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2009/11/02

■ガンジーの平和国家論

「ガンジーの危険な平和憲法案」(C・ダグラス・ラミス 集英社新書)を読みました。
軽い気持ちで読み出したのですが、衝撃を受けてしまいました。
前にも書きましたが、私はどうしてもガンジーが好きになれないでいたのです。
そのあげくに、このブログでも以前、アンベードカルに言及してガンジーに批判的なことを書いたことがあります。
その後、それを後悔したものの、やはりどこかでガンジーが好きになれないでいたのです。

この本を読んで、今度こそその気持ちを一掃できたような気がします。
本書は、これまでの私のガンジー理解が極めて表層的なものであったことを気づかせてくれました。
これまでの私の読み方が間違っていたのかもしれませんが、本書に書かれているガンジーの思いは、私が目指していること、そのものでした。
しかも、ガンジーは、その視点で歴史を見据え、現実を生きていたのです。
そして一時的にとはいえ、歴史を変えたのです。
ガンジーが暗殺されたのは、必然的な結果だったのだとやっと納得できました。
自らの不勉強さをこれほど悔やんだことはありません。

この本のどこが衝撃だったのか。
それはガンジーが、「個人起点の発想」のパラダイムに立脚していたということです。
ホリスティックなシステム発想ではなく、まさにホロニックな生命論なのです。
そしてインドが独立して、結局はそれまでと同じ「国家」の道を歩みだした時に、それに関わることをせずに、ただただ失望の哀しみの気持ちに素直に殉じたという生き方です。
自分をガンジーと比べようなどとは思いませんが、まさに私が求めている生き方に重なっています。
どう重なっているかと聴かれると、とても答える自信はないのですが、国家観にしても運動論にしても、とても共感できるものです。
生き方も、です。

ダグラス・ラミスの問題提起は、いつもラディカルです。
だから、私にはわかりやすいのです。
言葉ではなく、実体で語っているからです。
小さな新書です。
よかったら読んでください。

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