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2009/11/06

■がんばっている人がいたら応援しないといけません

最近また時評が書けなくなりました。
マスコミの取り上げる話題は瑣末な話ばかりです。
国会の議論も、どうしようもないほどに瑣末です。
自民党の若手議員の質問を見ていると哀しくなります。
若さの特質である「志」が全く感じられません。
そうした瑣末な話題に一喜一憂し、時評しているなどというのは、さらに瑣末なことです。
そんな瑣末なことをしているくらいなら、何もしないほうがいいのではないかと思いたくなります。

昨日も夜まであるNPOの話し合いがありました。
帰りは、その事務局長と一緒だったのですが、本当はこんなことをやりたくないし、Fさん(事務局長)にも会いたくなんかないんだと、話してしまいました。
そのNPOの立ち上げは、私もコアメンバーで、その事務局長をお願いしたのも私なのですから、Fさんがムッとするような発言です。
事実、そういう話をするといつもFさんはムッとします。
しかし事実なのだから仕方がありません。
できるならば、社会のことなど関わることなく、空でも見ていたいです。

こんな活動をしようとしまいと、朝になれば太陽は上がってくるし、夕方には沈んでいく。
時期がきたら人は死んでいく。
今やっていることは、余計なことなのではないか。
まあ、時々そんな気になるのです。

今日、あるNPOのメンバーと大企業の人たちとの出会いの場をつくりました。
まあ、上記の流れでいえば、瑣末な、しかも余計なお世話かもしれません。
しかし、そのNPOの代表の人がこんなようなことをいいました。
仲間にがんばっている人がいると、その人を応援するのが私たちのやり方なんです。
その方は、私も尊敬する高名な方です。
その言葉を聞いて、ハッとしました。

私もそういう生き方をすると10年前に決めたはずなのに、歳のせいか、最近は楽をしようとしがちです。
瑣末なことかもしれませんが、やはり空だけではなく、しっかりと現実をみるようにしましょう。
明日からまた時評を毎日書きます。
たぶん。。

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