■節子への挽歌802:我孫子は冬になりました
節子
我孫子は冬になりました。
今日の空は間違いなく冬空です。
寒くなりました。
節子も知っているように、私は四季のすべてが好きでした。
夏には夏の、冬には冬の魅力があったからです。
節子もそうでした。
今日は自宅で過ごしています。
節子がいなくなったせいか、時々、息切れるのです。
時々、自宅でゆっくりしないと心身の整理がつかなくなってきたのです。
節子がいた頃はこんなことはまったくありませんでした。
思い切り走っていても、節子が私のペースメーカーの役割を果たしていてくれました。
それに時折、節子に埋没したくなったりして、立ち止まることができたのです。
今は、それがなくなりましたから、走り出すととまらないのです。
心配してくれる人もいますが、節子の声には耳を傾けられますが、ほかの人の声にはあまり聴く耳をもてません。
一般論だからです。
伴侶は、相手と生活を共にしながら、一般論ではない注意をしてくれるのです。
それができるのは、生活を共にし、世界を共にしていればこそです。
私は、一般論の嫌いな人間です。
一般論としての正論には無意識に心身が反発してしまうのです。
一言でいえば、「性格が悪い」のでしょう。
それは、このブログの時評編を読んでくださっている方には伝わっているかもしれません。
その性格は悪かろうと良かろうと、直しようがありません。
私たち夫婦は、お互いに相手のことを「性格が悪い」と指摘しあっていましたが、実はお互いに相手の性格にほれ込んでいたのです。
性格は見方によって、悪くも良くも見えるものです。
さて冬空です。
冬空を見ているとなぜかとても哀しくなります。
でも時々、雲の間から太陽がわずかばかり顔を出します。
雲が重く重なっている合間から一瞬、陽光がさす瞬間は心が動きます。
冬空も、見方によっては暗くも明るくも見えるものです。
しかし、こういう風景が節子はとても好きだったなと思い出したりすると、ますます哀しくなります。
困ったものです。
自宅でゆっくりしてしまうよりも、息切れても、やはり走り続けているのがいいのかもしれません。
まだ、自分の生き方のリズムがつかめません。
やはりちょっと出かけてこようと思います。
どこに行くか、それが問題ではありますが。
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