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2009/11/01

■節子への挽歌791:「言葉」を大事にする人

節子
久しぶりに九州の蔵田さんが訪ねてきてくれました。
定年になった時点で、会社をスパッと止めて生まれ故郷に戻り、晴耕雨読の生活に入った蔵田さんの生活は見事です。
蔵田さんとは仕事での出会いでしたが、なぜか仕事が終わった後も、ずっとお付き合いが続いています。

「信」という言葉は、「人」と「言」という文字でできています。
人の言葉は信頼できるものでなくてはいけません。
ところが最近は、「言葉」に真実のない人が多すぎます。
節子も私も、言葉を大事にする人が好きでした。
一度、口にしたことは守らなければいけません。
「言葉だけの人」は、どんなに着飾った言葉を使おうと本心は見えてきます。
そういう人とはあんまりお付き合いしたくない。
これは私たち夫婦の共通の価値観でした。

蔵田さんは、数少ない「言葉」を大事にする人でした。
言葉を大事にする人は、心も大事にします。
心と言葉がつながっているからです。

その蔵田さんが訪ねてきてくれました。
蔵田さんは、節子がいなくなった直後にも、また1年くらい経った頃にも、献花に来てくれました。
わざわざ九州から我孫子まで来てくださるのです。
蔵田さんは「信」の人だからです。
その「信」には応えなければいけません。
しかし、どう応えたらいいのか、まだわかりません。
ともかくは元気になって、蔵田さんを安心させることかもしれません。

生前、蔵田さんと節子とが会ったことはそう多くはありません。
おそらくゆっくりと話したこともないかもしれません。
しかし節子が病気になってから、蔵田さんは新鮮な野菜を送ってくれました。
節子にとっては、とてもあったかな存在だったのではないかと思います。
節子が元気になったら、きっと野菜作りで話が盛り上がったはずです。
いつか蔵田さんご夫妻を湯河原に招待したいと話していましたが、それも夢に終わってしまいました。

その蔵田さんも、もう70を超えました。
私と違って、おしゃれでダンディなのですが、歳とってますます磨きがかかってきました。
少しひげも生やして、ますますのダンディぶりです。
節子がいたら、修とは大違いね、と後で言われたかもしれません。
節子がいなくなって、私はますますおしゃれから遠のいてしまっています。
しかし、「信」だけは、蔵田さんと同じように大事にしていますので、安心してください。

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