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2009/11/15

■節子への挽歌805:涙は世界で一番深い海

昨日、「涙は世界で一番小さな海」の本を話題にしましたが、今日はその「小さな海」の話です。
昨日も書いたように、私にはその海は小さいけれど、「世界で一番深い海」のように思います。
その海の底は彼岸に届いているから、と昨日は書きました。

小学校の3年の時の学芸会で、私は「泣いた赤鬼」の赤鬼の役をもらいました。
戦争のために新潟県柏崎市に疎開していたのですが、そこで3年まで過ごしましたが、その最後の思い出の一つです。
舞台で最後に赤鬼がモノローグする場面があります。
その時、私は本当に涙が出てきてしまいました。
見ると最前列のおばあさんも泣いていました。
自分が本当に泣いてしまったことがとても恥ずかしくて、それ以来、誰かの役を演ずることができなくなってしまいました。
人の口調を真似ることさえできなくなってしまったのです。

私の涙はよくでます。
節子の前で涙を出したことも少なくありません。
節子は私の涙のことを良く知っています。
もちろん私も節子の涙はたくさん見ています。

テレビを見ていて、私たちはよく涙しました。
最初はお互いに気づかれないように涙をさりげなく隠していましたが、次第にその涙も共有できるようになりました。
私たちの涙はつながったのです。
テレビを見ている私たちの涙を見て、娘たちはよくからかったものです。
たしかになんでこんな場面で涙が出るのか自分でもおかしいと思うこともありました。
その意味をわかってくれるのは、節子だけでした。
そしてその節子がいなくなりました。

節子がいなくなって涙はますます出るようになりました。
一人で節子の写真をみていると、ただそれだけで涙が出てくるのです。
いまもそうです。
涙でパソコンの画面がにじんでいます。

みっともないという思いも、私のどこかにまだあります。
女々しいと笑う人もいます。
思い切り泣けばいいといわれたこともあります。
しかし、思い切り泣きたくなどはないのです。
女々しいと笑われたくもありません。
みっともないことはしたくないという見栄もあります。
でも、涙はそんなこととは無縁に、出てくるのです。

なぜでしょうか。
以前書いたように、悲しくもないのに突然に涙が出てきて、その結果、悲しくなることもあるのです。
私がコントロールできるわけではないのです。
涙がどこから湧いてくるのか、私には見えないのです。
時々、これは彼岸から湧き出てくる節子の涙なのだと思うことがあります。
節子が私をつかって涙しているのだと感ずるのです。

アンデルセンは「涙は世界で一番小さな海」といったそうですが、私も涙の湧き出てくる海の深さや広さを感じます。
思い切り泣いたので涙が枯れたと思った人もいるでしょう。
しかし涙の海は枯れるほど浅くはないのです。
きっとその人はいまもまた涙していることでしょう。

枯れることのない泉。
それが涙なのかもしれません。

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