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2009/11/25

■節子への挽歌815:ケアの本質

節子
敦賀からどっさりと野菜が届きました。

そこに節子が好きだった「へしこ」が入っていました。
わが家では節子以外は、「へしこ」のような珍味系の伝統食は苦手なのですが、私が義姉に頼んで送ってもらったのです。
私の中に移ってきた節子が、もしかしたら「へしこ」を食べたいと思っているかもしれないと思ったからです。
奇妙に思うでしょうが、まあそんな考えも生まれてくるのです。
娘に頼んで調理してもらいました。
娘たちはやはりだめでしたが、私は大丈夫でした。
やはり食生活にも変化が起きているのです。

野菜と一緒に、みかんもどっさり入っていました。
義姉の自宅の庭になっているみかんです。
自宅のみかんはすっぱいといって、ほとんど食べていなかった義姉に対して、節子がもったいないといって送ってもらうようになったのです。
いかにも節子らしい話ですが、不思議なもので、最初はすっぱかったみかんも次第に美味しくなりました。
今年のみかんは甘さもあって美味しいです。
みかんもやはり食べてもらう人のためにがんばるのでしょうか。
節子にも供えましたが、節子のおかげでみかんも成長したのです。
みかんほどではないですが、私も節子のおかげで成長していますので、みかんの気持ちはよくわかります。

野菜を送る文化は節子の母親からのものです。
最初の頃、合理主義者の節子は、送料のほうが高いので送らないでもいいよといっていましたが、そのうちに、送ってもらうことが親孝行なのだと気づきだしました。
節子は、それを「野菜便」と称していましたが、母を見送った後、その野菜便が途絶えたのです。
それをさびしく思っている節子に、今度は節子の姉が野菜便を再開してくれたわけです。

「コンラディのケアに関する9つのテーゼ」というのがあります。
その一つが、
「ケアには、思いやることと並んで思いやりを受けることが含まれる」
というものです。
多くの人は、思いやることをケアと考えていますが、思いやりを受けることのほうがケアの本質だろうと私は思っています。
だれでも思いやられるよりも思いやる方がいいに決まっているからです。

まあ、それはそれとして、こうした野菜便事件を通して、私と節子はケアの意味を学んできたのです。
人は一人で学ぶよりも、2人で学ぶほうが、身につくものです。

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