■節子への挽歌811:「意識を生みだすもの」
昨日の魂の話の続きです。
ショーペンハウエルは、「死とともに意識はたしかに消滅してしまうのである。これに反して、それまで意識を生み出してきていたところのそのものは決して消滅することはない」と書いているそうです。
このことを自著『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』で紹介している内山節さんは、「「意識」と「意識を生みだすもの」という概念を設定することによって、この「意識を生みだすもの」に仮託するかたちで、人間の根源的な生命のあり様を語らせている」と書いています。
「意識を生みだすもの」。
鈴木大拙はそれを「霊性」といいましたが、それは一般的には「魂」とか「霊」という言葉に仮託されていると内山さんはいいます。
霊などというと何か怪しいもののように感じますが、それこそ私たちが陥っている「近代の罠」なのです。
見えるものしか見ない、見えるものにしか立脚しない生き方が、何をもたらしたかは、少し考えてみればわかることです。
星の王子さまも、「大切なものは目に見えない」と話しています。
私たちが生きている世界には、見えないもののほうが圧倒的に多いのです。
それに気づけば、自らの生き方もずっと豊かになるでしょう。
いま私たちに必要なのは、霊とか魂への気づきではないかと思います。
節子の声を感ずることがあります。
耳ではなく、身体で、です。
その声は、私の心身の内から聞こえてきます。
私の心身を突き抜けていくと、もしかたら魂に届き、そこに彼岸が広がっているのかもしれません。
彼岸はたくさんの魂の集合であり、それを通して、すべての生命体がつながっている。
時に辛いこともある、時に悲しいこともある、そして時には死ぬこともある。
しかし、それらはすべて生命現象のひとつでしかないのです、
そう考えると、生きることがとても平安になります。
現代人は霊性を軽視しすぎです。
科学主義による小賢しい知が、世界を覆っていますが、もっと大きな知を受け入れれば、もっと豊かな生に出会えるかもしれません。
節子は、私にそういうことを教えてくれているのかもしれません。
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