■節子への挽歌798:節子の寝顔ももうありません
節子がいなくなっても、節子に話す時間はそう減ったわけではありません。
節子からの返事がありませんので、話し合いとまではいきませんが、節子に問いかけたり話したりすることは多いのです。
節子がいなくなってから、夜の眠りが浅くなりました。
2年以上経過するのに、まだもとに戻りません。
そして、明け方の4時か5時に目が覚めることがよくあります。
そこで1時間近く節子と話をするわけです。
もちろん声には出しませんし、話しているうちにまた眠ってしまうので、もしかしたらそれもまた夢かもしれません。
しかし、そういう時に話し合ったことを挽歌に再現しようと思っても、また眠ってしまうとなかなか思い出せません。
以前は、夜中に目を覚まして眠れなくなったら、いつも隣の節子を起こしていました。
節子と少し話しているとまた眠れるからです。
節子はも迷惑だったでしょうが、逆の場合は私を起こしていいよと言っていましたので、当然のこととして、私は節子を起こしてしまっていたわけです。
夫婦は苦楽を共にしなければいけないというのが、私の勝手なルールです。
まあ眠れないことが、共にすべき苦楽になるのかどうかは問題ですが。
しかし、いまはそうした苦楽を共にする節子がいません。
夜中に目が覚めるのは、結構、苦痛です。
昔は、芽が覚めて、隣の節子の寝顔を見るのが私はとても好きでした。
さほど美人ではないにしても、私には最高の寝顔だったのです。
すべての迷いや悩みが解決しました。
時には見とれていることもありました。
私たちは枕を並べて寝ていましたが、節子は隣で私が本を読んでいる間に眠るのが好きでした。
隣で私が本を読んでいると安心できるといっていました。
その頃は、いつも眠る前に本を読むのが私の習慣でした。
しかし、その習慣も今はもうなくなりました。
昨夜も1時間ほど、明け方に節子と話しました。
なんだかとても大事な話をしたような気がするのですが、半日、思い出そうと努力したのに思い出せません。
結局、寝顔のことを書いてしまいました。
困ったものです。
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