« ■節子への挽歌792:此岸での人生の終わり方 | トップページ | ■節子への挽歌794:コモンズ空間 »

2009/11/03

■節子への挽歌793:こころのホメオスタシス

穏やかな秋日和です。
昨日から急に寒くなりましたが、太陽の光が、その寒気を穏やかにしてくれています。
2人の娘たちも出かけていますので、今日は一人でのんびりと過ごしています。
しかし、のんびりと過ごすことはそう簡単なことではありません。
節子がいると、のんびりと過ごすことも楽しいのですが、一人だとやはり退屈してしまうのです。
2人でセットの生き方から、まだ抜け出ていないのかもしれません。

もう2年2か月も、こうした生活、節子がいない生活が続いていますが、まだその実感はそう強くありません。
未だに、心のどこかに節子がいるような気がしているのです。
庭に出て行くと、節子が今も花の手入れをしているような気がしますし、買物に出かけていた節子が今にも帰ってくるような気さえするのです。
もうじき節子に会えるような気さえするのです。

これは私だけの思いなのでしょうか。

世界は自分の思うように見えてくる。
これは私の体験知です。
同じ世界を見ていても、その見え方は人によって違います。
なにやらSFの世界になりますが、世界は自分の頭脳が生みだしているのかもしれません。
そう考えると、節子が今なお存在しているということも、あながち否定できないことです。
こうした感覚は、理性では否定できますし、もちろん否定はしているのですが、にもかかわらず心のどこかにそうした思いがあるのです。
それがあればこそ、心身の平常が保たれているのかもしれません。
節子に向かって話すことも少なくありません。
これこそが、こころのホメオスタシスなのかもしれません。

一人になると、ますます節子が近くにいるような気がしてきます。
誰もいないから姿を見せてもいいよと、訳のわからないことを考えてしまいます。
伴侶とは、そういうものかもしれません。

いま2階の作業部屋でパソコンに向かっているのですが、何やら下で物音がしました。
もしかしたら、節子が戻ってきたのかもしれません。
もうじき、「お茶が入りましたよ」という声が聞えてくるかもしれません。
聞えなくてもおりていったほうがよさそうです。
目には見えなくても、きっと節子はお茶を飲みながら待っているでしょうから。

もし下に節子がいたら、そのまま死んでしまってもいいなと思います。
しかし、神様はそう簡単には私を死なせてはくれないようです。
ガンジーを見習わなければいけません。
もっと誠実に生きなければ、神様には愛でられないでしょうから。

|

« ■節子への挽歌792:此岸での人生の終わり方 | トップページ | ■節子への挽歌794:コモンズ空間 »

妻への挽歌04」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ■節子への挽歌793:こころのホメオスタシス:

« ■節子への挽歌792:此岸での人生の終わり方 | トップページ | ■節子への挽歌794:コモンズ空間 »