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2009/11/24

■国会議員の資格

残念なことに国会での野次はひどいものです。
今日は特に民主党の新人議員の野次がひどかったそうですが、なるべきでない人たちが国会議員になるのは、自民党も民主党も同じようです。しかし国会で野次を飛ばすなどというのは、信じられない態度です。
新聞報道によると、党から〔センスの良い野次〕をとばすように指導されたそうです。
しかし国会で野次を飛ばすなどというのは、信じられない態度です。
野次を飛ばす議員は党員資格剥奪というくらいのルールがあってしかるべきだと思いますが、どうもそうはならず、野次は相変わらず勲章なのでしょうか。
その文化は、やくざから議員まで(やくざと議員は同質の世界です)相変わらず維持されているようです。
そのおかげで、学校でもどこでも、人の話をきちんと聴かない文化が浸透しだしているのはいささか不本意な話です。

国会は本来議論する場です。
議論は、異質な意見があればあるほど、豊かになります。
しかし異質な意見を排除したりする人には、そもそも議論する気はないのです。
議論するためには、自らの意見をもたなければいけません。
おそらく野次をいう人は、自らの意見がないので、相手の発言を野次るしかないのでしょう。
それに、今の国会議員には、自らの意見を持っている人はそう多くはないでしょうから、野次られるほうも野次られることしか発言できないのかもしれません。
しかし、たとえそうであっても、国会という話し合う場が野次で肝心の発言が聞きにくくなるようなことになれば、放っておくべきではないように思います。

企業を良くするのは難しいことではないという人がいます。
私もその一人ですが、その方法は「基本をしっかりと実践する」ことです。
イエローハットの鍵山さんは「凡事徹底」と言いましたが、まさにそれこそが経営です。
その「基本」がいまの企業から失われているのと同じく、あらゆるところから、「基本」が失われているのです。

私のオフィスにはさまざまな人が来ます。
その人たちの行動を見ていると、社会の実相がよく見えます。
言葉ではなく、実際の行動です。
言葉は着飾れますが、行動は簡単にはごまかせません。
「基本」をしっかりと身に付けているかどうか、それは自然と見えてくるものです。

話し合う場であれば、静かに話し合うべきです。
質問に応える場であれば、質問に応えるべきです。
そんなこともできない人が女性教育会館の理事長になっているのです。
そういえば、挨拶もできない学校の校長先生や教育長を私は数人知っています。
そんな人たちに子どもを任せてきた私たちが悪いのですが、せめて家庭で元気よく挨拶し、異論を話し合うことを体験させていたら、今のような社会にはならなかったでしょう。

国会中継を見ていて、この人たちの育った環境はさぞ貧しかったのだろうなと少し同情してしまいました。
さて、わが家はどうだったか。
あまり大きなことはいえませんが、挨拶と話しあいは、まあきちんとやっているつもりです。

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