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2009/11/29

■なぜ飢饉が起こるのか

アマルティア・センは、インドの実態を克明に調査した結論として、飢饉は、利用可能な食物が社会的に不足していたためというよりも、合法的・合理的に取得できる財の範囲が極端に狭まったことが最も主要な原因だったと考えました。
そこから、彼の主要な経済や政治を見る概念が生まれてきたわけです。
思い込みを捨てると、全く違った風景が見えてくるということです。

日本の今の状況は、もしかしたらセンの指摘するような「飢饉状況」なのではないかと、最近、思うようになりました。
物財もお金も住居も、ありあまるほどある。
にもかかわらず、ホームレスや生活苦が発生しているのです。
センの議論からもっと学ばなければいけません。

日本の国家財政の赤字は巨額になっており、国民一人当たりにすると700万円を超えているそうです。
自治体財政まで含めると、さらに大きくなります。
そうしたなかで、もうこれ以上、借金を増やすべきではないという議論が多いです。
しかし、そうした議論は、お金を価値基準にしている人の発想かもしれません。

お金は私たちみんなの生活を良くするための手段です。
センの議論につなげれば、世の中にあり余っている財の合法的・合理的な活用につなげていくための手段だと考えれば、違った風景が見えてきます。

それに国家が巨額な借金をしているとして、私にはなんの不都合も感じません。
統計的には3人家族のわが家では2000万円の借金をしているということになるのでしょうが、そんな実感はありません。
お金がもっとあれば、マニフェストが実現でき、みんなの暮らしが良くなるのであれば、この際、無限にお金を増刷して100兆円程度の財政出動をしたらどうでしょうか。
おそらくインフレが起こり、円安が進行し、多くの人たちの借金は解消されるでしょう。
そんなことになったら大変だと専門家は言うでしょう。
でも何が大変なのでしょうか。
そうした変化が一挙に来たら経済や社会は混乱しますから、確かに大変です。
しかしそれを10年かけてやれば、どうでしょうか。

そんなに借金して将来世代に申し訳ないという意見もあるでしょう。
でも、たかが紙幣です。
ダムや高速道路を造るために自然を壊したら、将来世代には影響を与えるでしょうが、紙幣をどんなに増刷したところで、なんの影響があるというのでしょうか。
お金は単なる紙でしかないのです。
大切なのは、その意味と使い方です。

相変わらずの暴論ですが、そろそろお金信仰の呪縛から抜け出ないといけません。
もっとも、私が一番良いと思うのは、全ての借金を無効にする徳政令です。
トポラッチの効用を思い出すのもいいかなと思うのですが。
借金は一切返さなくてもいいということになれば、私の生活もだいぶ楽になりそうですし。

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