
節子はまだ、キツネにだまされる人がいた時代に育ったからかもしれません。
節子のお母さんは、まさにその世界に生きた人でした。
信心深い門徒でした。
節子は近代志向の人でしたが、やはりどこかにそうした育ちの世界を背負っていたのです。

魂や霊の世界は、私には論理の世界でした。
節子とは正反対の方向から入っていったのです。
節子はその世界を感じ、私はその世界を理解したかったのです。
ですからいうまでもありませんが、私のはにせものでした。
私には彼岸が見えなかったのです。
私が彼岸を実感しだしたのは、節子を見送ってからです。
左脳は右脳にはとうてい勝てません。

節子はいま、どこにいるのでしょうか。
「山川草木悉皆節子」
もしかしたら、あらゆるところに節子はいるのかもしれません。
私を見守るために。

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2009/11/21

■経済状況をマクロに把握するための仕組みの見直し

政府の月例経済報告で日本は再びデフレ状態に陥ったと認定されました。
確かにさまざまなところでの価格低下がみられます。
ともかく商品が売れないという商業関係者からの話もよく聞くようになりました。

今日は自宅にいたので、娘と一緒に近くのスーパーに買い物に行きました。
これまで通っていた近くのライフというお店が、道路拡幅のために閉店したので、ジャスコ系のお店に行きました。
価格帯があまりに違うので驚きました。
たとえばUCCのレギュラーコーヒーは300gで100円以上の差があります。
私が毎日飲んでいるアセロラジュースも1割以上高いです。
と、私でも比較可能な商品(工場で製造されている商品)が総じて1~2割高いのです。
ジャスコ系のお店も低価格化を進めているといわれていますが、それでもこんなにも違うのです。

テレビなどでは小売店が価格を下げるために大変な努力をしていると報じています。
しかし、こうしてライフとジャスコの価格差を見ると、実際にはもっと安くなるのだろうと思います。
商品の価格とは何なのでしょうか。

そう思うようになったのは、100円ショップの出現です。
工業製品の価格は、あってないようなものだと思うようになりました。
そう思って考え直すと、商品の価格というものが全くわからなくなりました。
たとえば農産物。
複雑な経路でスーパーに並ぶ農産物と生産者が直接販売する産直店の野菜の価格が同じなのが全く理解できません。

職人が心と時間をかけてつくったものもどうやって価格をつけるのか不思議です。
私の娘は職人的な仕事をしています。
娘は2~3日、根をつめて1枚の絵皿を完成させます。
それが1万円というのは、安いのか高いのか。
材料費や電気窯での焼成、デザインのための細かな打ち合わせ、時に焼成がうまくいかずにやり直したりしている姿を見ると、私が2時間講演して10万円をもらうことに比べると安すぎます。
しかし、1日中それこそ食事をする暇なく働き、1円ももらえないばかりか電話代や交通費さえ自己負担しながら働いている、もう一つの私の仕事の立場からすれば、3日で1万円近くもらえる仕事は高給取りに感じます。

昨日、熊谷で乗ったホテルの送迎車の運転手さんは、私もよく知っている有名企業の社員でしたがリストラにあったそうです。
それから就職しようにも仕事がなく、給料などいくらでもいいからともかく働きたいと今の仕事についたそうです。
同じく退職させられた仲間たちは、今も仕事を見つけられない人も多いそうです。
給料の多寡ではなく、やはり仕事はしたいと彼はいっていましたが、給料とは何なのでしょうか。

話が広がってしまいましたが、要は商品の価格とか仕事の報酬に関して、これまでの固定観念で考えることをやめてみることも大切かもしれません。

経済状況をマクロに把握するための仕組みが大きく変わってきているような気がします。
消費者物価指数などで社会の実態がわかるはずもないのです。

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■節子への挽歌811:「意識を生みだすもの」

昨日の魂の話の続きです。

ショーペンハウエルは、「死とともに意識はたしかに消滅してしまうのである。これに反して、それまで意識を生み出してきていたところのそのものは決して消滅することはない」と書いているそうです。
このことを自著『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』で紹介している内山節さんは、「「意識」と「意識を生みだすもの」という概念を設定することによって、この「意識を生みだすもの」に仮託するかたちで、人間の根源的な生命のあり様を語らせている」と書いています。

「意識を生みだすもの」。
鈴木大拙はそれを「霊性」といいましたが、それは一般的には「魂」とか「霊」という言葉に仮託されていると内山さんはいいます。
霊などというと何か怪しいもののように感じますが、それこそ私たちが陥っている「近代の罠」なのです。
見えるものしか見ない、見えるものにしか立脚しない生き方が、何をもたらしたかは、少し考えてみればわかることです。
星の王子さまも、「大切なものは目に見えない」と話しています。
私たちが生きている世界には、見えないもののほうが圧倒的に多いのです。
それに気づけば、自らの生き方もずっと豊かになるでしょう。
いま私たちに必要なのは、霊とか魂への気づきではないかと思います。

節子の声を感ずることがあります。
耳ではなく、身体で、です。
その声は、私の心身の内から聞こえてきます。
私の心身を突き抜けていくと、もしかたら魂に届き、そこに彼岸が広がっているのかもしれません。
彼岸はたくさんの魂の集合であり、それを通して、すべての生命体がつながっている。
時に辛いこともある、時に悲しいこともある、そして時には死ぬこともある。
しかし、それらはすべて生命現象のひとつでしかないのです、
そう考えると、生きることがとても平安になります。

現代人は霊性を軽視しすぎです。
科学主義による小賢しい知が、世界を覆っていますが、もっと大きな知を受け入れれば、もっと豊かな生に出会えるかもしれません。
節子は、私にそういうことを教えてくれているのかもしれません。

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2009/11/20

■節子への挽歌810:「またひとつ、修との思い出ができた」

また熊谷のヘリテージホテルに合宿できています。
ホテルの部屋から見える浅間や妙義の山波、ライトアップされた庭園。
節子はここには来たことはないのですが、窓から見ているとなぜか一緒に見ていたことがあるような気がしてきます。

「またひとつ、修との思い出ができた」
節子と一緒に旅行に行って、とても感動的な景色を見たり楽しい体験に出会うと、時々節子はそういいました。
その時はただ、そうだね、と答えていたのですが、最近その意味が少しわかってきた気がします。
節子はそうやって、私に自分を移していっていたのです。
もちろん同時に、私は節子に自分を移していたのでしょう。
生活を共にし、苦楽を共にするということは、そういうことなのだと、最近思えるようになったのです。

利己的な遺伝子という話があります。
生命体は遺伝子の乗り物でしかない、という考え方です。
遺伝子を魂と読み替えれば、節子の心身も私の心身も「乗り物」なのかもしれません。
私たちの魂はお互いに、乗り物をシェアしだしていたのです。
先に逝く魂は、そうして自らの一部をほかの乗り物に残していく。
そうやって、魂はつながっているのかもしれません。

個体を意識することによって、人間は「死」の観念を発見しましたが、
生命をそうしたつながりで捉えれば、死といい観念は、そもそも発生しないのです。
死がなければ生もないのかもしれません。
「永遠の生」という言葉はありますが、永遠であれば、それはあえて言葉などにする必要はないでしょう。
間違いなく、人は生まれ死んでいきます。
しかしそれは、頭の髪の毛が抜け落ちていくのと同じなのかもしれません。
そう考えると、生も死も、そう大きな違いはないのかもしれません。

それに、節子がいなくなったときに感じた、半身を削がれた感じも納得できます。
最近、気づいてみると節子と同じような言動をしている理由もうなづけます。
いま見ている山波を、節子と一緒に見ている気持ちも、まさに一緒に見ているからなのかもしれません。

なにを「たわごと」をと思うかもしれません。
しかし、そんな「たわごと」がとても実感できるのです。
節子の魂は今私の心身に一緒にいるとしたら、もしかしたら、今なお節子との共体験を重ねているのかもしれません。

先日、コメントくださったmasaさんが、私の戸惑いにアドバイスしてくれましたが、それも納得しながらも、こんな思いも強まっているのです。

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2009/11/19

■節子への挽歌809:生命的世界の一体性と個体性

人間は個人として生まれ個人として死ぬにもかかわらず、村という自然と人間の世界全体と結ばれた生命として誕生し、そのような生命として死を迎える。
これは、内山節さんの「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」という本に出てくる一節です。 内山さんは、半分を群馬の上野村で過ごす哲学者ですが、その生活の中からの生命観はとても共感できます。

内山さんは、生命というものを個体性によってとらえるのは近代西欧の発想だと言います。
日本の伝統的な村のなかで生きた人々には、生命とは全体の結びつきのなかで、そのひとつの役割を演じている、という生命観があった。
個体としての生命と全体としての生命というふたつの生命観が重なり合って展開してきたのが、日本の伝統社会だったのではないか、と内山さんは言うのです。
私もそんな気がしていましたが、節子を見送った後、それは確信に変わりました。

内山さんはこう書いています。
ちょっと長いですが、引用させてもらいます。

木はその一本一本が個体性をもった生命である。だから木の誕生もあるし、木の死もある。しかしその木は、もう一方において、森という全体の生命のなかの木なのである。しかも森の木は、周囲の木を切られて一本にされてしまうと、多くの場合は個体的生命を維持することもむずかしくなるし、たとえ維持できたとしても木のかたちが変わってしまうほどに、大きな苦労を強いられる。
森という全体的な生命世界と一体になっていてこそ、一本一本の木という個体的生命も存在できるのである。この関係は他の虫や動物たちにおいても同じである。森があり、草原があり、川があるからこそ個体の生命も生きていけるように、生命的世界の一体性と個体性は矛盾なく同一化される。

伝統社会においては人間もまた、一面ではこの世界のなかにいた。人間は個人として生まれ個人として死ぬにもかかわらず、村という自然と人間の世界全体と結ばれた生命として誕生し、そのような生命として死を迎える。人間は結び合った生命世界のなかにいる、それと切り離すことのできない個体であった。

節子の後を追いたいという気持ちが、私に出てこなかったのは、生命は自分のものではないという強い確信があったからです。
そして最近、改めて思うのは、「結び合った生命世界のなか」に生きている限り、決して終わることはないということです。
こういう思いを持つと、死への恐怖は、不思議なほどに全くなくなります。

今から思い出すと不思議なのですが、節子を送った翌日、実はそういうことを実感したのです。
告別式での挨拶でも言及しましたが、葬儀に来てくださったみなさんたちの中に、節子を感じたのです。
そのことが、この挽歌を書く気になった理由でもあります。

その意味が、最近、やっと理解できました。
当時はそう感じていただけなのですが。

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2009/11/18

■グローバル人材になるには祖国を捨てなければいけないのか

昨日、ある会で、衝撃的な、しかしとても納得できる言葉を聞きました。

人材育成をテーマにしたある研究会にずっと参加しています。
主なメンバーは大企業の人事関係の部長です。
そこで今年は、「グローバル人材」の育成がテーマの一つになっています。
昨日の会で、ある会社の人が、グローバル人材の育成の状況を説明してくれました。
前回もこの種の話が出たのですが、私には肝心のグローバル人材の意味がわかりません。
そこでドミナントの人材とグローバルの人材との違いは何なのかと質問しました。
その答えのなかに、「祖国を捨てること」という言葉が出てきたのです。
その一言で、私にはすべてが理解できました。
そもそもグローバルというのは、国境概念を超えることですから、当然のことなのですが、それが示している意味はとても大きいです。

実は、その前の話し合いでは、韓国のサムソンが一つのモデルになっていました。
ご存知の方もあるでしょうが、サムソンの事業モデルの根底にも、祖国を捨てる発想があります。
しかし同時に、強烈な祖国愛も感じます。
この問題は、これからの企業のあり方を考えるうえで、実に多くの示唆を含んでいます。

工業の根底にあるのは、土から離れるということです。
それが農業とは本質的に違うことです。
そして。土から離れる発想は、当然ながら「国を捨てる」ということなのです。
ここで大きな問題が出てきます。
国家制度と資本主義の関係です。

資本主義のグローバル化は国家を壊すという意見もありますが、そもそも資本主義は国家のサブシステム(手段)だという意見もあります。
私は後者の意見に賛成ですから、国家を捨てるという言葉に安易には賛成できません。
ありえないことだからです。
そこで思い出すのが、冷戦時代の諜報活動です。
諜報活動をしていた人たち、いわゆるスパイと言われた人たちは、国家を捨てたのでしょうか。
自国を裏切ったといえるかもしれませんが、所詮は別の国のために活動したのです。
平和や理念のためという人があったかもしれませんが、それは全く無意味な話です。
実際には、どこかの国家を利するだけでした。
思い上がってはいけません。

だんだん話が大きくなってきてしまいました。
時評編には無理がありますので、関心のある方はどうぞディベートしに湯島にお越しください。

それにしても「祖国を捨てる」とは衝撃的な言葉ではありませんか。
ちなみに、私は、「祖国を捨てるグローバル化」ではなく、「祖国(郷土)を起点にしたグローバル化」こそが大切だと思っている人間です、
日本企業は前者の意味でのグローバル化を志向しているようなのが、とても残念でなりません。

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■節子への挽歌808:「価値をおく理由があるような生」

しばらく「死」について書いてきたので、少し「生」について書きます。

新しい視点で厚生経済学に大きな影響を与えているインドの経済学者アマルティア・センは、自由とは、「本人が価値をおくような生、価値をおく理由があるような生を生きられる」こと、と言っています。
この捉え方は、従来の発想での「自由」とはまったく別のものです。
この定義に出会った時、私は感動したものです。
しかしよくよく考えてみると、これはとても意味深い定義です。
簡単にわかったような気になってはいけないと、だんだん気づいてきました。
難しいのは「価値」という言葉です。
「価値」という言葉は学生の頃から私を悩ましていた言葉なのです。
でも、今回はあまりこだわらずに、書くことにします。

節子がまだ元気だった頃、私は「人は何のために生きるか」ではなく「誰のために生きるか」が大切だと書いたことがあります。
当時、人生の意味を問われたら、私は躊躇なく即座に「節子がいるから」と答えたでしょう。
節子が、私の人生に意味を与えてくれていたからです。

言い方を変えれば、「節子が価値をおくような生」こそが、「私が価値をおく生」だったのです。
ですから、もし節子がいなくなったら、私はとても生きてはいけないと思っていました。
人生に意味づけしてくれていた節子がいなくなったのであれば、もう生きる意味もありません。
事実、節子がいなくなってから1年は、私はあまり「生の実感」がありませんでした。
節子がいない人生は、私にはとうてい価値があるとは思えなかったのです。
センの言葉を借りれば、私から自由は奪われ、翼を失った鳥のように、ただ生きていたのです。

いまはどうでしょうか。
私は自由でしょうか。
実は、とても自由な気分なのです。
節子がいなくなったからではありません。
節子が与えてくれた人生の意味は、いまなお健在だと思えるようになってきたからです。

センの自由の定義は、私の言葉で言いかえれば、「自分を素直に生きているかどうか」です。
私の「自由な生き方」に心底共感し、共有してくれていたのが節子です。
ですから私にはお金も名声も、評判も残すべきものも全く不要でした。
すべては節子がわかっていてくれたからです。

他の人は、なかなか私をわかってはくれません。
それはそうでしょう。
人は他者を決してわかりようがないのです。

節子はいまなお私の人生に意味を与え続けている。
最近そういう気がしてきたのです。
さらに、もしかしたら、私の生き方を、理解してもらえないまでも少しだけ共感してくれる人がではじめたということも感じ出しています。
今の生き方でいいんだよ、という他者の眼差しをこの頃、なんとなく実感するのです。

だから、節子がいない今も、私は自由に生きられるようになってきたのです。
もう少し、私自身が納得できる生をつづけられそうです。
節子からのエンパワーを、今も時々感じます。

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2009/11/17

■魔女狩りを感じさせる新聞

小沢さんの宗教関連の発言がまた新聞に出ていました。
それにしても、マスコミはなぜ瑣末な話題を仰々しく取り上げて、大事な話題を見過ごすのでしょうか。
しかも、政権関係者の落ち度や発言を見つけるとそれを増幅しがちです。

政府閣僚の不協和音とか政府と与党民主党の不協和音とか、ちょっとした発言の違いを捉えては、不協和音と叫び続けます。
どこが不協和音なのか、私には時にわからないこともありますが、新聞やテレビから何回も不協和音だと聞かされると、そういう気になってきてしまいます。

この頃、つくづく感ずるのは、最近の新聞の魔女狩り的役割です。
マスコミの影響力の大きさは甚大ですから、風評被害などで打ちのめされた人の話はよくありますが、実は打ちのめされているのは社会そのものかもしれないと思うことが増えてきました。

自民党政府の時もそうだったとすれば、これは私の偏見かもしれません。
権力に対して批判的なのは決して悪いことではないからです。
しかし、どうも自民党政権時代と、最近の民主党政権時代とは、マスコミの動き方が違うように思えます。
私が少し民主党に贔屓目のせいでしょうか。
そうであればいいのですが、何か権力の構造がパラダイム転換しているような気がするのです。
まだうまく説明できませんが、マスコミの批判は民主党ではなく、あるいは政府でさえなく、そうしたなかに芽生えてきた、新しい民主主義の萌芽に対する悪意のように感じられてなりません。
「魔女狩り」が始まった。
私の勘違いであればいいのですが。

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■節子への挽歌807:「知っていること」と「わかること」

小学校の同級生たちと久しぶりに会いました。
その一人は、私が節子を見送ったのと同じ頃、娘さんを見送りました。
そのために元気がなくなっていると彼と親しい仲間から聞いていました。
その話を聞いてからずっと気になっていました。
私は彼とはそう親しかったわけではありません。が、気になって一度電話をしてみました。
しかし、なんとなく迷惑そうな雰囲気を感じて、電話を切りました。
その気分もよくわかるような気がしたからです。

昨日、彼と話していて、私が妻を見送ったことに彼は気づいていないことを知りました。
間違いなく知っているはずなのですが、意識されていなかったというべきかもしれません。
かなり話してから、彼がぽつんといいました。
奥さんを亡くしたのか、と。
「知っていること」と「わかること」とは違うのだということを改めて気づかされました。
おそらく私も同じようなことをやっているのでしょう。
節子を見送ってから1年は、何かを「知った」としても、消化できずにいたことがたくさんあるはずです。
いろいろな「失礼」があったかもしれません。
しかし、愛する人を失った衝撃は、心身にそれほどの混乱を引き起こすのです。
知性では全く理解できないでしょうが、私の体験から、それは間違いないことです。

私と違って、彼は娘さんを亡くしました。
私が陥った混乱よりも大きかったようです。
奥さんがいるのだから、2人で取り組めるではないか、と私は思いますが、そう簡単なものではないのでしょう。
まだ混乱のさなかにいます。
それで彼と親しい仲間が、私と引き合わせたのかもしれません。
私の友人たちは、みんなお節介屋なのです。
もちろん彼らは私のこともとても気遣ってくれています。
それは痛いほどよくわかります。

彼と心が通じたのは、私が妻を見送ったことに彼が気づいた瞬間です。
そんな気がします。
彼の悩んでいる問題も少し理解できました。
それは他人事の問題ではなく、私の問題でもあります。
愛する人を失うと、人生は一変してしまいます。
その変化を過剰に感じてしまうのです。
最近、その理由が少しずつわかってきたような気もします。

少しずつこの挽歌でも書いてみようかと思い出しています。

節子
今日は冷たい雨の1日です。

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2009/11/16

■「世の中を治め」る経済と「人民を救う」経済

7~9月期の国内総生産(GDP)は年率換算で4.8%増となったそうです。
4~6月期に続き2期連続のプラス成長です。
経済は着々と良くなっているそうです。
でも、そうでしょうか。

経済統計は果たして実態を反映しているかどうか、などという問題提起をするつもりはありません。
そもそもどんな「実態」も、視点や見方によっていかようにも変貌するからです。
それに、そもそも経済という概念そのものも多義的です。

ウィキペディアによれば、経済という語は、「世の中を治め、人民を救うことを意味する経世済民を略したもの」とされています。
しかし、「世の中を治め」と「人民を救う」とは、決して同質な概念ではありません。

最近、さまざまなところで、生活目線の視点での仕組みづくりが進んでいます。
たとえば市民ジャーナリズムの試みや市民バンクの試みがあります。
生活のための通貨の試みもあります。
そうしたものは必ずしもうまくいっているわけではありませんが、一定の成果を出していることは否定できません。
さほど成功していないとしても、じわじわと広がっているからこそ、「世の中を治め」る立場の人たちからは目の敵にされるようになっているともいえます。

経済指標に関しても、幸福指標の試みはありますが、今のところまだ「世の中を治め」る視点が強いようにも思えます。
ブータンの国民総幸福量(GNH)も、そんな感じを受けてしまいます。
もっと私たち住民の暮らしやすさを示すような指標を考えることが大切なのかもしれません。

そもそも経済や暮らしやすさを数字量で示すこと自体がおかしいのかもしれません。
そんな気もするのですが、しかし、そうしたことを考えるプロセスはとても重要です。
私たちの(私の、ではありません)暮らしやすさこそが経済の中心となるべきテーマであれば、その構造を考えることこそが、経済の出発点でなければいけません。
私たちの暮らしぶりが一変してしまっているいま、経済学は根本から見直されるべきではないか。
そして生活ぶりを示す経済指標も、根本から考える時期にきているのではないか。
そんな気がします。

生活につながった、新しい経済指標づくりはとても魅力的なテーマです。
どこかでそうした議論は始まっていないでしょうか。
もしどなたかご存知であれば、教えてくれませんか。

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■節子への挽歌806:やはり現実にはおろおろしてしまいます

この数日、死についてえらそうなことを書いてきました。
昨日の挽歌を書き終えた時には、今度は「死への恐怖が全くなくなっています」というタイトルで書こうと思っていました。

ところが、その数時間後、電話がありました。
娘が出ましたが、訃報でした。
節子の見舞いにも来てくださったUさんが亡くなったのだそうです。
Uさんの実家(わが家の近くです)でUさんのお母さんの世話をしているお手伝いさんの小野寺さんが、泣きながら電話してきたのです。
小野寺さんは、その悲しい話をだれにも話す相手がいないため、ささやかに付き合いのあるわが家に電話してきたのです。

衝撃を受けました。
最近少し元気になってきて、自分で料理もつくれるようになったという話を聞いていたからです。
Uさんは我孫子ではなく、少し離れたところに住んでいます。
節子よりも少し後に、やはりがんが発見されました。
胃がんではなかったので食事もでき、見た感じは元気でしたが、かなり病巣は広がっていたのです。
節子が自宅でかなり病状を悪化させてしまってからも、一度、見舞いに来てくれました。
同じ病気なので、2人でがんばろうと誓い合っていた姿を思い出します。
節子が逝ってしまった後、庭に献花に来てくれましたが、その時は私が少しおかしくなっていて、どこのだれかがうまく思い出せずに、節子との別れ際の話をしてしまいました。
その頃、私は無性に誰かに節子のがんばりを話したかったのです。
後で娘から同じ闘病をしているUさんだと聞かされました。
とても後悔しました。
もっと元気が出る話をすればよかった、そう思ったのです。
言いかえれば、その頃のUさんは、とても元気だったのです。
でも聞きたくない話だったでしょう。

Uさんは節子より少し若いはずですから、節子と同じ長さの人生だったのかもしれません。
あの元気なUさんも、と思うと、心が痛みます。
むすめたちに、自分よりも年下の人の訃報はとてもつらいものだよ、と話しましたが、人はやはり年齢の順に旅立つのが心やすまります。

頭ではいろいろとわかっていても、実際に近くに人の死が起こると、やはり「おろおろ」してしまいます。
そして、なぜか宮沢賢治の「雨にもまけず」の一節を思い出しました。

日照りの時は涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず 苦にもされず
そういうものに わたしは なりたい

おろおろと生きる。
もしかしたら、私は少し無理をして生きているのかもしれません。
もっと「おろおろ」していいのではないか。
そんな気が急にしてきました。

おかしな話ですが、涙がとまりません。
なぜでしょうか。

たぶん全く知り合いのいない我孫子にやってきた小野寺さんが、最初に心を開いて知り合ったのが節子だったと思います。
節子が元気だったらどうするでしょうか。
節子は本当にこころやさしい人でした。
その節子が、私に涙を出させているのかもしれません。
涙とは本当に不思議なものです。
魂そのものではないかという気さえします。

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2009/11/15

■政治家の誠実さ

岡田外相がテレビの討論番組で沖縄米軍基地の問題について話していました。
その話し方の誠実さに感心しました。
これほど誠実に話している政治家はそう多くはいないように思います。

少し雰囲気は違いますが、その誠実さを鳩山さんにも感じます。
誠実な政治家がまた日本にも生まれだしたように思います。

10年以上前、私が事務局長をやっていたリンカーンクラブというグループの集まりに鳩山由紀夫さんをお呼びしたことがあります。
50~60人ほどの集まりで、もちろん政治をテーマにした集まりです。
少しお話をしてもらい、あとは会場の参加者と自由に話し合うという、私好みのカジュアルなスタイルでしたが、その時に感心したのは、鳩山さんが人を選ばずに全ての人に誠実に対応しようとする眼差しでした。
その集まりでは、毎年、いろいろな人をお呼びしましたが、鳩山さんの、素人っぽい対応がとても印象的でした。

当時は、自民党や社会党などの政治家とも少し接点がありましたが、普通の目を感じたのは鳩山さんだけでした。
目線が高かったのは、自民党と社会党でした。
社会党の目線の高さには驚きました。
もう昔の話ですが。

ところで、政治家の誠実さとは何でしょうか。
長いこと自民党の政治家をテレビなどで見慣れていたせいか、民主党の政治家の多くはみんな誠実に感じますが、しかし岡田さんと鳩山さんは私には別格に映ります。
鳩山さんの意見がぶれているという人もいますが、私にはぶれは感じません。
岡田さんと鳩山さんは、たしかに違いますが、私にはそれぞれの誠実さを感じます。
もしかしたら、眼差しがポイントなのかもしれません。

人の誠実さはどこに現れるのか。
岡田さんと鳩山さんを見ていると、なにやら安堵できるのは、私が贔屓目すぎるからでしょうか。
人としての誠実さと政治家としての誠実さは違うのかもしれませんが、この2人を見ていると政治への信頼が戻ってきます。
勘違いでないことを祈ります。

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■節子への挽歌805:涙は世界で一番深い海

昨日、「涙は世界で一番小さな海」の本を話題にしましたが、今日はその「小さな海」の話です。
昨日も書いたように、私にはその海は小さいけれど、「世界で一番深い海」のように思います。
その海の底は彼岸に届いているから、と昨日は書きました。

小学校の3年の時の学芸会で、私は「泣いた赤鬼」の赤鬼の役をもらいました。
戦争のために新潟県柏崎市に疎開していたのですが、そこで3年まで過ごしましたが、その最後の思い出の一つです。
舞台で最後に赤鬼がモノローグする場面があります。
その時、私は本当に涙が出てきてしまいました。
見ると最前列のおばあさんも泣いていました。
自分が本当に泣いてしまったことがとても恥ずかしくて、それ以来、誰かの役を演ずることができなくなってしまいました。
人の口調を真似ることさえできなくなってしまったのです。

私の涙はよくでます。
節子の前で涙を出したことも少なくありません。
節子は私の涙のことを良く知っています。
もちろん私も節子の涙はたくさん見ています。

テレビを見ていて、私たちはよく涙しました。
最初はお互いに気づかれないように涙をさりげなく隠していましたが、次第にその涙も共有できるようになりました。
私たちの涙はつながったのです。
テレビを見ている私たちの涙を見て、娘たちはよくからかったものです。
たしかになんでこんな場面で涙が出るのか自分でもおかしいと思うこともありました。
その意味をわかってくれるのは、節子だけでした。
そしてその節子がいなくなりました。

節子がいなくなって涙はますます出るようになりました。
一人で節子の写真をみていると、ただそれだけで涙が出てくるのです。
いまもそうです。
涙でパソコンの画面がにじんでいます。

みっともないという思いも、私のどこかにまだあります。
女々しいと笑う人もいます。
思い切り泣けばいいといわれたこともあります。
しかし、思い切り泣きたくなどはないのです。
女々しいと笑われたくもありません。
みっともないことはしたくないという見栄もあります。
でも、涙はそんなこととは無縁に、出てくるのです。

なぜでしょうか。
以前書いたように、悲しくもないのに突然に涙が出てきて、その結果、悲しくなることもあるのです。
私がコントロールできるわけではないのです。
涙がどこから湧いてくるのか、私には見えないのです。
時々、これは彼岸から湧き出てくる節子の涙なのだと思うことがあります。
節子が私をつかって涙しているのだと感ずるのです。

アンデルセンは「涙は世界で一番小さな海」といったそうですが、私も涙の湧き出てくる海の深さや広さを感じます。
思い切り泣いたので涙が枯れたと思った人もいるでしょう。
しかし涙の海は枯れるほど浅くはないのです。
きっとその人はいまもまた涙していることでしょう。

枯れることのない泉。
それが涙なのかもしれません。

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2009/11/14

■農的に生きることへの思い

この頃、なぜか「農」の話が私の周りでとても増えています。
まあ農業ブームですから当然なのですが、どこに行っても出てくるのです。

たとえば、今日、地元のある集まりがありましたが、そこのメンバーからも「地産地消の事業」に取り組もうという提案がありました。
昨日は、子育て支援の関係のグループと話をしていたのですが、京都の丹波に大きな土地があり、そこに「新しい村」のようなものができないかという話が出てきました。
つい先ほどは、私が自殺のない社会づくりネットワークに関わっていることを知った友人が、「人間らしい、生き方を求めて、コンクリートから土と、ともに生きる。そんな生き方をすれば、自殺願望者も、減ることでしよう。ぜひ提案を聞いてくれ」とメールが来ました。

火曜日には「半農生活をはじめよう」の著者がやってきましたが、彼のところには問い合わせがたくさん来ているようです。
ぜひ「農的に生きる」をテーマにしたフォーラムをやろうと提案しました。
来週の土曜日には、埼玉の浦和で「農と食、そして居場所」をテーマにしたコムケアフォーラムを開催します
認知症にも少し接点が生まれだしていますが、その関係の話をしていたら、土とのつながりや農的生活の話が出てきましたし、ともかくいろんなところで、農の話が出てくるのです。

みんな土が恋しくなってきたのでしょうか。
私も来年のテーマの一つに「農」を置こうと思っています。
しかし、昨今のブームには乗りたくありません。

今年の春に、支え合いサロンで農をテーマに2回ほど話し合いをしたのですが、どうも思うような方向には持っていけませんでした。
農とは何か、を一度、じっくりと考えてみたいと思っています。
どなたかそうした話し合いの相手になってくれませんか。
そして、来春にでも「農的に生きる」をテーマにしたフォーラムを一緒にやりませんか。
「百姓として生きる」でもいいのですが。

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■節子への挽歌804:「死は決して不幸な出来事ではない」

節子
北九州市の佐久間さんが「涙は世界で一番小さな海」という本を書きました。
佐久間さんは、節子のことを心配してくれたばかりではなく、節子がいなくなった後の私のことも心配してくれている友人です。
この本に関しては、私のホームページ(CWSコモンズ)のブックのコーナーで紹介させてもらいましたが、その冒頭に、「その海は、もしかしたら世界で一番深い海」かもしれない、と書かせてもらいました。
これは、節子を送った後の、私の実感です。
その海の底は彼岸に届いているからです。

それに関しては別に書きたいと思いますが、今日の話題は、その涙の海の話ではありません。
ホームページにも書いたのですが、その本のなかで佐久間さんは、日本では、人が亡くなったときに「不幸があった」と人々が言うことがとても気になっていると書いています。
いわれて見ると、私も節子を見送るまでは、全く抵抗なく、そういう言葉を使っていました。

佐久間さんはこう書いています。

わたしたちは、みな、必ず死にます。死なない人間はいません。
いわば、わたしたちは「死」を未来として生きているわけです。
その未来が「不幸」であるということは、必ず敗北が待っている負け戦に出ていくようなものです。
(中略)
わたしは、「死」を「不幸」とは絶対に呼びたくありません。
なぜなら、そう呼んだ瞬間に将来必ず不幸になるからです。
死はけっして不幸な出来事ではありません。
「死はけっして不幸な出来事ではない」。
1年前までであれば、たぶん私は受け容れられなかったでしょう。
しかしいまは素直に心に入ってきます。

「死」が「不幸」という場合、その不幸は「死者の不幸」か、「残されたものの不幸」か、があります。
両者は必ずしも同じではありません。
それに、一方の不幸が他方の幸福という関係もないとは言えません。

節子を見送った当初、節子が不憫でした。
節子の不幸を感じたのです。
しかし次第に、不幸なのは自分ではないかと思うようになりました。
残されたものの惨めさは体験したものでなければわからないでしょう。
でもそのうちに、不幸さという感じはなくなってきました。
さびしさや哀しさはあるのですが、それはどうも「不幸」とは違うのです。
それに、節子や自分を不幸と思えば、ますます気分が沈んでしまいます。
別れてもなお、これほど愛しつづけられる伴侶を持てたことが、不幸のはずはありません。
その幸せが思っていたよりも少しだけ早く断ち切られたにしても、それを不服に思うのはぜいたくだと言うべきでしょう。

さらにいえば、最近、死というものへの不安やおそれが全くなくなっている自分にも気づきだしています。
「死はけっして不幸な出来事ではない」。
佐久間さんの言葉に、さまざまな思いが去来しました。
なぜか今日は涙は出ませんでしたが。

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2009/11/13

■お上の目線と民の実状

今日もまたいろいろな人が湯島にやってきました。
最近また、いろいろな人が集まりだしています。
人が来るとライブな情報が集まってきます。

今日は、午前中は子育て、夕方は介護予防の関係の人たちでした。
いずれでも共通の話がでました。
東京や大阪と地方とは全く状況が違うのに、行政の取り組みの枠組みは東京で作られるため、無駄や無理が生じているという話です。

午前中は保育に関する待機児童の話とベビーシッター支援の話が少し出ました。
いま事業仕分けでこども未来財団が問題になっていますが、その設立時に、厚生労働省や日本生産性本部などの職員にも参加してもらい、ファミリーサポート研究会なるものをやっていた関係で、その取り組みの目線には違和感を感じていました。
しかしまあ、私が知る限り行政が作り出すもののほとんはそんな感じでしたから、気にもなりませんでした。
当時、経済的に大変な私立保育園に関わっていましたが、みんなが使えないほどの補助金が流れ出したので、その分野から私は抜けさせてもらったのはその少し後です。
こども未来財団は、子供の未来を壊しこそすれ、未来に役立ったことはしていないと、今でも思っています。
子育て環境は首都圏を前提にして画一的な制度を立ててはいけないと私は思っています。

介護予防に関してはもっとひどい状況が起こっているはずです。
介護予防政策が、むりやり介護予防該当者を作り出す構造があるというのは言いすぎでしょうが、そうならないとは言いきれません。

介護予防も子育ても、つまり福祉問題は全て、地域の生活文化に深くつながっています。
そのことを無視して、中央で制度を構築し、それを「分権」するというようなやりかたでは問題を複雑にするだけかもしれません。
今日は、そんなことを改めて考えさせられる話が多かったです。
しかし、そうした中から、その2つのテーマに関して、新しいプロジェクトに関われそうです。
楽しみですが、いささか心配です。

行政の福祉政策には全く興味を持っていないため、何一つ勉強していなかったのですが、少しは勉強しなければいけません。
この歳になって勉強でもないのですが。

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■節子への挽歌803:「新しい時間」

挽歌799に masa さんからこんなコメントをもらいました。

私も仏門に入る、出家をするという選択肢があるんだなあと思ったことがあります。
主人のことを偲んで、主人の霊が安らかであることを祈る日々・・・
それで十分だと思いました。今もほとんどそれに近い毎日です。

でも、先日主人の写真に向かって話している内容が「主人と共有していた時間とは違う新しい時間」だということに気がつき、そうなのか・・何も出来ないって思ってたけど「何かしら」が動いているんだなあと思いました。

この挽歌には、時々、コメントが投稿されるほか、直接、メールが来ることがあります。
時には直接会いに来てくれる方もいます。

masa さんは以前もコメントを下さった方ですが、まだお会いしたことはありません。
その人の顔が見えていると、文章の意味も読み解きやすいのですが、そうでないと文章を読み解くのはとても難しいです。

コメントの前半はいいとして、後半の「主人と共有していた時間とは違う新しい時間」という言葉が気になりました。
もちろんmasa さんのことではなく、私自身はどうだろうかということが気になったという意味です。
「節子と共有していた時間」と「今の時間」。
そんなこと、どうでもいいだろうと思われるでしょうが、愛する人を失った者にとってはそれなりに気になることなのです。
このコメントをもらってからもう4日ほど経過しますが、そのコメントに返事は書けずにいます。

masa さんはまた、「何かしらが動いている」と書いています。
これも気になった言葉です。
私も同感なのですが、それが何なのか、よくわかりません。
時間などいくらたっても、この気持ちは風化などしない、という確信は全く変わっていません。
節子への愛おしさや、その不在の哀しさは高まりこそすれ、弱まりはしません。
しかし、どこかで何かが変わっているような気が、たしかにするのです。
もしそうであれば、それが「新しい時間」なのでしょうか。

「新しい時間」はいうまでもなく「新しい世界」につながります。
「そんなはずはない」と思うのですが、「そうかもしれない」と思う気持ちもあります。
節子がいたら、この難問を解くヒントをくれるのでしょうが。

もう少し考えてみたいと思います。
まあ、愛する人を失うと、こんな問題についつい引き込まれてしまうのです。
困ったものです。

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2009/11/12

■節子への挽歌802:我孫子は冬になりました

節子
我孫子は冬になりました。
今日の空は間違いなく冬空です。
寒くなりました。

節子も知っているように、私は四季のすべてが好きでした。
夏には夏の、冬には冬の魅力があったからです。
節子もそうでした。

今日は自宅で過ごしています。
節子がいなくなったせいか、時々、息切れるのです。
時々、自宅でゆっくりしないと心身の整理がつかなくなってきたのです。
節子がいた頃はこんなことはまったくありませんでした。
思い切り走っていても、節子が私のペースメーカーの役割を果たしていてくれました。
それに時折、節子に埋没したくなったりして、立ち止まることができたのです。
今は、それがなくなりましたから、走り出すととまらないのです。
心配してくれる人もいますが、節子の声には耳を傾けられますが、ほかの人の声にはあまり聴く耳をもてません。
一般論だからです。
伴侶は、相手と生活を共にしながら、一般論ではない注意をしてくれるのです。
それができるのは、生活を共にし、世界を共にしていればこそです。

私は、一般論の嫌いな人間です。
一般論としての正論には無意識に心身が反発してしまうのです。
一言でいえば、「性格が悪い」のでしょう。
それは、このブログの時評編を読んでくださっている方には伝わっているかもしれません。
その性格は悪かろうと良かろうと、直しようがありません。

私たち夫婦は、お互いに相手のことを「性格が悪い」と指摘しあっていましたが、実はお互いに相手の性格にほれ込んでいたのです。
性格は見方によって、悪くも良くも見えるものです。

さて冬空です。
冬空を見ているとなぜかとても哀しくなります。
でも時々、雲の間から太陽がわずかばかり顔を出します。
雲が重く重なっている合間から一瞬、陽光がさす瞬間は心が動きます。
冬空も、見方によっては暗くも明るくも見えるものです。

しかし、こういう風景が節子はとても好きだったなと思い出したりすると、ますます哀しくなります。
困ったものです。
自宅でゆっくりしてしまうよりも、息切れても、やはり走り続けているのがいいのかもしれません。
まだ、自分の生き方のリズムがつかめません。

やはりちょっと出かけてこようと思います。
どこに行くか、それが問題ではありますが。

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■「私の話も聞いてください」

政府による「事業仕分け」作業が始まりました。
その様子をテレビで見た友人からメールが来ました。
一部だけ引用します。

私もネット配信で少し見ましたが、暴力的な印象は否めませんでした。
地方での事業仕分けもこの傾向があったとは聞いています。
佐藤さんはどのように思われますか?
産経新聞の記事にこういうのがありました。
文部科学省の所管事業を担当した第3ワーキンググループでのやりとりです。
蓮舫参院議員が「女性教育会館の稼働率は?」とたたみかけると、同館の女性理事長は「44%…」と小さな声で答えるやいなや反撃に転じ、「私の話も聞いてください。一方的にただ質問に答えろというのは心外だ」と声を荒らげた。
この場面はテレビでも流れました。
友人はおそらくこの理事長に同情したのでしょう。
そういう人も少なくなかったのではないかと思います。
テレビは、映像のモンタージュ効果を今回も効果的に利用しています。

その場面を見て、私は、その理事長はこれまでずっと自分が「私の話」だけを話していたのだろうなと思いました。
誰かの話を聞く謙虚な姿勢があれば、決して、事業仕分けの対象事業にはならなかったでしょう。
「私の話」だけしか話し続けずに、自己正当化だけで生きてきた人の貧しさを感じました。
それに、今回は質問に答える場であることを彼女は全く理解していませんでした。
状況の理解力やコミュニケーション能力がまったくないのでしょう。
そういう官僚は少なくありません。
なぜなら彼らにとってのコミュニケーションは、お上の伝達でしかなかったからです。
「私の話も聞け」だったのです。
それはコミュニケーションではありません。

専門家と市民が一緒になって技術評価をするコンセンサス会議に取り組んできた小林傳司さんがその著者で書いています。
「専門家は市民が学ぶことに驚く。しかし市民は専門家が学ばないことに驚く」
とても示唆に富む言葉です。
そしてこの主語を他の言葉に置き換えると、いろいろなことが見えてきます。
「行政と住民」「企業と顧客」などなど。

仕分け作業の場合はどうでしょうか。
学ぶべきは誰か。
何のための作業なのか。

私は、上記の女性理事長のような人が無駄遣いの元凶だと思います。
彼女たち、彼らたちが、「善意」でこの国をだめにしてきたのです。
それに気づいてほしいものですが、彼女はおそらく生涯気づかないでしょう。
私の周りにもそうした人たちがたくさんいます。
私が人生を途中で降りたのは、そうなりたくなかったからです。

しかしそうなっていないかどうかには自信はありません。
まだまだ私憤が残っているのは、やはり同じ土俵で生きているということかもしれません。
困ったものです。

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2009/11/11

■八ッ場ダム建設問題と住民の生活保障問題

朝日新聞の夕刊に乗っていた小さな記事です。

八ッ場ダムを巡って、民主党群馬県連所属の7人の衆参議員団は、11日、中止後の新たな生活再建策について提言をまとめ、前原誠司国土交通相に手渡した。国、県、地元の長野原町などと住民で新しい生活再建案と補償案を策定する協議機関を設け、地元住民の意向を踏まえて、国が再検案を示していくことを求めている。
ダム建設はマクロ的な問題です。
それに対して生活保障は住民一人ひとりのミクロ的な問題です。
次元も違えば、問題の性質が全く違います。

日本のこれまでの政治は、マクロ優先でした。
それが中央集権・地方分権の政治パラダイムです。
つまりマクロ(お上)に個々の住民(民)が合わせられていたのです。

それに対して、生活起点での政治はミクロから発想します。
それが地域主権・住民主役の政治パラダイムです。
住民(主権者)の生活を支えていく政府という発想です。

ダム問題がやっと生活視点で語られるようになったことを、この小さな記事は教えてくれます。
ダムが問題ではなく、仕事や生活が問題なのです。
問題の設定を変えるだけで、新しい解決策は見えてきます。
これはダム問題に限りません。
沖縄の基地問題も、問題の設定の次元から考え直したら違った展望が見えてくるかもしれません。

それは全ての問題にいえることです。
自民党政権とは違った発想で問題を立てている新政権の姿勢を私たちはもっと肯定的に評価すべきではないかと思います。

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■節子への挽歌801:「父の死を友人に話せませんでした」

私が取り組んでいる「自殺のない社会づくりネットワーク」を知って、「自殺」に関する話を聞きたいと大学生の若者がやってきました。
卒論のための取材です。
もちろん初対面です。

実は2年前に父が病気で亡くなりました、と彼は話し出しました。
51歳だったそうです。
それが「生と死」への関心を高めた契機だったそうです。
自分は「自殺」など思ったこともありませんと彼はつづけました。
そういうやりとりで、すっかり心が開かれました。
私も同じ頃、女房を見送った、と話しました。
そうなると不思議なことなのですが、同じ世界の人になってしまえるのです。

「父が亡くなったことを友人にしばらく言えませんでした」。
それがなぜかは私にはもちろんわかりませんし、おそらく彼にもわかっていないでしょう。
もちろん「なぜ言えなかったのか、あるいは言わなかったのか」を、彼は説明してくれましたが、それは所詮は説明でしかありません。
私自身の体験から、その説明は嘘ではないですが、十分な理由でもないような気がします。
つまり本人もわからずに「言えなかった」のです。
私自身の体験から、そんな気がしてなりません。
それに、理由などわかる必要もありません。

大事な人を失うと「素直」でなくなるよね、と私は言いました。
彼は否定しませんでした。

彼の祖父母はまだ健在です。
息子が先に逝ってしまったことを祖父母はとても悲しんだようです。
その哀しさや辛さがわかります。
わずかに数歳しか年上でないにもかかわらず、自分より若い節子を見送ることはほんとうに思ってもいないことでした。
ましてや、子供が先に行ってしまうことの悲しさや辛さはいかばかりでしょうか。
最近、やっとそういうことにも私自身、思いを馳せることができるようになりました。
人はやはり年齢の順番に彼岸に旅立っていくのがいいです。
それはみんなある意味で覚悟ができているはずですから。

節子は62歳で彼岸に旅立ちました。
彼の父親は51歳。
あまりにも若いです。

彼のために何かできることはないか、考えてみましたが、思い当りません。
節子だったら何というでしょうか。

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2009/11/10

■企業が変わりだす予兆

昨日、経営幹部の方々を対象としたあるフォーラムで少しお話をさせてもらいましたが、かなり過激な話だったので、おそらく中には反発を感じた方もいるでしょう。
まあ、いつも私が話していることではあるのですが、今回は「金融資本の跋扈」などという、言わなくてもいい表現までついつい言ってしまいました。
金融関係の企業の人も少なくないので、いささか刺激的過ぎたかもしれません。
しかし、最近はこうした私の発言も少しずつですが伝わるようになりました。
同世代の知人たちは、ますます遠のいていくような気配は感じますが、まあそれも仕方がありません。

昨日の集まりは、経営道フォーラムという、25年前からの活動の発表会でした。
発表会の冒頭に少し話をさせてもらい、そこでもまた余計な一言を言ってしまいました。
バブル期の企業のあり方に危惧を持ってはじめたこの経営道フォーラムも、残念ながら成功していない、と言ってしまったのです。
私がやっているわけではなく、山城経営研究所というところがやっているのですが、考えようによっては大変失礼な発言です。
しかし、25年も企業経営者に「経営道」(経営の心と道)を訴える活動をし、既に1000人を超える受講生が出ているのに、日本の企業は決してよくなっていませんから、私の評価には反論できないでしょう。
しかし、折角の努力を否定するような発言はよくないかもしれません。

なぜ成功しないか。
私にはもちろん理由はわかっています。
それも事務局には何回も言っています。
要するに講師が悪いのです。
これまでの経済を支えてきた経営者を講師に呼んでいる限り、経営道などは身につきません。
私はそう考えています。
変革は辺境から起こる、その基本を忘れてはいけません。

1980年代ころから、日本の企業は変質しだしました。
「財テク」という言葉が生まれた時代です。
私が会社を辞めたのは、1989年です。
時代に抗して、会社で起こした企業文化変革活動は残念ながら挫折しましたが、そのおかげで会社を辞める決断ができました。

以来、20年、外部から見ている日本の企業の変質には大きな失望があって、仕事をするモチベーションが起きないまま、今になってしまいました。
しかし、もしかしたら、ここに来て、日本の企業は変わりだすのかもしれない。
昨日の集まりで、そうしたわずかな予兆を感じました。

このブログでも、そうしたことを少しずつ書こうと思います。
やはり企業がどう動いていくかが、社会の状況を変えていくことは間違いありませんから。

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■節子への挽歌800:レインボーブリッジの夜景を見ながら思ったこと

節子
昨日、芝浦のホテルでのフォーラムに参加しました。
懐かしい面々が参加してくれました。
もう20年以上関わっている企業の経営幹部の人たちの集まりですが、みんなどんどん変化していきます。
こうした集まりにも、節子は時に付き合ってくれましたが、私とは違った視点で、そうした人たちの人物を感じ、私も節子を通して企業経営者を見る目を持たせてもらいました。
女性の目、生活者の目は、実に辛らつです。
子供の目と同じで、人の本質を見抜きます。
そこでは小賢しさなどは全く通用しないのです。

みんなに議論してもらっている間、東京湾が見えるロビーで、そんなことを思い出していました。
レインボーブリッジの夜景が、とてもきれいでした。

ふと思いました。
こういう夜景のきれいなレストランで、節子と食事をしたことがあっただろうか。
こうした場所に、節子を連れて行ったことはあっただろうか。

私は、こうした華やかというか、贅沢というか、そうした場所が不得手でした。
仕事の関係で、会社時代は時々、そうした場所にも行きましたが、まったくと言っていいほど、価値が見出せないのです。
貧乏症なのか貧乏そのものなのか、区別は付け難いですが、節子も私も、そうした場所への関心はありませんでした。
しかし、今から思えば、節子をそうした場所に連れて行かなかったことが悔やまれます。
このレインボーブリッジの夜景を見たら、節子はどんなに喜ぶでしょうか。
節子は私と違い、素直に喜ぶタイプでした。
私は、この夜景に一体なんの意味があるのか、などと憎まれ口をたたいてしまいがちでしたが。

節子は、つつましやかな日常の中に、ちょっとした「ハレ」の場面をつくるのが好きでした。
それを楽しんでいたのです。
お金などなくても、ハレの場はつくれます。
節子から学んだことはたくさんありますが、学んだだけではやはり実践はできません。
あれは節子の天性でした。

私は、いつか思い切り贅沢な体験を節子にさせてやろうと思っていました。
同窓会などで、名前も知らない豪華なお店で奥さんと一緒に食事をした話を同窓生から聞いたりすると、何だか「罪の意識」を感じてしまうことが時々あったからです。
しかし、それを実現させてくれないまま、節子は逝ってしまいました。
それがとても悔やまれます。
苦労ばかりかけて(節子は苦労などとは思っていなかったでしょうが)、節子に一度も贅沢な体験をさせてやれなかった。
夫としての不甲斐なさを反省しています。
節子が何と言おうと、一度くらいは連れていけばよかったです。

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2009/11/09

■節子への挽歌799:脱余生考

節子
また新しい週の始まりです。
今日もまた無事に過ごせた、と日々、感謝していた節子と違って、最近の私はかなり惰性的に生きています。
節子に叱られそうですが、日々の感謝の気持ちが薄れていることは間違いありません。
人間はほんとうに現金なもので、何ごともないとそれが当然のことだと思いがちです。

しかし、もしかしたら、私が惰性的なのは、そのためではないのかもしれません。
最近、改めて「余生」という言葉が気になりだしています。
余生。「余った生」。
余った生であればこそ、生きる真剣みが出てこないのかもしれません。

節子のいない今は「余生」だとして、では節子がいた時は、「目的を持った生」だったのか。
その「目的を持った生」が、節子を見送ることで終わってしまった。
そう考えていくと、結論はこうなります。
「私の生きる目的は節子を見送ることだった」。
心が萎えてしまうような結論ですが、どこかに論理的な間違いがあるでしょうか。

では節子の生は何だったのか。
それは、「私に見送らせること」だったということになります。
こう考えると、夫婦になるということは「相互に生きる目的を与えること」ということです。そして、必ず一方に「余生」が生じるわけです。

伴侶を失った後、仏門に入り、伴侶の供養に生涯を捧げる生き方もあります。
それは「余生」なのでしょうか。
「愛する人」を供養するというはっきりした目的がありますから、これは「余生」とは言い難いですね。
「余生」などではなく、最後まで誠実に、真実の生を送ることもできるわけです。
戦国武将の妻たちにとっては、それこそが一番の真実の生だったかもしれません。

供養は出家しなければできないわけではありません。
そうであれば、今のままでも、節子のために生きることが可能です。
「余生」などと思わずに、惰性に流されるのではなく、もっと意味ある生を生きなければいけません。
そんな気がしてきました。

これからは毎朝、元気に目覚められてことを感謝していこうと思います。
なにやら節子の考えそうな生き方になってきてしまいました。
もしかしたら、節子が憑依しているのかもしれません。

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■なんでそんなに詳しく、何回も報道するのですか

最近、あまり知りたくもない殺人事件の詳細がなぜか毎日、繰り返し繰り返し報道されています。
しかも、遺体の一部が発見されたとか、それはどういう状況だったとか、それを知ってどうなることでもないような話をテレビは得々と報道しています。
NHKのニュースまでもが、この数日、最初の10分近くがそのニュースです。
あまりにひどさに、チャンネルを変えて、もう終わっただろうとチャンネルを戻すとまだやっています。
最近のNHKの報道のディレクターは、猟奇事件マニアなのでしょうか。

こうした事件に関する報道ルールというのがあるはずですが、最近の報道の仕方は、同じような事件の誘発を誘っているのかと思いたくなるほどです。
どうしてこんなに詳しく報道するのでしょうか。
何かから目をそむかせるためなのでしょうか。

国会議論で、みんなの党の渡辺さんが、新党結成のその日に、酒井法子の事件が起こり、そのため報道はその事件ばかりで結党がかすんでしまったと、冗談を話していましたが、これは必ずしも冗談ではありません。
誰かがやらせたなどと言うつもりはないですが、そういうことがあっても不思議ではありません。

NHKも含めて、いまやマスコミはほぼすべてお金次第でしょうから、真実を伝えるよりは、無意味な情報や刺激的な情報で、私たちの感性をコントロールしているというべきかもしれません。
それにしても、この3日間のニュースはひどいです。
殺人の方法や逃亡の方法、あるいは詐欺の方法を教えるよりも、もっと大事なことがあるはずです。
NHKの視聴料は払いたくないですね。
実際に、この数日、テレビのニュースは見なくなっています。

何を報道すべきか、その目利きが今の報道機関には不在なのでしょうか。
そのことが社会に与える影響は甚大です。

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2009/11/08

■節子への挽歌798:節子の寝顔ももうありません

節子がいなくなっても、節子に話す時間はそう減ったわけではありません。
節子からの返事がありませんので、話し合いとまではいきませんが、節子に問いかけたり話したりすることは多いのです。

節子がいなくなってから、夜の眠りが浅くなりました。
2年以上経過するのに、まだもとに戻りません。
そして、明け方の4時か5時に目が覚めることがよくあります。
そこで1時間近く節子と話をするわけです。
もちろん声には出しませんし、話しているうちにまた眠ってしまうので、もしかしたらそれもまた夢かもしれません。
しかし、そういう時に話し合ったことを挽歌に再現しようと思っても、また眠ってしまうとなかなか思い出せません。

以前は、夜中に目を覚まして眠れなくなったら、いつも隣の節子を起こしていました。
節子と少し話しているとまた眠れるからです。
節子はも迷惑だったでしょうが、逆の場合は私を起こしていいよと言っていましたので、当然のこととして、私は節子を起こしてしまっていたわけです。
夫婦は苦楽を共にしなければいけないというのが、私の勝手なルールです。
まあ眠れないことが、共にすべき苦楽になるのかどうかは問題ですが。
しかし、いまはそうした苦楽を共にする節子がいません。
夜中に目が覚めるのは、結構、苦痛です。
昔は、芽が覚めて、隣の節子の寝顔を見るのが私はとても好きでした。
さほど美人ではないにしても、私には最高の寝顔だったのです。
すべての迷いや悩みが解決しました。
時には見とれていることもありました。

私たちは枕を並べて寝ていましたが、節子は隣で私が本を読んでいる間に眠るのが好きでした。
隣で私が本を読んでいると安心できるといっていました。
その頃は、いつも眠る前に本を読むのが私の習慣でした。
しかし、その習慣も今はもうなくなりました。

昨夜も1時間ほど、明け方に節子と話しました。
なんだかとても大事な話をしたような気がするのですが、半日、思い出そうと努力したのに思い出せません。
結局、寝顔のことを書いてしまいました。
困ったものです。

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■罪を償わない政治家と経済学者の厚顔無恥

今朝、テレビの時事放談に自民党議員だった野中広務さんが出ていました。
日本の政治を私物化して破壊した張本人の一人ですが、よくまあこんなことが言えるなと思うことを毎回発言しています。
彼は警察官僚ですから、自らが正義で、敵を執拗に破壊する姿勢をもつと同時に、自らの正義を実現するためには手段を選ばない狡猾さに長けています。
細川政権の攻撃の際の姿勢は、国のことなど全く考えない暴力団の抗争のようなやり方でした。

とまあ、時評を再開しだした途端に、過激になってしまいましたが、国会での議論などで、議論されているさまざまな問題を起こし、解決するどころか問題を増幅させてきて、破綻直前まで持ってきた自民党の政治屋たちが、熱心に問題解決に取り組もうとしている新政権の行動を、自らのしたこと、してこなかったことを棚にあげて、お気楽に非難している無責任佐藤修ぶりに、心底、腹が立っています。
まさに「盗人の開き直り」。自民党の政治家は全員、罪を償えと言いたい気分です。
しかし、ジャーナリストも有識者も、そうした罪の片割れを担っていますから、そういう発言をする人は少ないです。
テレビのコメンテーターに関しては、もうどうしようもありません。

金儲け主義で経済をダメにしたことに加担した経済学者や経営学者も、私には腹立たしい限りです。
要領のいい中谷巌さんのような小賢しい人はともかく、多くの人はだんまりを決めていますが、今なお自分のやったことの意味などわかっていないのかもしれません。
まあ、人ごとではなく、私も偉そうなことは言えませんが、一応、1980年代に会社にいて、このままではどうやらおかしな方向に行きそうだと感じて、会社を辞めて以来、それなりに少しは自らの生き方を変え、活動もその方向でやってきました。
おかげで、自分自身の生き方にはあまり悩むことはありません。

人は間違いを犯すものです。
ですから政治家も経済学者も、この30年をきちんと総括して、もし間違いがあれば(間違いがなければ今のような日本にはなっていないはずです)、そこを正し、これからの視点で、新たな努力をしている人に加担していくべきです。
野党だから与党に反対しなければいけないわけではありません。
間違いを犯した経済学者や経営学者も、私欲を捨てれば、新しい状況を生み出す働きはできるはずです。

時評を書くのは、やはり精神健康上、よくありません。
しかし、誠実にがんばっているように思える長妻さんや岡田さんを見ていると、やはり時代から離脱するのは恥ずべきことだと思います。
自分のできることをやっているだけではなく、
時代の動きにはきちんと対峙していくべきだろうと思います。
そうしないと、生きている意味がありません。

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2009/11/07

■節子への挽歌797:ラ・フランス

節子
吉田俊樹さんからラ・フランスが送られてきました。
吉田さんとは、挽歌164で書かせてもらったYTさんです
吉田さんは一つ送ると2つ送ってくるという、ポトラッチ型の人なので、どうしたものかと思っていますが、とりあえずお礼の電話をしました。
彼は不在で、奥様が電話に出ました。
初めてです。
「千葉の佐藤です」といってもすぐにはピンと来なかったのですが、会社の同期の、といったら、「佐藤修さんですね」とわかってもらえ、それに続けて「とても仲の良い夫婦」という言葉が出てきました。
私たちは吉田夫妻とは会ったことがありません。
でも、その吉田夫妻にまで「私たち夫婦の仲のよさ」は伝わっていたのです。
こんなうれしいことはありません。
ちなみに、なぜか吉田さんも私のことを昔から「修ちゃん」と呼ぶのです。

吉田さんは不思議な人です。
彼は修士でしたから、入社は同期ですが、年上です。
私がこれまで会った中でも、特別といっていいほど、変わった人です。
誤解されると悪いのですが、自分をしっかりと生きているという意味です。
私もそうなりたいと思っているのですが、吉田さんは私が会った時からそういう生き方でした。
小賢しさは皆無、純粋に素直で、宮沢賢治の「雨にもまけず」の人に似たところがあります。
もちろん「でくのぼう」ではありません。
優秀なエンジニアで、今も思いのままにお金とは無縁の社会活動をしています。
電話の時も、その関係で外出していたのです。

初めてであるにも関わらず、奥さんといろいろと話させてもらいました。
ラ・フランスなどたくさん送っても、すぐダメになるし、きっと迷惑だといっているのですが、故郷の山形を応援したいといって、いろんな人に送っているのです。もらってやってください。
ただのポトラッチではないですね。
吉田俊樹さんらしいです。
彼は米沢出身だったのです。

節子は吉田俊樹さんのことは知っています。
私たちと吉田さんとは関東と関西だったので、節子が元気だった頃は、一度も行き来がありませんでした。
しかし、にもかかわらず、吉田夫妻の間で、私たちの夫婦の仲のよさが語られている。
どうでもいいでしょうが、私にはとてもとてもうれしいことでした。

ちなみに、ラ・フランスとリンゴの置物を節子は一時期、コレクションしていました。
もちろん吉田さんは、そんなことなど知る由もありません。

節子の位牌に吉田さんからのラ・フランスを供えました。
節子は、ほんとうに幸せな人だとつくづく思います。
もちろん私もです。

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■情報の非対称がもたらす無駄

社会が抱える問題はあまりにもたくさんあるため、なかなか一つひとつにきちんと向かい合うのは難しいです。
しかし、当該地域の住民たちには切実な問題ですから、真剣にとりくまなければいけません。
しかし、それが可能になるためには「情報の非対称」を克服する姿勢が、情報をたくさん持っているほうになければいけません。

たとえば、宮崎県の川南町の「切原ダム」の報道を見ると、むしろ「情報の非対称」が国や県によって利用されているように感じます。
宮崎県の知事には私は全くと言っていいほど信頼感を持っていないので、いささか厳しすぎる評価かもしれませんが、県による詐欺行為としか思えません。

私が、民営化や市場システムに立脚する考えに懐疑的なのは、あるいは民主主義制度に懐疑的なのは、情報の非対称を克服することは現実には不可能だからです。
むしろ「近代社会」の諸制度は「情報格差」によって支えられているというべきです。

情報の非対称性が存在する場合、取引の当事者のいずれか一方だけの不確実性が高くなる。情報の非対称性は、情報優位者にとって有利な結果をもたらし、市場の取引が円滑に進まなくなってしまう場合がある。

2001年にノーベル経済学貧を受賞した経済学者アカロフは、情報の非対称性が存在する市場システムでは非効率性が発生することを証明しました。
アカロフの指摘を待つまでもなく、そんなことは生活は百も承知です。

切原ダムの事例では、当該地域の農民たちは国や県が少しずつ出す情報に振り回されて、少しずつ妥協してきました。
しかし、そうした行動が自らの子孫たちに大きな負担を残すことにようやく今気づいてきたのです。
しかしすでに時は遅いのです。
資本の道化役の東国原知事の本質は、前回の衆議院選挙立候補で露呈したはずですが、まだまだ農民は従順な生き方から抜け出られません。
明治維新以来の学校教育の成果の凄さを感じます。
私たちはまだ「お上」の声にはどこかで従順になる心根を持っているのです。
こんなことを書いている私も、おそらくいざとなると同じでしょう。
お上に反発することとお上に従順なことは同義です。

この「情報の非対称」がもたらす大きな無駄は、しかし、時に社会を大きく壊しかねません。
今の国会議論を見ていると、それを感じます。
脱官僚を成し遂げるには、この「情報の非対称」に対して、別の舞台設定が必要なのですが、そうしたことを考える知恵者は民主党にはどうもいないようです。
その理由は、情報の非対称の構造の中で、彼らが権力を勝ち取ってきたからです。
情報構造のパラダイム転換ができないのです。
私は、唯一、情報構造のパラダイム転換をしているのは鳩山首相だけのような気がします。
まあ、気がする、だけですが。

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2009/11/06

■がんばっている人がいたら応援しないといけません

最近また時評が書けなくなりました。
マスコミの取り上げる話題は瑣末な話ばかりです。
国会の議論も、どうしようもないほどに瑣末です。
自民党の若手議員の質問を見ていると哀しくなります。
若さの特質である「志」が全く感じられません。
そうした瑣末な話題に一喜一憂し、時評しているなどというのは、さらに瑣末なことです。
そんな瑣末なことをしているくらいなら、何もしないほうがいいのではないかと思いたくなります。

昨日も夜まであるNPOの話し合いがありました。
帰りは、その事務局長と一緒だったのですが、本当はこんなことをやりたくないし、Fさん(事務局長)にも会いたくなんかないんだと、話してしまいました。
そのNPOの立ち上げは、私もコアメンバーで、その事務局長をお願いしたのも私なのですから、Fさんがムッとするような発言です。
事実、そういう話をするといつもFさんはムッとします。
しかし事実なのだから仕方がありません。
できるならば、社会のことなど関わることなく、空でも見ていたいです。

こんな活動をしようとしまいと、朝になれば太陽は上がってくるし、夕方には沈んでいく。
時期がきたら人は死んでいく。
今やっていることは、余計なことなのではないか。
まあ、時々そんな気になるのです。

今日、あるNPOのメンバーと大企業の人たちとの出会いの場をつくりました。
まあ、上記の流れでいえば、瑣末な、しかも余計なお世話かもしれません。
しかし、そのNPOの代表の人がこんなようなことをいいました。
仲間にがんばっている人がいると、その人を応援するのが私たちのやり方なんです。
その方は、私も尊敬する高名な方です。
その言葉を聞いて、ハッとしました。

私もそういう生き方をすると10年前に決めたはずなのに、歳のせいか、最近は楽をしようとしがちです。
瑣末なことかもしれませんが、やはり空だけではなく、しっかりと現実をみるようにしましょう。
明日からまた時評を毎日書きます。
たぶん。。

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■節子への挽歌796:夫婦喧嘩では絶対に謝らなかった節子

節子
夢をみました。
喧嘩をしている夢でした。

たまにしか夢にも出てこないのだから、喧嘩などしなくてもいいのですが、お互いに頑固に自分の考えを譲り合わないまま、喧嘩になっている夢でした。
目が覚めたら、何で喧嘩になったのか思い出せません、
思い出せるのは、自己主張を変えない節子の頑固さぶりです。
全くもって腹立たしい。
節子の性格は、彼岸に行っても変わっていないようです。
「馬鹿は死ななきゃなおらない」といわれますが、「頑固は死んでもなおらない」ようです。

節子は、時々、絶対に自分の間違いを認めないことがありました。
そうした時には、それこそテコでも動かないのです。
その頑固さは徹底していました。
それでよく喧嘩になりました。
まあ、いつもたいした問題などではないのですが、問題は何であれ、間違っているくせに相手が間違いを認めないほど腹の立つことはありません。

喧嘩が終わって謝るのは、いつも私でした。
間違っていないのに謝るのもおかしな話ですが、まあ冷静になると、間違っているかどうかさえ瑣末な話のことが多いのです。
でも、これも納得できない話で、時々、節子に「なんでいつも謝るのは私なんだ」と異議申し立てをしましたが、節子の態度は最後まで変わりませんでした。
夫婦喧嘩で節子が私に謝った記憶はあまりありません。

ということは、私のほうがいつも悪かったということになりかねませんが、そんなことはありません。
明らかに節子のほうが悪かったこともあったはずです。
しかし、今となってはもう証明しようもありませんが。

喧嘩では謝りませんでしたが、節子は病気になってからは何回も私に謝りました。
節子が一番私に謝ったのは、私を置いていくことでした。
「謝っている節子」の姿はよく思い出します。
謝らなくてもいいのに、節子は本当にすまなさそうに謝ってくれました。
謝るべきは、私のほうなのに、といつも思っていたのですが。

でも夫婦喧嘩ではどうして節子は謝らなかったのでしょうか。
節子は夫婦喧嘩が嫌いでしたが、私はもしかしたらけっこう好きだったのかもしれません。
今ではもう、位牌の前で節子に謝ることしかできません。
もう一度喧嘩をして、今度こそ節子に謝らせたいと思うのですが、夢の中ではなかなかうまくいきません。
夢の中ではなく、もう一度、喧嘩をしたいです。

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2009/11/05

■節子への挽歌795:私の世界はしぼみだしていることに気づきました

昨日、モダンバレーの発表会のことに言及しましたが、それを書いた後、思い出したことがあります。
フラメンコの発表会に行ったことです。

山形でフラメンコをやっている人が東京で発表会をやるのでといって招待券を送ってきました。
節子が行きたいというので、私は気が進まなかったのですが、行きました。
彼女はその後結婚して渡米しましたので、翌年は行かずにすみました。
私は、フラメンコもあまり興味が無いのです。

会社を辞めてから、さまざまな人たちとの付き合いが広がりましたので、いろいろな人からいろいろな案内が届きました。
正直に言えば、興味のあるものもあれば、腰が引けるものもありました。
でも2人のどちらかが行こうといえば、私たちは原則として2人で行きました。
会社を辞めて、もう一度、2人での生活を創りあげようと思っていたからです。
今から思えば、私が無理やり節子を誘ったほうが多かったかもしれません。

東京郊外の工場跡地を舞台にした前衛劇「リア王」の誘いを受けたことがあります。
湯島のサロンにやってきた前衛劇に取り組んでいた鈴木さんという演出家からの誘いでした。
これはもう全く訳がわからないだけではなく、一緒にいった娘は見ている途中で気持ちが悪くなってしまったほどでした。
真面目な節子にはいささか刺激が大きすぎたかもしれません。

ある新興宗教が主催した僧侶たちが後楽園ドームで読経するイベントなどがあります。
これは節子も喜ぶだろうと思いましたが、節子どころか私も退屈しました。
演出が全く悪かったのです。

節子も私も感動したのは、サントリーホールで聴いたベルリン・フィルの「運命」でした。

私は、どんなイベントも一人で参加できないタイプでした。
仮に行っても、途中で帰りたくなるのです。
そうした性格のため、節子は本当にいろんな集まりや催しに同行させられました。
今から考えると、もう少し節子好みのものに連れて行けばよかったと思います。
しかし、節子のおかげで、私は実にさまざまな場を体験できました。

節子がいなくなってから、イベントやコンサート、美術展に参加する機会が激減しています。
娘のユカが時々、私の好きな展示会に誘ってくれますが、一人ではまだとても行く気にはなれません。
私の世界は急速にしぼんでしまってきています。
まあ、それは自然の成り行きなのかもしれませんが。

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2009/11/04

■節子への挽歌794:コモンズ空間

節子
TYさんが湯島にやってきました。
あの、才色兼備の、しかし小生意気なTYさんももうじき50代になるそうです。
私たちも歳をとったはずです。
彼女が最初に湯島にやってきた時は、まだ20代の終わりごろでした。
ある人の紹介でやってきましたが、若いのにはっきりした物言いと、ちょっと危ない小生意気さが私の波長に合ったのか、長い付き合いが始まりました。

当時、彼女はある財団のプログラムオフィサーとして、とてもいい活動をしていましたが、その一方で、モダンバレーにも取り組んでいました。
今にも折れそうな細い身体で、なんでこんなに頑張れるのだろうと思うほどの頑張り屋でした。
節子も彼女のことはよく知っています。
彼女の招待を受けて、節子と2人でモダンバレーの発表会に行きました。
大変申し訳ないのですが、私には難解でした。
というよりも、私はバレーにはあまり興味が無いのです。

TYさんと出会ったのは、私たちが湯島のオフィスを開いた直後でした。
当時は、私も節子も、新しい人生をはじめたばかりでした。
彼女が持ち込んできたプロジェクトは、その後の私の生き方にも大きな影響を与えました。
半年振りにTYさんと話していて、いろいろと昔のことを思い出してしまいました。

湯島から始まった物語はいろいろあります。
湯島のオフィスは、もしかしたら、私と節子だけの空間ではないのではないか。
そんな気がしてきました。
TYさんにも、もしよかったらこの場所を使って研究会を始めたらと提案しました。
きっと節子も賛成してくれるでしょう。
このオフィスはがんばって持続させようと決めました。

私たちが目指していたコモンズ空間は、気づかないうちにもうできていたのかもしれません。
湯島に来ると、なんだかホッとして長居してしまうといってくれる人がいます。
TYさんも予定の時間を超えて今日も長居してしまいました。

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2009/11/03

■節子への挽歌793:こころのホメオスタシス

穏やかな秋日和です。
昨日から急に寒くなりましたが、太陽の光が、その寒気を穏やかにしてくれています。
2人の娘たちも出かけていますので、今日は一人でのんびりと過ごしています。
しかし、のんびりと過ごすことはそう簡単なことではありません。
節子がいると、のんびりと過ごすことも楽しいのですが、一人だとやはり退屈してしまうのです。
2人でセットの生き方から、まだ抜け出ていないのかもしれません。

もう2年2か月も、こうした生活、節子がいない生活が続いていますが、まだその実感はそう強くありません。
未だに、心のどこかに節子がいるような気がしているのです。
庭に出て行くと、節子が今も花の手入れをしているような気がしますし、買物に出かけていた節子が今にも帰ってくるような気さえするのです。
もうじき節子に会えるような気さえするのです。

これは私だけの思いなのでしょうか。

世界は自分の思うように見えてくる。
これは私の体験知です。
同じ世界を見ていても、その見え方は人によって違います。
なにやらSFの世界になりますが、世界は自分の頭脳が生みだしているのかもしれません。
そう考えると、節子が今なお存在しているということも、あながち否定できないことです。
こうした感覚は、理性では否定できますし、もちろん否定はしているのですが、にもかかわらず心のどこかにそうした思いがあるのです。
それがあればこそ、心身の平常が保たれているのかもしれません。
節子に向かって話すことも少なくありません。
これこそが、こころのホメオスタシスなのかもしれません。

一人になると、ますます節子が近くにいるような気がしてきます。
誰もいないから姿を見せてもいいよと、訳のわからないことを考えてしまいます。
伴侶とは、そういうものかもしれません。

いま2階の作業部屋でパソコンに向かっているのですが、何やら下で物音がしました。
もしかしたら、節子が戻ってきたのかもしれません。
もうじき、「お茶が入りましたよ」という声が聞えてくるかもしれません。
聞えなくてもおりていったほうがよさそうです。
目には見えなくても、きっと節子はお茶を飲みながら待っているでしょうから。

もし下に節子がいたら、そのまま死んでしまってもいいなと思います。
しかし、神様はそう簡単には私を死なせてはくれないようです。
ガンジーを見習わなければいけません。
もっと誠実に生きなければ、神様には愛でられないでしょうから。

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2009/11/02

■節子への挽歌792:此岸での人生の終わり方

節子
最近、なぜか「どうしてこんな生き方を続けているのだろうか」と思うことがあります。
時々、書いていますが、どうも最近の生き方は私らしくありません。
おそらく節子がいた頃の生き方に戻っているのでしょうが、なぜかそうした生き方は、今の自分の生き方ではないのではないかという気がしてきました。

昨日、蔵田さんと話していて、蔵田さんの生き方にとても共感しました。
友が寂しがっていたら遠方からでも何気なくやってくる。
近くに問題があれば、意見を言いに出かけていく。
きちんと話さないと伝わらないでしょうが、宮沢賢治の「雨にも負けず」を思わせる生き方です。
なぜそういう生き方にうつろうとしないのか。
そう思うことが増えてきました。
しかし、そこに生きつかないのです。

時評編に書きましたが、今日、「ガンジーの危険な平和憲法案」という本を読みました。
大きな衝撃を受けました。
最近共感してたネグリの「マルチチュード」よりもずっとラディカルです。
しかし、それはそれとして、とても心に響く文章に出会いました、
ガンジーが残した文章です。

この状況がよくならなかったら、私の心は叫び、神様に早く連れて行ってもらうように祈っています。
その祈りは、神様と彼の友人たちによって実現しました。
ガンジーは、近代国家としてしか独立できなかったインドに生きずにすんだのです。
神様はきちんと見ていてくれるのです。
おそらく私のことも見ていてくれるでしょう。
そんな気がします。

にもかかわらず、私はまだ現世に未練がましく関わろうとしている。
相変わらずの「小欲」。
いったい誰のためにやっているのでしょうか。
社会のためでも、友人知人のためでもないでしょう。
たしかに友人知人からは感謝されることもあります。
全く面識のない人から褒められることもあります。
でも私がやらなくても、きっと誰かがその役割を果たすはずです。
所詮は自分のためではないのか。
自分が生きるために生きる、というのはどう考えても納得できないトートロジーです。

ガンジーは、いつそうした人生をやめたのか。
それは「暗殺」された時ではないのではないか。
そう思った時に、ふと思い出したのです。
節子はいつ彼岸に入ったのだろうか。
これまでも何回か考えた問題です。
節子には、もう一つの命日があるように思えてなりません。

私も、此岸での人生の終わり方を、そろそろ考えなければいけないのではないか。
最近、そんなことを考えるようになりました。
少しだけですが、仏教の考えがわかりだしてきたような気がします。

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■終わった人たちの相手をすることの虚しさ

自宅にいる時間が少なくて、国会中継をなかなか見られなかったのですが、ようやく時間ができてテレビを見ました。
なかには中身のあるものもありますが、自民党議員の質問はよくまあこれほどひどい内容になっているのか呆れました。
そのくせ、相変わらずの目線の高さです。
自分たちが撒き散らした問題を一生懸命に解決しようとしている新政府に対して、よくもまあこんなことが言えるものだと思います。
少しはまともかと思っていた加藤紘一さんにいたっては、何をかいわんやです。
こういう人がよく政治家をやっていられるものだと思います。
人間としての人格を疑いたくなります。

政権交代に関するNHKの特集番組を見ていると、自民党がいかに政権不適格政党だったかがよくわかります。
私利私欲しかない人たちの集団になってしまっていたようです。
その番組で、とくとくと話している人たちの話を聞いていると、この人たちには自分がやってきたことの意味など全く理解していないことが伝わってきます。
小沢一郎さんは、好きな政治家ではありませんが、彼が20年かかってやってきたことの意味、そして今のようなやり方をしている理由が最近ようやく理解できるようになりました。

国会審議はもう少し意味のあるものになるかと思っていましたが、相変わらず見ていてさびしくなりました。
途中で見るのをやめてしまいました。

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■ガンジーの平和国家論

「ガンジーの危険な平和憲法案」(C・ダグラス・ラミス 集英社新書)を読みました。
軽い気持ちで読み出したのですが、衝撃を受けてしまいました。
前にも書きましたが、私はどうしてもガンジーが好きになれないでいたのです。
そのあげくに、このブログでも以前、アンベードカルに言及してガンジーに批判的なことを書いたことがあります。
その後、それを後悔したものの、やはりどこかでガンジーが好きになれないでいたのです。

この本を読んで、今度こそその気持ちを一掃できたような気がします。
本書は、これまでの私のガンジー理解が極めて表層的なものであったことを気づかせてくれました。
これまでの私の読み方が間違っていたのかもしれませんが、本書に書かれているガンジーの思いは、私が目指していること、そのものでした。
しかも、ガンジーは、その視点で歴史を見据え、現実を生きていたのです。
そして一時的にとはいえ、歴史を変えたのです。
ガンジーが暗殺されたのは、必然的な結果だったのだとやっと納得できました。
自らの不勉強さをこれほど悔やんだことはありません。

この本のどこが衝撃だったのか。
それはガンジーが、「個人起点の発想」のパラダイムに立脚していたということです。
ホリスティックなシステム発想ではなく、まさにホロニックな生命論なのです。
そしてインドが独立して、結局はそれまでと同じ「国家」の道を歩みだした時に、それに関わることをせずに、ただただ失望の哀しみの気持ちに素直に殉じたという生き方です。
自分をガンジーと比べようなどとは思いませんが、まさに私が求めている生き方に重なっています。
どう重なっているかと聴かれると、とても答える自信はないのですが、国家観にしても運動論にしても、とても共感できるものです。
生き方も、です。

ダグラス・ラミスの問題提起は、いつもラディカルです。
だから、私にはわかりやすいのです。
言葉ではなく、実体で語っているからです。
小さな新書です。
よかったら読んでください。

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2009/11/01

■節子への挽歌791:「言葉」を大事にする人

節子
久しぶりに九州の蔵田さんが訪ねてきてくれました。
定年になった時点で、会社をスパッと止めて生まれ故郷に戻り、晴耕雨読の生活に入った蔵田さんの生活は見事です。
蔵田さんとは仕事での出会いでしたが、なぜか仕事が終わった後も、ずっとお付き合いが続いています。

「信」という言葉は、「人」と「言」という文字でできています。
人の言葉は信頼できるものでなくてはいけません。
ところが最近は、「言葉」に真実のない人が多すぎます。
節子も私も、言葉を大事にする人が好きでした。
一度、口にしたことは守らなければいけません。
「言葉だけの人」は、どんなに着飾った言葉を使おうと本心は見えてきます。
そういう人とはあんまりお付き合いしたくない。
これは私たち夫婦の共通の価値観でした。

蔵田さんは、数少ない「言葉」を大事にする人でした。
言葉を大事にする人は、心も大事にします。
心と言葉がつながっているからです。

その蔵田さんが訪ねてきてくれました。
蔵田さんは、節子がいなくなった直後にも、また1年くらい経った頃にも、献花に来てくれました。
わざわざ九州から我孫子まで来てくださるのです。
蔵田さんは「信」の人だからです。
その「信」には応えなければいけません。
しかし、どう応えたらいいのか、まだわかりません。
ともかくは元気になって、蔵田さんを安心させることかもしれません。

生前、蔵田さんと節子とが会ったことはそう多くはありません。
おそらくゆっくりと話したこともないかもしれません。
しかし節子が病気になってから、蔵田さんは新鮮な野菜を送ってくれました。
節子にとっては、とてもあったかな存在だったのではないかと思います。
節子が元気になったら、きっと野菜作りで話が盛り上がったはずです。
いつか蔵田さんご夫妻を湯河原に招待したいと話していましたが、それも夢に終わってしまいました。

その蔵田さんも、もう70を超えました。
私と違って、おしゃれでダンディなのですが、歳とってますます磨きがかかってきました。
少しひげも生やして、ますますのダンディぶりです。
節子がいたら、修とは大違いね、と後で言われたかもしれません。
節子がいなくなって、私はますますおしゃれから遠のいてしまっています。
しかし、「信」だけは、蔵田さんと同じように大事にしていますので、安心してください。

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■変えることができることとできないことを峻別する知恵

日本航空の再建に対する政府の方針が変わりだしています。
自主再建は放棄されたようです。
つまり、日本航空の経営陣は「経営」を放棄したのです。
いえ、すでに経営は行われていなかったことの責任を放棄したというべきかもしれません。
しかし、そのことは「日本航空はつぶさない」と前原さんが明言した時に決まったような気がします。
あげくのはての「専門家」と称する冨山さんたちのチームへの検討依頼。
前にも書きましたが、冨山さんたちは国税を私用して会社を整理してきた、ただの金融の使い手ではないかと思っている私には、これで日本航空の経営は終わったとさえ思っていましたから、ある意味では当然の帰結です。
経営再建とは、キャッシュフローを建て直すことではありません。
冨山さんたちには、経営などは縁遠い世界の話でしょう。
経営とは「倒産」も含めた真剣勝負でなければいけません。

なぜ日本航空はつぶしてはいけないのか。
つぶすには大きすぎて、社会への影響が大きいとみんないいます。
そうでしょうか。
日本航空がつぶれて、何が変わるのか。
路線の運行は、会社がつぶれても継続は可能です。
会社がつぶれても事業を継続しているところは実際にあります。
会社と事業は分けて考えることができるはずです。
事実、冨山さんたちはそうしてきたのです。
経営など知らなくとも、それくらいのことはできるのです。

八ッ場ダムもそうですが、私たちは大きな存在は否定できないと思いがちです。
しかしそんなことはありません。
国家でさえも、果たして存在する価値があるかどうかは、時代によって吟味されるべきです。
変えることができることとできないことを峻別する知恵を私たちは持たなければいけません。

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