■節子への挽歌797:ラ・フランス
節子
吉田俊樹さんからラ・フランスが送られてきました。
吉田さんとは、挽歌164で書かせてもらったYTさんです。
吉田さんは一つ送ると2つ送ってくるという、ポトラッチ型の人なので、どうしたものかと思っていますが、とりあえずお礼の電話をしました。
彼は不在で、奥様が電話に出ました。
初めてです。
「千葉の佐藤です」といってもすぐにはピンと来なかったのですが、会社の同期の、といったら、「佐藤修さんですね」とわかってもらえ、それに続けて「とても仲の良い夫婦」という言葉が出てきました。
私たちは吉田夫妻とは会ったことがありません。
でも、その吉田夫妻にまで「私たち夫婦の仲のよさ」は伝わっていたのです。
こんなうれしいことはありません。
ちなみに、なぜか吉田さんも私のことを昔から「修ちゃん」と呼ぶのです。
吉田さんは不思議な人です。
彼は修士でしたから、入社は同期ですが、年上です。
私がこれまで会った中でも、特別といっていいほど、変わった人です。
誤解されると悪いのですが、自分をしっかりと生きているという意味です。
私もそうなりたいと思っているのですが、吉田さんは私が会った時からそういう生き方でした。
小賢しさは皆無、純粋に素直で、宮沢賢治の「雨にもまけず」の人に似たところがあります。
もちろん「でくのぼう」ではありません。
優秀なエンジニアで、今も思いのままにお金とは無縁の社会活動をしています。
電話の時も、その関係で外出していたのです。
初めてであるにも関わらず、奥さんといろいろと話させてもらいました。
ラ・フランスなどたくさん送っても、すぐダメになるし、きっと迷惑だといっているのですが、故郷の山形を応援したいといって、いろんな人に送っているのです。もらってやってください。
ただのポトラッチではないですね。
吉田俊樹さんらしいです。
彼は米沢出身だったのです。
節子は吉田俊樹さんのことは知っています。
私たちと吉田さんとは関東と関西だったので、節子が元気だった頃は、一度も行き来がありませんでした。
しかし、にもかかわらず、吉田夫妻の間で、私たちの夫婦の仲のよさが語られている。
どうでもいいでしょうが、私にはとてもとてもうれしいことでした。
ちなみに、ラ・フランスとリンゴの置物を節子は一時期、コレクションしていました。
もちろん吉田さんは、そんなことなど知る由もありません。
節子の位牌に吉田さんからのラ・フランスを供えました。
節子は、ほんとうに幸せな人だとつくづく思います。
もちろん私もです。
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